ありのままの自分とは!その2 |
ドンドン動物的な自分になってしまう。
それはどうしても
理性より
本能的な欲求の方が
強いからです。
なかでも
感情のコントロールができないと
どんどんそっちの方へと
持って行かれる。
そっちというのは
動物的なほうへ
と
いうことです。
しかし
感情をコントロールしすぎると
今度は
生命力が奪われてしまうから
その辺のバランスが
難しい。
しかし私はある時から
感情をコントロールするのも
煩わしいし
いっそのこと
感情を
捨ててしまうのが
いちばんいいと
思うようになりました。
つまり
不用な感情は
どんどん捨ててしまうのです。
あゝこの感情も
いらない!
と思ったら
捨ててしまう。
そういうう風に
自分の生き方を
変えました。
私もいろんなことがあって
大変な人生でしたが
そういう風に捨てた感情の中でも
思い切って
振り切って捨てたのが
<愛されたい>という感情です。
人間の本能は
誰かに愛されたい
受け入れてもらいたい
承認されたい
という感情に満ちています。
困ったことに
そういうものを無意識に抱え込んで
さまようのです。
でもあるとき
そういう風に彷徨う自分を
捨てました。
なぜなら
人間の誰もが
他者から愛されたいと
思っているならば
では
誰が
他者を愛そうとおもっているか?
断っておきますが
恋愛において
相手を愛しているというのは
本能的な性欲や所有欲が働いて
自分が愛されたいという
特定の個人への執着の
裏返しですからね。
人間の心理と感情のベクトルが
愛されたいへと
むかっている限り
他者を
愛そうと思っている人間は
ほとんどいない
ということが
分かったからです。
ほとんどの人間は
自分が愛されることばかりしか
頭にない。
だからこそ
その愛情の奪い合いに
人間は
明け暮れる。
もう
そういうものは
私には
いらない!
と捨てました。
だからと言って
ひがむことも
ねじくれることも
ありません。
あっさりと
ポイ
したのです。
なんという
清々しさ
なんという
アッケラカンさ。
ないものは
求めない!
実は人間の現実は
こういう風に
ないもの(幻想)を
求めて
さまようという
現象であり
だからこそ
そこに
苦しみの本質があります。
特に感情は
無意識の自分を乗っ取って
独りよがりに
貪欲に
自分が満たされることばかりを
求めます。
しかし
その
求めるということこそが
煩悩なんだ・・・ということです。
そういうことが
分かってくるには
やはり
たくさん直面して
自分とはなにか
人間とはなにか
を
理解していくことですね。
自分が
煩悩から解放されていくこと。
そこには
求めない、
捨てる
ということの
パラドックスの極みが
あります。
求めないことで
自分が執着から
解放される。
自分を執着から
解放している人間こそが
愛されていきます。
※人間は執着がつよい人間を
敬遠します。
捨てることで
こころが軽くなり
今度は別の次元で
より満たされてくる。
※ 心の空間が広がることで
心に余裕ができ。視野の広がりとともに
本当に自分を満たしてくれるものがなにか
分かってきます。
愛されなくてもいい!
でも
愛することは
捨てない!
これが私が
意識的に設定した
感情の
べクトルです。
そして私の
愛するということは
執着でも
所有でもなく
いっしょに生きる人間を
そのまま
つまり
そのありのままの姿を
<眺めている・・・>と
いうことです。
ありのまま
<受け入れる・・・>というのは
神様や
仏様の
領域で
人間である私にできるのは
そのまま
眺めているくらいしか
できません。
それでいいと
思っています。

眺めてる!

