自分の中の他者たち・・・最終回、使命感を持つ! |
「あなたですか、
さっきから霧の中やらで
お歌いになった方は」
「ええ、私です。またあなたです。
なぜなら私というものもまた
あなたが感じているからです。」
「そうです、ありがとう、私です、またあなたです。
なぜなら私というものもまた
あなたの中にあるのですから。」
これは宮澤賢治の童話
「マグノリアの木」の中にでてくる会話です。
厳しい山谷を越えてきた諒安という青年が
ふと振り返ると
その越えてきた山谷いちめんに
真っ白なマグノリアの花が咲いています。
その時歌が聞こえてきて
子供らがあらわれ
さらに自分と同じくらいの人間が
表れます。
そして
冒頭の会話になるのです。
それは
ずいぶん険しいところを超えてきた諒安が
やっとたどり着いた善の世界であり
マグノリアの木は
<寂静印>という涅槃の地、
悟りの境地を
象徴しています。
そのマグノリアの花びらは
天の山羊の乳より
しめやかで、
その香りは尊いひとを
讃えています。
賢治が対話しているのは
自分の中にいる他者であり
その他者には
自分が映し出されています。
賢治はそれを見事に
わたしであり、あなたであり
それは
自分が感じ取ったものであると
書いています。
その感じ取ったものが
私にの中の他者になり
私も私の中の他者と
ともに手を携えて
人生という山谷をこえてきて
今,諒安は
覚者の善の中にいます。
覚者の善とは
マグノリアの木にもあらわれ、
けわしい峯のつめたい巌にもあらわれ、
谷の暗い密林もこの河がずうっと流れ
氾濫するあたりのたびたびの革命や
飢饉や疫病も
それを超えていく人間に表れる
善です。
つまり
私たちは
常に他者との関係の中に起きる
現象の中で
生き
それらを乗り越えて
到達しようとするのは
無意識に
自分が
善を目指しているのです。
だからこそ
自分が自分の人生を
どのように
他者とともに創り出すか
ということが
常に
問われてくるのです。
それは
偽善的に
御しやすい人間関係を
創り出すことではありませんし
いい人になることなどでは
ありませんよ。
そんなことは
どうでもいいのです。
そうではなく
自分の人生に
<使命感>を持つことだと
私は思っています。
人間は<使命感>を持って生きないと
グサグダに生きてしまいます。
このシリーズで
一番最初に書いたように
本能的、動物的、感情的な脳の方が
理性の脳より強いのです。
放縦とは
そういう脳にまかれて生きてしまうことです。
そうではなく
意識的
理性的に
自分の生き方や人生を
創り出していくことが
とても大切だと
思います。
そして使命感とは
大仰で大げさなことではありません。
ボランティアをするとか
自己犠牲的精神を
発揮するとかでも
ありません。
自分の意識の根底に
自分を全肯定し
自分の存在に意味と意義をもち
生きることを
十全にまっとうすることです。
つまり
生き生きと生きるということです。
決して否定的に
生きない!!
自分は
自分が幸福になることを
願っているのです。
誕生と存在は
そこに肯定=生き生きと生きるためにこそ
始動するのですからね。・・・・。
自分の人生に責任を持ち
自分の生き方を
ないがしろにしない。
ながいものにまかれたり
いい加減にあきらめたり
いつも受け身で生きたり
中途半端に妥協したり
して
自分を粗末に扱わないことです。
自分に起きることを
しっかりと受け止め
そこに起きることを
解決してゆく
或いは
乗り越えてゆくことです。
自分を卑俗にするものと
戦う!
自分の中に
生きる価値=魂を
見いだすことです。
それは
自分のためでもあり
他者のためでもあり
社会のためでもあり
大げさにいうと
すべての人間のためにでも
あるのです。
すなわちこの世とは
すべて
自分と他者とが
創り出す世界だからです。
すべての人間に責任があります。
すべての人間は
自分の人生を善きものにする
義務があります。
自分ひとりでいきているのではない
自分には
自分の人生を全うする
義務と使命感が
あるのです。
ひとりひとりの人間が
どれほどけわしい中を生きているか
さらに
どんなひとの中にも
密度の濃い
深い自己葛藤のドラマが
あります。
それは
他者には
わかりえない
その人だけしか
わかりえない人生のドラマです。
しかし
その
ひとりぼっちの世界を
ひとりボッチと
憐憫しないで
逆に
それこそが人間の原点であると
胆に叩きこんで
了解し
そういうひとりボッチを
熟知したうえで
人間とはそういうものだと
承知し
みんなと
自分を
わかちあっていくのです。
鏡に映しだすように
自分の中の他者を
見つめ
それにおぼれず
解決していくのです。
知恵と理性を
使いこなす。
自分の中の
否定的自分や
攻撃的自分や
嫉妬する自分
いじける自分を
追い出して
そうではない
誇りと使命感にみちた
意識を持って
自分を
変えていくのです。
これまでの歴史は
否定から始まる想念や観念のなかに
ありました。
いまだに多くの人間は
まず
否定から入ります。
それは
他人を恐れ
不安と心配ばかり
シュミレーションする
自分です。
でもね
それは
ほんとうの現実を
見極められないから
そうなるのですよ。
しかし
私たちは
肯定されているからこそ
ここに
存在しているのですぞ。
人間は常に
自由と平和と博愛と求め
だからこそ
デモクラシーまで
辿りついたのです。
話をもとにもどしましょう。
<使命感>をもつとは
偽善的な良い人間になることでは
ありません。
そういうことこそ
いやらしいことです。
そうではない
まずは自分に正直になることです。
そして
懸命に生きる。
自分のネガチィヴな感情と
戦う。
自分の中に起きる
善きことも
悪しきことも
醜いことも
すべてが
いつかは
覚者の善へとなりうるの
です。
人生はすべて
善へと向かって流れています。
自分が生きていることには
意味があり
価値があり
役割が
あるのです。
だから
その使命感をもち
さらに
自分だけではなく
他の人間たちのためにも
生きるのです。
使命感を持つこそが
自分と他者と
止揚していく道です。
自分と他者との対立を
さらに
高次元で
統合するのです。
そのためには
自分の中に棲みこんだ
否定的な自分と
戦う必要が
ありますよ!
出ていけ・・と
追い出す必要が
あります。
そしてそこを
更地にして
家族の
夫の
子供の
仕事の
他者の
その存在の中に
自分と同等な
息吹を感じ
その息吹と一緒に生きる。
だからと言ってそれらに
迎合するのでは
ありませんよ。
孤独でも
孤立しても
それを自分が選ぶなら
それでいいのですからね。
ただ、
ささやかな他者のために
社会のために
この世にために
自分を
ささやかに
ギフトする。
ずべての人間の
その人生は
あなたは
どういきるの?
と
問われている。
自分の籠っている殻を破り
自分の可能性をみつけ
行動していく。
最後に
脳と体の中に
エネルギーが起き
走っていく入口は
感覚入力です。
つまり
私たちの脳と体の
五感やセンサーをとおして
入力し
エネルギーが立ち上がります。
そのエネルギーが
行動を通して
外へと出ていきます。
だから
行動しないで
自分を抑制していると
それがストレスになり
さらにマイナスのスパイルになり
生命力が落ちていきます。
しかし
行動すると
エネルギーはぬけてゆき
もうそのことは
ドンドン消えていき
こころも体がすっと楽なります。
怒りや
呪いや
悲しみをため込まないで
吐き出すと
それだけで
ずいぶん
心身が軽くなり
気分もよくなります。
嫉妬も消えていきます。
どうぞ
段ボールをたたいて
そう言う感情を
追い出してください。
そして
行動することにより
新しい展開や出会いが
生まれてきます。
そこに
自分の可能性が生まれてくるのです。
人間は
自分の可能性に気づくと
とても元気に
生き生きとしだします。
反対に可能性をふさがれるから
苦しいのです。
自分の中から
自分を脅したり
否定したり
他人への疑心暗鬼になる
自分の中に
棲みこんだ他者の生き方
他者の価値観
他者の不安を
どうぞ
追い出して
けわしくとも
使命感にみちて
あきらめず
挑戦して、
はつらつと
いきてください。
そういう姿を見るのが
私は
とても
嬉しいです。

ありがとうございます。

