大島渚作品「愛の亡霊」! |
<大島渚と小津安二郎>に向けて
村上浩康監督と打ち合わせをしました。
この対談のために大島作品を
連続して見ましたが
もう
疲れ果てました。
大島渚が突き付けてくる
メッセージの重さや濃度にです。
大島渚が、その手を一切緩めることなく
見る者の内部世界の闇を
容赦なく開いていきます。
それを
なんとか受け止めようと
彼が突き付けてくる
彼の理念の背景にある
近代における
・自由とはなにか
・人権とは何か
・人間およびその性とは何か。
そして
この日本という国の
・本質と偽善とはなにか
・人間の闇とはなにか。
などなどを受け止めようと
考え続けました。
人権という理念が生まれた
デモクラシーの元の元の
市民革命までさかのぼり
近代のなかに生きるとは何か
その理念や思想性をも
いわば社会学の範疇までも視野に入れなければと
いう思いで・・・です。
特に「愛のコリーダ」については
人間の性とは
そしてその完璧なる個の世界
その神聖なる個の性の世界と対峙する
国家とは人権とは。
それには
マルキド・サドや
渋沢龍彦の「悪徳の栄え」裁判までも遡り
あゝ疲れました!!
それでやっと打ち合わせまで
こぎつけたのですが。
「愛のコリーダ」の後
「愛の亡霊」という作品も
見なければと思いつつも
疲れたから
もういいかあ~と
パスしていたら
村上さんから
是非見てほしいといわれ
昨日みました!
この作品
素晴らしいです!
見終わった後すぐ
これは比類ない芸術作品だと
思いました。
思い浮かんだのは
ロダンの「地獄の門」の彫刻です。
でも
大島の世界の方が
もっと凄いような気がしました。
その気迫がもう凄い!
人間の性の世界、
そして業の世界
さらに
焼きつくされていく命の焔(ほむら)の世界であり
それらが
見事な
日本の<幽玄>の世界に妖しく包まれて
描かれています。
前作の「愛のコリーダ」の直裁性が
「愛の亡霊」では
見事に<美と妖>へと
昇華しています。
感動しました。
そして
この一作だけで
もう大島渚は
成し遂げたと
思いました。
まあ
詳しくは対談で申し上げますが
大島渚が切り開いて
まるで
芸術的な屏風にように見せてくれた
私たちの精神の底流にある
言葉にはならない
日本文化のコンテクストに
あらためて
誇りを感じました。
素晴らしいね。