ありのままの自分とは!その3 |
白いカラーの花を見ていたら
大好きな画家の
<オキーフ>を
思い出しました。
これが92歳のオキーフ嬢です。


わたしもこんな顔になりたいと
いつも
憧れます。
彼女は晩年を
白い骨と石に囲まれ
質素で簡潔な
日干し煉瓦の家で過ごしました。
それは砂漠の中にある
ニューメキシコのアキュビューという村で
白い骨は
彼女の感情の無機化であり
しかし実は
その奥にある豊穣な感情が完結され
<完成されたる無機>の
世界です。
石は、
彼女の人生の障害がもう
障害ではなくなり
遊びとユーモアに転化した世界だと
私は思っています。
さて
前回私は
「愛されたい」という感情を
ポイし
愛されなくてもいい!
でも
愛することは
捨てない!
愛するとは
いっしょに生きる人間を
そのまま
<眺めている・・・>と
いうことです。
と書きました。
以前にも書きましたが
人間は
愛されているからこそ
生きることを続けられるのです。
人間は生まれた瞬間から
他人との関係におかれますから
そこでは様々に
葛藤が起きます。
中でも
自分が生きるためのセキュリティーとしての
危機的なことは
しっかりと記憶されていきますが
さして危機でもないことは
忘れられて行きます。
つまり覚えておかなくても
それは、ごく当たり前に
普通に与えられるからです。
だから
生命活動が持続されているということが
実は
愛されているのですね。
しかし
人間は、もっと強欲ですから
抱きしめられるように
愛されたい
こころが
喜びで満ちるように
他人から満たされたい・・・とか
自分の存在を他者から受け入れ
さらに
自分の能力を
認知、
承認されたい
という
まあ、身勝手な願望を
持つのですね~・・・苦笑!
それは一つには
そういう状態であれば
自分は危機ではなくなりますから
心理的な安心、
安定を得られるからですね。
さらに
自分の存在を他者から
肯定してもらえれば
自分の優越すら感じられて
心地よいものですからね。
しかし
現実は
みんなが
無意識の裡に
そう思っているのですから
そういうことを得ようとすると
どうしても
エネルギーの奪い合いになります。
まあ、実際
不毛で
愚かしい争いです。
だから私は
いちぬけたぁ~!
でいいです。
でも
私は愛されていると思います。
雲にあいされ
空に愛され
風にあいされ
花にも愛され
そして
人間に
愛されていると
思います。
何でもないひとにも
なんの関係もない無関係なひとにも
愛されていると
思います。
愛されるとは
所有されることでは
ないのです。
そういう風に
何気ないことが
空気のように
そこに現象があり
穏やかなまなざしが
あるということです。
この絵は
私の好きなもう一人の画家である
ワイエスの絵です。

ワイエスは
手足に麻痺の障害を持つ
クリスチーナ・オルソンと
弟のアルバッロの日常を
30年にわたって
描きました。
強烈なものはありません。
ただただ
そこには
両親から姉と弟に残された
セント・ジョージ川河口にある
古い船員向けの宿屋を守りながら生きる
二人を
ただただ、
眺めている
ワイエスのまなざしが
あります。
そういうまなざしが
風であり
空であり
私たちの凡庸な日々を
見守っています。
自分は
なにに充足するか。
いつも
そういう風に
生きてます。

いきてるよ~!
昨日と今日の記事、かなりガツンときました。
親に、承認されたい、愛されたい。
親のために頑張る自分を受け入れほしい。
そう思ってきました。苦しかった。
でも、今の私は小さい頃の私ではないし、
もう手放そう。最近やっとそう思えてきました。
このブログのおかげです。
今回の記事は、そういった一連の流れをなぞるようで、
ストンと腹におさまりました。
すると、悲しみが広がり、ついで不安と怒りがきました。
では、今までの頑張りは無駄だったのだと。
小さい頃から張り詰めていた緊張は、無い物を求めてだったのだと。でも、そうしないと生きていけなかったじゃないか。
そして、これからの規範を失ったような、今までのやり方はダメなんだなという不安と。
いつもありがとうございます。
また、考えてみようと思います。
これからがあなたの人生の本番です!!

