シャドウなんか 消えちまえ!! |
男女の許されざる愛というのは
ほとんどが
精神的な逃げ場となっていて行きます。
そうではなく夫婦をはじめ
家族の問題や
人間関係の問題に
正面から取り組むことが
やがては
その人間の精神世界の問題をも
解決してゆく。
人間関係の
一番とったりにある
自分の孤独と孤立こそを
ドンと引き受けるようになると
もう
そんな問題など
塵や芥の類になっていきます。
つまり
男女の愛憎なんか
人間の本能の欲望であり
単に発情して
現実から逃避しようとする
姑息な逃げ場でしかないということが
分かってくるからです。
だから、
夢にでてきた私は
もうそこんところを
思想化してしまえば
後は
そういう不毛なわずらわしい
男女の愛の世界なんぞ
いりません…ということです。
そういうとこで
停滞している男なんぞは
すててしまうということです。
さて、今日は久しぶりに<シャドウ>について
書きます。
先日の夜、
以前カウンセリングをしたAさんから
電話がかかってきました。
内容は
その日、お子さんの親たちが集まる
親睦会から帰ってきたら
なんだか胸が苦しくなり
気分が落ち込んでしまったが
それが何が原因だか
わからない!でも
とても苦しいので
電話をくれたとのことでした。
お話を聞いて
あゝ、これは<シャドウ>たちに小刀で
小突かれ
針でちくちく刺されたんだ
ということが
分かりました。
Aさんは問題意識が高く
行動力があり、
それを見込まれて
お子さんの幼稚園でのリーダー的な役割を
引きうけたばかりでの
親睦会で、
彼女のことをねたんだ
<シャドウ>たちが
言葉たくみに
その攻撃や否定を含ませた会話で
彼女を<シャドウ攻撃>したと
思われます。
だからその時は感じなかったものが
その人間たちを別れたあとに
なんだか後味の悪さと
嫌な感じで
Aさんのエネルギーを奪っているのです。
Aさんに
その時の会話を再現してもらいながら
分析しましたが
すごいですね~!
いかにも
ホメ言葉のように加工して
チクリと小刀で刺しています!
<シャドウ>の人間はいつも
こういう風に
面とむかって率直な言葉を吐かず
自分があとで反撃をうけないように
微妙に
巧妙に
否定的、或いは
攻撃てき言葉を
言葉の分節のなかに入れて
相手にほうり投げます。
だからやられた人間は
なぜかわからないけれど、
別れた後に
後味のわるさや
いや~な感じがのこり
それも
私のようにちゃんと分析できればいいですが
※そういう風になるためには
<シャドウ>との戦いに
百戦練磨していないと
なかなかそれを見破れません。
たいがいの人は
原因もわからず、
また
漠然とした不安が湧いて
自分の前向きなエネルギーを奪われます。
なんとなく
・自分が悪いことをしたような
或いは
・自分がしていることに動揺がおき
・自信がぐらついて来たり
します。
<シャドウ>の人は
ほんとうに
厄介ですよ。
でもね
それはほとんどが
やっかみや妬みから出るもので
なぜその人間が<シャドウ>になるかというと
その人間こそ
●自分を怠っているからです。
※自分を生きることを
怠っているのです。
つまりやるべきことを
やっていないから
シャドウになり下がるのです。
Aさんが引き受けたリーダー的役割は
そこには、
いろいろな責任や苦労が伴います。
そして
それを覚悟で引き受ける、
人としての気概や誠実さが
必要です。
表面的には、
みんなを引っ張るカッコよさもあるかもしれませんが
そんな表面的なことなんかより
責任や苦労の方が多いに決まっています。
そういうカッコ良さなど
屁みたいなものです。
シャドウたちは
そういう苦労や責任は
引き受けたくないのです。
でも
人の上には
立ちたい!
という
きわめて
小児的な願望が
あるのです。
しかし、自分がリスクを負うのは
嫌なんですね。
シャドウの本質は
<影>ですから
ほんとうは自分に自信がなく
はっきりと
光のなかに
自分を打ち出していくことを
ビビります。
物陰に自分を隠し
その隙間から
様子を覗き
自分に危害が及ばないとわかったら
攻撃します。
いつもそういうスタンスで
人に接して生きいますから
自分ひとりになったときや
自分の家に帰ったときや
引きこもりで
自分の部屋にいる時など
その反動がでてきて
シャドウは
●おそろしく尊大になります。
いかにも
エラそうな自分に
なってしまいます。
いつも
自分を影に置き
相手に合わせ
優等生の仮面をつけて生きている
その反動が
自分ひとりになったときは
裏返って
相手より
・自分の方ができるとか
・頭がいいとか
・自分の方が正当である
或いは
・本質てきだとかいう
自分本位の正義と錯覚のなかで
●自我の<自尊心>が膨張し
尊大になっていきます。
だからこそ
そこで対人のシュミレーションを組み立て
今度会ったら
こういう風に相手を封じ込めてやろうとか
頭脳作戦をたてて用意し
自分の自己抑圧を
相手への
シャドウ攻撃によって
晴らそうとします。
ほんとうはね、
現実のなかでは巧妙に自分を
隠しているのですから
その人間は、
現実に直面することができません。
その結果として
現実の実相も
ものごとの本質も
掴むことができないのですよ。
現実に直面し
痛い思いをしたり
責任をはたしていく重圧に耐えたり
わけのわからない攻撃や
妬みの悪口や
世間の歪みとも
戦わない限り
その人間は
なにも
積み上げることが
できません。
シャドウの頭のなかにあるのは
・バーチャルで
・観念的な
・思い込みの人間世界で
いわばシャボン玉のような
現実感です。
逆に
自分を打ちだし
そこに使命感や責任感を背負い
さらに
自分や周囲の人間のために
誠実であろうと
すると
そういう戦いを乗り越えて
自分のなかに
どっしりとした
現実の手ごたえや
実相や
さらに
物事の本質が
見えてきます。
そして一番の獲得は
人間の善なる世界を
実感できることです。
シャドウ世界はその
反対の歪んだ
滅び世界です
そこには
生きる実感が希薄な自分しか
獲得できません。
だから羨望が消えません。
自分が誠実にそのことをやり遂げていくなかで
初めは理解されず
孤立することもあります(当然そうなります。)
しかしやり遂げていくな中で
時間が経るにつれ
他者たちの自分への同意や共感が
確実に
生まれてきます。
それは
自分への信頼が強くなることと同時に
他者(人間)への信頼が強化され
自分の存在そのものへの
喜びが生まれます。
これはね、
やりとげた者しか
わからない事です。
いつもシャドウで生きる人間には
とうてい
手に入らない
宝物ですよ。
自分を打ちだすことを
自分を極めていくことは
時に
満身創痍で
もう
傷だらけの自分になってしまいます。
でも
めげない!
前を向き続ける!
※私などは
もう、そういうことの連続で
だから
神経がやられてしまったのです。
でも
そこも乗り越えてきましたよ。
人生の充実は
自己防衛のシャドウなんかには
手に入らないです。
Aさんも
どうぞ
お子さんのためにも
ほかのお母さんたちのためにも
そして
自分のためにも
そういうシャドウなんかには
目もくれず
どんどん自分の能力を発揮して
やり遂げてください。
呪文はいつもの
・アッケラカン!
と
・振り向かず
・前だけをむいて
・スタスタと
とね。。
そして
シャドウなんか
消えちまえ!!
です。
ガンバレ。
くっきりと!
私の家族は、全員シャドウです。私も、長い間どっぷりシャドウに乗っ取られた生活でした。ようやく自他の分離が出来ましたが、しばらくは、毎日毎日チクリチクリとされる度に、自分の中に過敏に反応が起こり、毎日が本当にグッタリしていました。
今思えば、どこかで、受け入れられたいという甘えが絶えずあり、その為シャドウの付け入る隙だらけでした。
denshinbashira様のブログに、圧倒的に強くなれば、シャドウは攻撃出来ないとあり、強くなる方法がわからないまま、でも、ただひたすらに、今自分がしていることを肯定して、自己一致するようにしてきた結果…
いつの間にか、受け入れられたいという気持ちはなくなりました。今では、私に対して、他人のようにすごく距離をとり、かつてのようなシャドウの攻撃はなくなりました。
孤独と自立をベースに、私は、私の人生を生きている。そして、血が繋がっていても、いなくても、自分に関わりがあっても、なくても…
そして、誰に何を言われようが、逆に、誰からも何も言われなかろうが、いつか、サラサラ〜っと生きていきたい…です。
いつかそうなれますように…