2015年 04月 21日
ありのままの自分とは! |
「ありの~ままの~姿見せるのよ~」というのは
ディズニー映画「アナと雪の女王」の歌らしいのですが
でもね
このありのままの自分というのが
ほんとうは
いちばん難しいことで
逆に
ほんとうにありのままの自分だからこそ
トラブルが起き
問題になるのですよ。
でも「ありのままの姿でいい」と
言われると
それが本当は
どういうことであるかなどを
キチンとたしかめないで
なんとなく
分かった風に
納得していませんか?
おそらく言葉上の気分で
わかった気になっているひとは
大勢いるのではないでしょうか。
でもね、
ありのままの姿でいい…ということこそが
甘えです。
今日は「ありのままの自分」ということが
どういう心理構造なのかを
書いてみようと思います。
実はね
人間はいつも
ありのままの自分を生きているのです。
それはなぜかというと
人間の行為、行動のほとんどは
無意識に行われます
さらに
人間は行動の方が先にあり
行動した後に
意識化が始まります。
だから
よほど意識してない限り
ほとんどの行為行動は
そのひとの
無意識の<ありのまま>そのものなのです。
だからそのありのままの姿が
他者との間で拮抗し
問題を起こしたり
トラブルになったりするのです。
そのありのまま、
無自覚に自分の自我のゆがみや癖が
他人との関係で出てしまうことが
他者との間できしみを
おこしてしまうのです。
だから
ありのままの自分の行為を
どのように
ありのままでなくするか・・・が
とても大切なのですね。
そこには
無意識の自分を突き止め
分析し
意識と理性の働きを
付け加えて
自分を修正していく努力が
必要なのですぞ!
人間はどんな人も
自我の歪みや汚れをもっています。
だれもが
そういう自分を抱えていきているのです。
だから
それが他者の自我の歪みや汚れと
きしみ
ぶつかったとき
トラブルが起きてしまうのです。
私はそれを
自分の自我が<直面>するといいます。
自分ではわからないけれど
何か問題に直面するということは
そこに何等かの
自我の歪みや汚れの問題が
あるのです。
つまり無意識に
無自覚にやってしまうからこそ
トラブルになるのですよ。
それがトラブルになると
分かっていたら(意識していたら)
たいがいの人は
やらないでしょ。
反対に
自覚して
意識してやっていたら
それは
いじめや意地悪や悪です。
問題は
人間はほとんどを無意識にやっているのに
意識では
自分の無意識の行為を自覚できないと
いうことです。
さらに困ったことに
意識では
<自分の脳と体が作り上げた理想的自分像>を
自分だと錯覚して
生きていることです。
つまり脳がシュミレーションする
理想の自己イメージを
実際の自分だと思い込んで生きている
と
いうことです。
だから実際のその人無意識・意識のすべてを
<存在>という風にしますと
その<存在>においてはすべてが
外部に出ており
その<存在>すべてを
他者は
みているのに
本人だけが
<自分が都合よくイメージした自分・理想の自分>しか
見ておらず
まさか
自分の<存在>すべてが見られているとは
思わない!!
平たく言うと
無意識の自分に気づかない限り
いつも
「頭隠して尻隠さず」の状態で
自分をさらしているということです。
人間はいつも
そういう他人との落差のなかを
いきているのです。
だから
トラブルが起きたりすると
「他人に誤解された」と思ったり
「私はそんな人間ではない・・」と
傷ついたりするのです。
しかし
実際は
他人はあなたの<存在>から見えるものを
なんとなく感じ取り読み取っています。
勿論その解釈においては
個人差がありますが
でも
なんとなく
人間は
他者を見破っているものです。
頭のいい人はそれを言葉化して意識化できますが
言葉化できない人は
漠然と
曖昧な感覚で
そう思っています。
だからこそ
相手に責任を転嫁せず
あいてとの関係性において
何が原因であったかを
客観的に
見つめる必要があるのです。
つまり
人間は
意識と存在のねじれ現象を
生きているのですね。
そういうものなのです。
その意識とねじれが
顕れて
苦しいのを
解決していくことこそに
本來の自分との出会いが
あります。
つまり
心をお掃除していくんだね。
だから
ありのままの自分と他人の間で
違和や確執がおこった
その時こそ
本当は
無意識の中にある自分の行動に気づく
ありのままの自分の問題性に気づく
絶好のチャンスなのです。
私はそれを
・直面するという言葉で言います。
だから人間は他人のことは
よくわかるけど
自分のことは
よくわからないのですね、
困ったことに・・・苦笑!
自分の自我の歪みや汚れが
外部世界や他者との間で
きしみを起こしている
その時
相手が悪いとか
自分は悪くないとか
と
ごまかさないで
ちゃんと自分の内面にある
問題性と
向き合うことが
とても大事なのです。
他人に責任を転嫁すれば
とても楽だけれど
でも
そうしている限り
その人は
歪んだ自我や
汚れた自我のそのままで他者と向き合い
そういう
自分をさらしたままで生きてしまう。
それは
とても悲しい、ピエロ状態にもかかわらず
ずーっと
同じことを繰り返して
生きてしまいます。
でも
そういう
自我の歪みや汚れが
その人の
ほんとうの姿かというと
そうではないのですよ。
そのひとの本当の姿は
素直で純粋で清らかな泉のような世界です。
自分が一番清々しいのは
そういう自分であるときでしょ!
そして
人間はいつも他者に対しては
そういう人間像を求めてしまいます。
だからこそ
相手がそういう人間ではないとわかると
失望や
トラブルが起き
自分に対して
相手が
そういう風に純粋に
誠実に向き合ってくれないということで
失望し
大仰にいうと
絶望するのです。
では
自分は素直に
清らかに
無心に
相手に向き合っているかという
たいがいは
自己防衛の衣を着て
かなり不純に相手(他者)に向き合い
相手が
自分の都合のいい自己イメージで
自分のことを
受け入れ、
理解してほしい…というような
かなり
身勝手な願望で
接していると思いますよ!・・・・ヤレヤレ!
だからこそ
そういう
双方の思いが時にぶつかっり
錯綜したりして
トラブルになるのです。
人間は
自分のすべてを意識することなど
できません。
だからこそ
トラブルに直面した時こそが
自分が無意識にやっていることに
気づけるチャンスなのです。
そしてその時こそ
勇気をもって
無意識の中にある
自分の自我のよごれや
歪みを修正してゆく。
ありのままの自分でいいというのは
自分の中には
自我の歪みや汚れやある
ということを
自覚して
受け入れるということです。
そして
自分がそれに直面した時は
ちゃんとそれに向き合い
そして
修正していく。
そういう勇気と率直さと行動力こそが
やがては
素直で純粋で清らかな自分の泉へと
戻ることができる
ということです。
そういう人こそが
ありのままの自分を生きているひとです。
ありのままの自分を
肯定できる
と
いう人ですね。
私のカウンセリングを受けた人に
私がいう
「そのままでいいよ!」
という言葉には
「そのままのあなただからこそ
きっと
直面するでしょう。
でもその時
勇気をもって
自分と向き合うことも
解決できる力も
もうあなたは
持っている。
だから
そのままの自分で
ドンドン直面していきてお行きなさい
それはきっといつか
あなたのたからものになる。」
という信頼が
こもっています。
そういうことなんだね!

最後の花!
ディズニー映画「アナと雪の女王」の歌らしいのですが
でもね
このありのままの自分というのが
ほんとうは
いちばん難しいことで
逆に
ほんとうにありのままの自分だからこそ
トラブルが起き
問題になるのですよ。
でも「ありのままの姿でいい」と
言われると
それが本当は
どういうことであるかなどを
キチンとたしかめないで
なんとなく
分かった風に
納得していませんか?
おそらく言葉上の気分で
わかった気になっているひとは
大勢いるのではないでしょうか。
でもね、
ありのままの姿でいい…ということこそが
甘えです。
今日は「ありのままの自分」ということが
どういう心理構造なのかを
書いてみようと思います。
実はね
人間はいつも
ありのままの自分を生きているのです。
それはなぜかというと
人間の行為、行動のほとんどは
無意識に行われます
さらに
人間は行動の方が先にあり
行動した後に
意識化が始まります。
だから
よほど意識してない限り
ほとんどの行為行動は
そのひとの
無意識の<ありのまま>そのものなのです。
だからそのありのままの姿が
他者との間で拮抗し
問題を起こしたり
トラブルになったりするのです。
そのありのまま、
無自覚に自分の自我のゆがみや癖が
他人との関係で出てしまうことが
他者との間できしみを
おこしてしまうのです。
だから
ありのままの自分の行為を
どのように
ありのままでなくするか・・・が
とても大切なのですね。
そこには
無意識の自分を突き止め
分析し
意識と理性の働きを
付け加えて
自分を修正していく努力が
必要なのですぞ!
人間はどんな人も
自我の歪みや汚れをもっています。
だれもが
そういう自分を抱えていきているのです。
だから
それが他者の自我の歪みや汚れと
きしみ
ぶつかったとき
トラブルが起きてしまうのです。
私はそれを
自分の自我が<直面>するといいます。
自分ではわからないけれど
何か問題に直面するということは
そこに何等かの
自我の歪みや汚れの問題が
あるのです。
つまり無意識に
無自覚にやってしまうからこそ
トラブルになるのですよ。
それがトラブルになると
分かっていたら(意識していたら)
たいがいの人は
やらないでしょ。
反対に
自覚して
意識してやっていたら
それは
いじめや意地悪や悪です。
問題は
人間はほとんどを無意識にやっているのに
意識では
自分の無意識の行為を自覚できないと
いうことです。
さらに困ったことに
意識では
<自分の脳と体が作り上げた理想的自分像>を
自分だと錯覚して
生きていることです。
つまり脳がシュミレーションする
理想の自己イメージを
実際の自分だと思い込んで生きている
と
いうことです。
だから実際のその人無意識・意識のすべてを
<存在>という風にしますと
その<存在>においてはすべてが
外部に出ており
その<存在>すべてを
他者は
みているのに
本人だけが
<自分が都合よくイメージした自分・理想の自分>しか
見ておらず
まさか
自分の<存在>すべてが見られているとは
思わない!!
平たく言うと
無意識の自分に気づかない限り
いつも
「頭隠して尻隠さず」の状態で
自分をさらしているということです。
人間はいつも
そういう他人との落差のなかを
いきているのです。
だから
トラブルが起きたりすると
「他人に誤解された」と思ったり
「私はそんな人間ではない・・」と
傷ついたりするのです。
しかし
実際は
他人はあなたの<存在>から見えるものを
なんとなく感じ取り読み取っています。
勿論その解釈においては
個人差がありますが
でも
なんとなく
人間は
他者を見破っているものです。
頭のいい人はそれを言葉化して意識化できますが
言葉化できない人は
漠然と
曖昧な感覚で
そう思っています。
だからこそ
相手に責任を転嫁せず
あいてとの関係性において
何が原因であったかを
客観的に
見つめる必要があるのです。
つまり
人間は
意識と存在のねじれ現象を
生きているのですね。
そういうものなのです。
その意識とねじれが
顕れて
苦しいのを
解決していくことこそに
本來の自分との出会いが
あります。
つまり
心をお掃除していくんだね。
だから
ありのままの自分と他人の間で
違和や確執がおこった
その時こそ
本当は
無意識の中にある自分の行動に気づく
ありのままの自分の問題性に気づく
絶好のチャンスなのです。
私はそれを
・直面するという言葉で言います。
だから人間は他人のことは
よくわかるけど
自分のことは
よくわからないのですね、
困ったことに・・・苦笑!
自分の自我の歪みや汚れが
外部世界や他者との間で
きしみを起こしている
その時
相手が悪いとか
自分は悪くないとか
と
ごまかさないで
ちゃんと自分の内面にある
問題性と
向き合うことが
とても大事なのです。
他人に責任を転嫁すれば
とても楽だけれど
でも
そうしている限り
その人は
歪んだ自我や
汚れた自我のそのままで他者と向き合い
そういう
自分をさらしたままで生きてしまう。
それは
とても悲しい、ピエロ状態にもかかわらず
ずーっと
同じことを繰り返して
生きてしまいます。
でも
そういう
自我の歪みや汚れが
その人の
ほんとうの姿かというと
そうではないのですよ。
そのひとの本当の姿は
素直で純粋で清らかな泉のような世界です。
自分が一番清々しいのは
そういう自分であるときでしょ!
そして
人間はいつも他者に対しては
そういう人間像を求めてしまいます。
だからこそ
相手がそういう人間ではないとわかると
失望や
トラブルが起き
自分に対して
相手が
そういう風に純粋に
誠実に向き合ってくれないということで
失望し
大仰にいうと
絶望するのです。
では
自分は素直に
清らかに
無心に
相手に向き合っているかという
たいがいは
自己防衛の衣を着て
かなり不純に相手(他者)に向き合い
相手が
自分の都合のいい自己イメージで
自分のことを
受け入れ、
理解してほしい…というような
かなり
身勝手な願望で
接していると思いますよ!・・・・ヤレヤレ!
だからこそ
そういう
双方の思いが時にぶつかっり
錯綜したりして
トラブルになるのです。
人間は
自分のすべてを意識することなど
できません。
だからこそ
トラブルに直面した時こそが
自分が無意識にやっていることに
気づけるチャンスなのです。
そしてその時こそ
勇気をもって
無意識の中にある
自分の自我のよごれや
歪みを修正してゆく。
ありのままの自分でいいというのは
自分の中には
自我の歪みや汚れやある
ということを
自覚して
受け入れるということです。
そして
自分がそれに直面した時は
ちゃんとそれに向き合い
そして
修正していく。
そういう勇気と率直さと行動力こそが
やがては
素直で純粋で清らかな自分の泉へと
戻ることができる
ということです。
そういう人こそが
ありのままの自分を生きているひとです。
ありのままの自分を
肯定できる
と
いう人ですね。
私のカウンセリングを受けた人に
私がいう
「そのままでいいよ!」
という言葉には
「そのままのあなただからこそ
きっと
直面するでしょう。
でもその時
勇気をもって
自分と向き合うことも
解決できる力も
もうあなたは
持っている。
だから
そのままの自分で
ドンドン直面していきてお行きなさい
それはきっといつか
あなたのたからものになる。」
という信頼が
こもっています。
そういうことなんだね!

by denshinbashira
| 2015-04-21 14:20
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