2015年 04月 24日
ありのままの自分とは!最終回 心が溢れている! |
人間というものは
つくづく不可思議なものだなあ~と
思います。
それは
その人の姿のすべてが
そこに
顕れているのに
その人間の意識は
自分を隠そう
あるいは
取り繕うとすることです。
つまり
他者にその全身と表情を
さらしているのに
自分を隠せると
思っているところです。
どこをどのように
隠そうというのでしょうか。
もう全部をそこに
さらしているのにもかかわらず
意識は
自分を脚色しようと
する。
そのことの無駄を
そのことの滑稽を
人間はなんとも思わないのが
不思議です。
人間はいつも
自分のすべてを溢れさせながら
生きているのに
意識だけが
自分の都合のいいように
自分を見せようとする。
他者の目にみえるのは
そのひとが
そこに表わしているすべてです。
だから
其の人間が
自分を取り繕い
自分を都合のいいようにみせようとすると
それは
そのまま
自分を取り繕い
自分の都合にいいように
見せようとしている人間に
見えるのに・・・・です。
おかしいね~!
自分をさらすのですよ。
だって
もともと
自分をさらして生きているのだもの!
ありのまま
というのは
そういう風に
自分は全身をさらしながら
全霊で生きているんだと
いうことだと
私は思うよ。
この写真は前回と同じワイエスが描いた
クリスチーナです。

なんだかちょっと怖いね。
でも
ここには
彼女の孤独も
悲しみも
怒りも
呪いも
そしてあきらめも
すべてが溢れている。
それを
画家の目は
見逃さない。
私はこの絵を
美しいと思う。
クリスチーナの人生に感動する。
きっと
ワイエスも
美しいと思ったのだと
思う。
そして
これはワイエスとクリスチーナが
談笑している写真です。

この絵はキャシーーという
黒人の少女。入学式の晴れ着を着ている。

はにかんでいる少女

これは
口をトンがらかして
いる
キャシー。

この絵の中にも

この絵の中にも

この絵の中にも

沈黙の中に画家のまなざしがあり
それは厳しく眺める目
見逃さない目だけれど
優しい。
そういう風に
人間を
愛している。
そういう風に
私たちは
愛されている。
そういう風にね。

愛されている
ね!
つくづく不可思議なものだなあ~と
思います。
それは
その人の姿のすべてが
そこに
顕れているのに
その人間の意識は
自分を隠そう
あるいは
取り繕うとすることです。
つまり
他者にその全身と表情を
さらしているのに
自分を隠せると
思っているところです。
どこをどのように
隠そうというのでしょうか。
もう全部をそこに
さらしているのにもかかわらず
意識は
自分を脚色しようと
する。
そのことの無駄を
そのことの滑稽を
人間はなんとも思わないのが
不思議です。
人間はいつも
自分のすべてを溢れさせながら
生きているのに
意識だけが
自分の都合のいいように
自分を見せようとする。
他者の目にみえるのは
そのひとが
そこに表わしているすべてです。
だから
其の人間が
自分を取り繕い
自分を都合のいいようにみせようとすると
それは
そのまま
自分を取り繕い
自分の都合にいいように
見せようとしている人間に
見えるのに・・・・です。
おかしいね~!
自分をさらすのですよ。
だって
もともと
自分をさらして生きているのだもの!
ありのまま
というのは
そういう風に
自分は全身をさらしながら
全霊で生きているんだと
いうことだと
私は思うよ。
この写真は前回と同じワイエスが描いた
クリスチーナです。

なんだかちょっと怖いね。
でも
ここには
彼女の孤独も
悲しみも
怒りも
呪いも
そしてあきらめも
すべてが溢れている。
それを
画家の目は
見逃さない。
私はこの絵を
美しいと思う。
クリスチーナの人生に感動する。
きっと
ワイエスも
美しいと思ったのだと
思う。
そして
これはワイエスとクリスチーナが
談笑している写真です。

この絵はキャシーーという
黒人の少女。入学式の晴れ着を着ている。

はにかんでいる少女

これは
口をトンがらかして
いる
キャシー。

この絵の中にも

この絵の中にも


沈黙の中に画家のまなざしがあり
それは厳しく眺める目
見逃さない目だけれど
優しい。
そういう風に
人間を
愛している。
そういう風に
私たちは
愛されている。
そういう風にね。

ね!
by denshinbashira
| 2015-04-24 06:04
| カウンセリングノート
|
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