2015年 04月 06日
心に沁みるイエスの言葉!その4 |
あなた方は地の塩である。
もし塩のききめがなくなったら、
何によってその味がとりもどされようか。
もはや何の役にも立たず、
ただ、外に捨てられて、
人々にふみつけられるだけである。
あなた方は世の光である。
山の上にある町は
隠れることができない。
またあかりをつけて、
それを枡の下におく者はいない。
むしろ燭台の上において、
家の中すべてのものを
照らせるのである。
そのように
あなた方の光を人々の前に輝かし、
そして
人々があなた方のよい行いを見て
天にいますあなた方の父を
あがめるように
しなさい。
これはイエスが
迫害をされ
痛み苦しんでいる人々に
説いた言葉ですが
私には彼らへの
贈り物のように
思えます。
ある人に私が言った
「もう捨てたらどうですか?」
ということは
もう
争いの中から抜け出し
執着をすてたらどうですか・・・と
いう意味です。
それは
もしかしたら
苦い敗北感を味わうことかもしれませんが
その苦く、塩辛い感情こそが
時間の経過とともに
その人の人生の滋味となり
深い陰影となり
成熟となっていきます。
成熟とは
そういう
人間の苦い根っこも
塩辛い悲しみの味も
すべてが
時間とともに実り、
発酵し
そして
家中の中を照らす光になると
いうことです。
迫害される人々の辛さや悲しみは
いずれ
それが乗り越えられたとき
光となっていくが
しかし
迫害するものは
その心の奥にある
闇と不安を
どんどん増幅していくしかない。
サウロことパウロは
そのことに
気づいたのですね。
悲しみ者、痛む者、
それはそれを乗り越えたとき
反転して
光の中に入る者になる。
しかし
攻撃するもの
迫害するものは
その自分を止め
自分の中にある
ドロドロとした闇や不安に
気づかない限り
その闇に呑み込まれていく。
塩こそ
理性であり
自分を失わないための
深い深い愛の条理です。
狭い門から入ること
地の塩になること
それがやがて
一粒の麦へと
生かされていくのです。
さらにイエスの言葉、
目には目を
歯には歯を」と
言われていたことは、
あなた方の聞いているところである。
しかし、私はあなた方に言う。
悪人には手向かうな、
もしだれかがあなたの右の頬を打つなら、
ほかの頬をもむけてやりなさい。
なんと厳しいことを
イエスはいうのであろうか。
しかしそこには
イエスの
人間に対する慧眼と愛があります。
そして最後に
イエスは
天の父は、
悪い者の上にも
良い者の上にも、
太陽を上らせ、
正しい者にも
正しくない者にも
雨を降らしてくださるからです。
すべてが
人間と人間の
関係性によって起きる
現象であるとした
釈迦の慧眼と慈悲の思想の中にも
このイエスの愛と同じものが
あります。
二人ともが
<気づく>ということを
説いているのです。
気づくこと
そして
その先にあるのは
あなたの悲しみも怒りも
ぜんぶ
わかっているよ
しかし
それでも
お互いが
自分が愛されていることに
気づいて
和解しなさい・・・と
諭されている。
イエスもパウロも
釈迦も法然も親鸞もが
そう
諭している。
私も諭されている。
同じだね!

やっと雨があがったね!
やれやれ!
もし塩のききめがなくなったら、
何によってその味がとりもどされようか。
もはや何の役にも立たず、
ただ、外に捨てられて、
人々にふみつけられるだけである。
あなた方は世の光である。
山の上にある町は
隠れることができない。
またあかりをつけて、
それを枡の下におく者はいない。
むしろ燭台の上において、
家の中すべてのものを
照らせるのである。
そのように
あなた方の光を人々の前に輝かし、
そして
人々があなた方のよい行いを見て
天にいますあなた方の父を
あがめるように
しなさい。
これはイエスが
迫害をされ
痛み苦しんでいる人々に
説いた言葉ですが
私には彼らへの
贈り物のように
思えます。
ある人に私が言った
「もう捨てたらどうですか?」
ということは
もう
争いの中から抜け出し
執着をすてたらどうですか・・・と
いう意味です。
それは
もしかしたら
苦い敗北感を味わうことかもしれませんが
その苦く、塩辛い感情こそが
時間の経過とともに
その人の人生の滋味となり
深い陰影となり
成熟となっていきます。
成熟とは
そういう
人間の苦い根っこも
塩辛い悲しみの味も
すべてが
時間とともに実り、
発酵し
そして
家中の中を照らす光になると
いうことです。
迫害される人々の辛さや悲しみは
いずれ
それが乗り越えられたとき
光となっていくが
しかし
迫害するものは
その心の奥にある
闇と不安を
どんどん増幅していくしかない。
サウロことパウロは
そのことに
気づいたのですね。
悲しみ者、痛む者、
それはそれを乗り越えたとき
反転して
光の中に入る者になる。
しかし
攻撃するもの
迫害するものは
その自分を止め
自分の中にある
ドロドロとした闇や不安に
気づかない限り
その闇に呑み込まれていく。
塩こそ
理性であり
自分を失わないための
深い深い愛の条理です。
狭い門から入ること
地の塩になること
それがやがて
一粒の麦へと
生かされていくのです。
さらにイエスの言葉、
目には目を
歯には歯を」と
言われていたことは、
あなた方の聞いているところである。
しかし、私はあなた方に言う。
悪人には手向かうな、
もしだれかがあなたの右の頬を打つなら、
ほかの頬をもむけてやりなさい。
なんと厳しいことを
イエスはいうのであろうか。
しかしそこには
イエスの
人間に対する慧眼と愛があります。
そして最後に
イエスは
天の父は、
悪い者の上にも
良い者の上にも、
太陽を上らせ、
正しい者にも
正しくない者にも
雨を降らしてくださるからです。
すべてが
人間と人間の
関係性によって起きる
現象であるとした
釈迦の慧眼と慈悲の思想の中にも
このイエスの愛と同じものが
あります。
二人ともが
<気づく>ということを
説いているのです。
気づくこと
そして
その先にあるのは
あなたの悲しみも怒りも
ぜんぶ
わかっているよ
しかし
それでも
お互いが
自分が愛されていることに
気づいて
和解しなさい・・・と
諭されている。
イエスもパウロも
釈迦も法然も親鸞もが
そう
諭している。
私も諭されている。
同じだね!

やれやれ!
by denshinbashira
| 2015-04-06 07:49
| ひとを愛するとは
|
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