頭の中を相対化する!コペルニクス的転回! |
大変充実した一日でした。
ゲストの方とも
大変深い内容をお話できてよかったなあ~と
思いました。
昨日
Oさんのブログを読ませていただきましたら
そこに
コペルニクス的転回という言葉が書いてあり
あゝその通りだな~と
私も思いました。
このとことずーっと書いてきた
「夢から醒めるということは~」の
シリーズで
意識と無意識の逆転について
お話ししましたが
心理学を勉強された方や
自分の内面を見つめる事が
出来る人や
文学や思想に造詣がある方は
理解できると思いますが
一般の常識の世界では
考えもつかないような
事です。
これも
いわばコペルニクス的な逆説的世界です。
コペルニクス的転回とは
それまでの多くの人々は
地球は止まっており
天が動くという天動説をとなえていましたが
コペルニクスは
そうではなく地球が動いているという
地動説を唱えました。
それは
自分達は止まっていて
空が動くと考える人々にとって
仰天の発想で
信じられませんでしたが
後にガリレオによって追認され
やがて天がうごいているのではなく
地球が回転しているだということが
受け入れられてゆきました。
ガリレオも異端として
宗教裁判にかけられ
仕方なく地動説を撤回しましたが
判決のあと
「それでも地球は動いている」と
つぶやいたことは有名です。
つまり
誰もが当然のように
思いこんでいることは
果たしてそうであろうか・・??と
逆転の発想で
物事を固定化してみるのではなく
双方向から
検証してみるということが
とても
大切なのです。
アインシュタインの相対性理論も
そういう発想法のなかから
生まれてきました。
このシリーズで書いた
ほんとうのリアリティーは
無意識にある。
だからこそ
人間はほとんどのことを
無意識にやってしまうのですね。
そして
私がもっともお伝えしたかたったのは
物事を一方方向からしか見ない・・・という
頭の使い方ではなく
柔軟に柔軟に
様々な角度から
検証していく
という頭の使い方ができるようになると
物事や世の中の風景が
違って見えてくると
いう事です。
今でのほとんどの人間は
意識で見えるものが
ホンモノで
自分が見ているものが
幻想だとは
思いもつかない事かもしれません。
しかし
ほとんどのトラブルの原因は
自分達が思い込んだように
事が
運ばないことに原因があります。
でもね、
ほんとうは
トラブルが起きることの方が
当然のことなのですよ!
そのもっとも
典型的なものが
夫婦の離婚です。
それはもともと
相手のことを
幻想化し
そこに愛情という
ファンタジーを
錯覚するからです。
しかし現実は
その相手への幻想が
崩れていきます。
そこには
自分の想定外のことが
たくさん起きてきます。
実はその
想定外に起きていることこそ
相手のありのままの姿そのものなのですが
これまで
相手を幻想化していたのですから
それが
なかなか受け入れられず
とうとう夫婦の不和までに
なってしまうのです。
そういう時も
もしかしたら
自分の方が
相手を自分の都合に合わせて
誤解していたかもしれない。
と
気づけたら
それはとても賢いです。
しかし
相手に裏切られたとか
相手の方が悪い・・と言いうようにしか
考えられないとしたら
それは
やはり
頭が固い証拠です。
まあ、
夫婦のことにしても
様々な人間関係をはじめ
全てのことにおいて
自分に起こることを
そのまま
正直に見ることができ
さらに
それを
受け入れることができるということが
とても大切で
賢いことだと
思います。
まあ、とても日常的な単純な例でも
すみませんが、
私も2年前くらいから
すこし
老人性の不眠になってしまいました。
どうしても
なかなか入眠できません。
あゝこまったなあ~と
思っていましたが
ある時
ふっと
寝るということは
眠気が起きたときに
寝ればいいんだと
思いました。
なにも
夜に寝なくても
いいのではないかと
思いました。
以来眠気が起きたらすぐ寝て
目が覚めたら
そのまま
起きるということにしています。
だいたい眠気は夜8時頃から
襲ってきます。
それがきたらすぐ寝にいきます。
そのまま朝まで
眠れることもありますが
時には朝の2時や3時に
目が覚めることがあります。
その時は
眼がさめたので起きて
仕事をしたり
本を読んだり
料理の下ごしらえを
したりします。
また朝でも
昼間でも
眠気がおきたら
寝ます。
逆に
眠気が起きないときは
そのまま
ずっと起きています。
つまり
夜眠らなければならない・・・という
思いこみにを
やめたのです。
そうしたら
もう
不眠ということから
どんどん
解放されました。
まあ
こういうことも
ささやかな単純な例ですが
自分が思いこんでいるからこそ
そこに不自由がおきてしまうのだと
思います。
生きるということは
なんでもアリということです。
苦しいのは
そこに
なにか
思いこみで固定観念化している
或いは
捉われている
ということでは
ないでしょうか?
意識という観念で
自分をがんじがらめ
縛らず
そうではなく
もっと
気楽に
自分の自然性にそって
生きたらいいのだと
思います。
次回は
頭の中を
グルグルめぐる意識について
書こうと思います。
意識が頭の中を
グルグルと廻りだすと
もう
自分では
消すことができず
よわってしまいます。
これも
頭の中の電流の通し方が
問題なのです。
それも大変不毛なエネルギーの使い方なので
なんとか
書いてみます。
映画対談「ロゼッタ・息子のまなざし」
You-Tubeで
アップされました。
映画から自由奔放によみとってみよう
第3回「ロゼッタ」
(伝心柱×村上浩康)映画監督ダルデンヌ兄弟
1時間半近い対談時間ですが
是非
ご覧ください!
第2回「オアシス」映画監督イ・チャンドンの世界
!
第一回「こわれゆく女」より
映画監督 ジョン・カサヴェテスの世界。

な~も力が入っていなくて
いいなあ~!
