夢から醒めるということが、幻想から醒めることが・・・。 |
常に富と幸福を求めて生きてきました。
そして富の象徴は物質をいかに所有し独占するか。
その物質を独占するためには情報を独占するという中で、
争いや競争社会を築いてきました。
そういう追求の中で現代の社会は便利で清潔で
そして情報にあふれています。
つまり人間は、
そういう社会までたどり着いてきたということです。
しかしこの社会は残念なことに
常にその社会を起動させるエネルギーが必要な社会です。
それはまた、人工化が進み自然からの収奪と破壊の上にしか
その未来が立てられない社会です。
さらに自然から遊離した人間の意識の
その病理が進行している社会です。
そしてもっとも残念なのは自然から疎外されるという
“人工フレーム”のなかでしか生きれないようになってきている。
冒頭に書きましたように
人間の意識の根底には無意識層の不安や怯えや恐怖がありますが、
雑駁に極言すると自分の内面を見ず、
意識だけにしがみついている人間は
自分の欠損や自己喪失を意識社会へと投影させ、
物質の所有と富への幻想でその不安や恐怖を解消し、
富こそが安心できるかのような錯覚の中で
文明を進化させてきました。
そして結果として、
もう便利で快適さにかけては
これ以上ない物質文化に囲まれ、
今私たちは生きています。
それなのになぜ私たちはそれ以上を望むのでしょうか。
それは
人間は無意識層にある
自分の不安や恐れを解決しない限り、
手に入れた安定と安心を失いたくないからです。
さらに不安を増幅させ、
現状維持かそれ以上であること望み、
手に入れたものを失うことや現状維持ができないこと、
現状のレベルが下がることを極端に恐れ、
不安に駆られるからです。
つまり、私たちは
自分の中の不安や恐怖を解決しない限り、
ハメルンの笛吹誘われて川へと溺死したネズミのように
その先には溺死しかなくとも
ずーっと欲望の中にとりこまれ続けるということです。
人間は意識によって築き上げた幻想社会への、
その幻想を断ちきらなければ、
欲望への歯止めができない、と
いうことです。
そし意識とは幻想とは
自分の存在の外部へ向けた依存と期待と憧れです。
もうお分かりかもしれませんね。
人間は自分の外部世界=意識世界=社会や国家への幻想を、
常に膨らませ自分以外の人間や集団や組織や国家に
依存して生きてきました。
特にネーション時代と(国家の時代)いわれる近代からは
その防衛が強くなっています。
そして経済は、外部世界、
これからの市場となるであろう後進的な外国世界からの
労働力の収奪へと向けられ、
国内がだめなら外国へと進出することが
あたかも自分たちの欲望を満たし、
経済の現状維持かさらなる繁栄をもたらすような”幻想”を抱き
今も抱き続けています。
なぜそうなるか。それは、意識世界には、
ほんとうのリアリティーがないからです。
意識世界こそリアリティーのある世界だと
思い込んでいますが
そこには
人々が自分の無意識を自分の欲求と願望にあわせて加工した幻想=人々の欲と期待の膨らんだ
仮想の世界ですから
リアリティーがありません。
そうではなく無意識世界こそほんとうのリアリティーがあるのです。
つまり自分の無意識の中にこそリアリティーがあり真実があり、
そしてその内面を掘ることこそが
解決の道であり
ほんとうの価値のあることを見つける道です。
答えはすべて自分の中にあるのです。
と同様にこの国を一人の人間にたとえみてください。
この国の指導者たちはさらに外国へとインドをはじめアジアの国々、
そしてアフリカへと幻想を膨らませていますが、
まあそれもいいと思います。やってみる価値もあるかもしれません。が、
もしかしたらそこには今までと同じような失敗しかないかもしれません。
よほどその国の文化や意識レベルを熟知していない限り
想定外のことばかりが起きるでしょう。
今回の事件もそういう中で起きてしまいました。
そして、そこに期待し依存することがあれば
必ずそのしっぺ返しを喰らうと思います。
もうすでに日本の未来は外国資本や株式のマネーゲームの手の内のなかで
翻弄されているように私には見えます。
そしてリアリティーとは、
日本は
日本人にしか通用しないリアリティーの中で生きているのです。
外国のことなどわかるはずがないです。
むしろ何も知らないからこそ
自分たちのリアリティーをそこに重ねているだけで
ほんとうのことはわかりえないはずなのです。
それは世界中においても
リアリティーとはその国のリアリティーしかないのです。
ということは日本が日本のことを解決するには
日本のこの国掘り下げることしかないのです。
だって外国のほんとうのことは
日本のリアリティーから推測、或いは仮想するしかないのですから。
私たちが気づかなければならないことは
この国をどのように自力でもって立て直しをするかだと
私は思います。その立て直しは欲望の充足でもなく、
現状維持でもなく、
この国
この日本の国におおいて
日本人が自然と共存していくために何をしたらいいかということです。
日本人が幸福を手に入れるには
国民一人一人が、
自分が何をどのようにしなければならないかを
突きつけられ考える必要があります。
3,11の地震も津波も原発事故も、
みんな私たちに問いかけてきている。
物質によっての充足ではない幸福を、
考える必要があります。
それは、放縦にのさばり続ける物質への依存と執着を
断つことが必要かもしれません。
国民の幸福は国が代行するのでもなく
また国に依存するものでもない。
まあ私が考えていることなど
今のこの国では狂気の沙汰かもしれません。
しかしその安逸さこそ狂気の沙汰だと
私は思うのですが。
私達はいつのまに、
日本という箱ごと情報社会の中へと
連れて行かれたように思います。
情報社会は、そのフレームが
少しずつ地すべりし、
崩壊していく社会かもしれません。
すでに世界では、これまでのパラダイムが
少しずつ変化をみせています。
既存の価値が崩れ、
既存の観念が崩壊していくとき、
私たちは何を気軸に自分の存在を保全していくのか。
それは今すぐに起きてくることではないかもしれませんが、
少なくとも、自分が何を拠り所として生きているかについての
深い洞察考察が必要なきがします。
私がいくらここで書いても、
いまだに安逸さからぬけでられない
国家を経する経営する政治家や企業家やさらに大衆もまさか
その意識の世界が幻想などとは思いもよらないでしょう。
ただ救いなのは脳科学や神経科学など、
科学も分野で脳がドンドン解明されていくことです。
そしてその時初めて幻想からの夢が覚めてくるかもしれません。
幻想の夢から醒めることは、
すべてを失うことではありません。
そうではなく、
人間がそのありのままの自分を受容していくということの
始まりです。
そして個々の人間は断絶していることを
承知したうえで、
その断絶を介して、
どのように関係を結んでいけばいいかを考えると
いうことです。
そのためには人間が
その孤独と孤立をのりこえ、
自立した自分を構築していく必要があります。
自立とは、
他者のいかんによって
自分が左右されないということです。
それは自分の自然性と
他者の自然性との突き合わせの中から
接合点を探し出して共存していくということです。
自立する人間の在り方、
社会の在り方を
模索し
ひとりひとりが自分の内面を掘りさげ
無意識領域にある
自分のリアリティーに基づいたポテンシャルを
見つけ出すようになること。
そして国も、
日本の国とは何か…ということを掘りさげて
この国の中にある、
眠っているポテンシャルを
掘り直して見ることこそが大事だと思います。
人間は自然から疎外すればするほど
心理的なストレスを負います。
まずはたくさんの壊された自然を回復し
経済的な裕福さより
いかに自然と共存するかのほうが
優先順位だと私は思います。
放射能に汚染された海をいかに回復するか、
放り出されている休耕田をもう一度回復させることや
里山や林や森をとりもどすことや、
そのほか私たちが富や繁栄と交換に失ったものを
取り戻すことを考えだしたら尽きません・・・・・。
もしかしたら
便利さを手放す必要があるかもしれませんね。
皆さんもそれぞれお考えがいっぱいあるでしょう。
考えていくうちに
きっとこの国が世界の中で、自立し、
生き残ってゆく道がみえてくるでしょう。
それぞれの人々が
それぞれ無意識の中の不安や恐怖を克服して
安心して一緒に生きれる社会を、
どうしたら創りだすことができるか考える。
まずはその一歩として何があっても自分を信頼し、
自分がいきることには意味と価値がある…ということを
しっかりと肝に刻むことだと思います。
自分のなかで思い込んだ不安や恐れを払拭し、
自分はどう生きたいかを掘り下げ、
さらに人間への信頼や他者への信頼とつながりを
創造的に
具体的に
どのように創りだしていくことを真剣に考えることだと思います。
夢から醒めるということが
また
別の感動の中を
生きることになる。
もうその時代が
私達を待っていると
私は思います。
これでこのシリーズは終わりです。
読むのも
大変だったでしょ!
でも
書き残せてよかったなあ~!
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