シャドウなんか 消えちまえ!!その2 |
なぜシャドウ人間は
尊大になるかを
書いておきます。
・自分ひとりになったときや
・自分の家に帰って家族だけのときや
・引きこもりで
自分の部屋にいる時など
<シャドウ人間>は、
無意識のうちに
自尊心を膨張させて
尊大になります。
それは
社会や集団のフィールドで
・責任あることや
・困難なことや
・厄介なことや
・時間や手間がかかることを
回避して
自分に都合のいいように
自己防衛し
殻にこもって
生きてしまうからです。
自分をはっきりと
打ちだして
●世の中で揉まれることを
していないのです。
しかし
自尊心だけは高いのです。
言い換えると
そういう風に揉まれる体験をしていないために
自尊心たかく
いられる。
そして
●自分に甘い空間のなかでは
そうなるのです。
他者と一緒のときや
集団の中では
そういう自尊心を隠しています。
物事を成し遂げていく時の
困難さや
自分の前にある障害との戦いや
厄介で時間がかかることを
体験しないからです。
物事は一朝一夕にはいかず
日々気が遠くなるような
努力の積み重ねの中で
実りがあるということを
体験していないから
理解もできない。
その結果
あの人にできることなら
私にもできる
くらいの安直さで
向き合ってしまいます。
世のなかを舐めてしまうのですね~。
社会の事も
人間関係のことも
また
仕事を成し遂げていくことも
何等かの世界を創造することも
苦労を重ね
時に傷つき
痛い思いをしながら
戦いながら
やる
ということを体験しないからです。
物陰から(自分の殻から)
覗き見して疑似体験し
安易にわかったつもりに
なり
その頭のなかのバーチャルな世界で
処理してしまうのです。
だから
ほんとに
簡単に
安直に
尊大になれるのです。
その自尊心が
自分ひとりになった時には
解放されて
ひっくり返って
攻撃的に
でてくる。
物事は百年の計ではありませんが
大変な労力と時間をかけてしか
成し遂げることはできません。
それは
成し遂げた人間しか
分からないことです。
こういう言い方が
いいのか
悪いのか
分かりませんが
有名、無名にかかわらず
一流の人間なら
つまり熟している人間なら
そのことを
よーく心得ていると
思います。
わきまえていると
思います。
だからこそ
謙虚に謙虚に謙虚に
●地を這うように
努力する。
積み重ねていく。
物事は一日にしてならず!
不断の努力の
それを成し遂げていくのは
そこにこそ
自分という人間への
絶大なる信頼があるからです。
自分が何をめざし
何を成し遂げようとしているが
遠くに見えるからです。
だから私は
大島渚監督が
座右の銘にしていた
明石海人のことば
「深海に生きる魚族のように、
自らが燃えなければ
何処にも光はない」
に
深い共感を覚えます。
自分が光らなければ
輝けないのです。
自らのなかにあるものを
信じ
時間をかけて
磨いていく。
それは時に
いつまでも出口が見えない
孤独な仕事になるかもしれません。
何十年も下積みばかりの仕事かも
しれない。
しかし
自分の中から
輝きだしたときこそ
その輝きの向こうに
同じように苦労し戦っている
他者を見ることができます。
もし
そうなれたら
きっと
人間の厳しさとすごさを
理解できるかもしれない。
それは
同様に
自分の厳しさとすごさでもある。
だから
姑息なシャドウなんかに
なってはいけない!
シャドウなんか
消えちまえ!
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努力する。
積み重ねていく。
ここの部分が足りないのかもしれません。
地道に違う道からパン屋を目指すべきなのでしょうか。
それともこれも逃げなのでしょうか。
現実を知らない私はどう行動するべきなのか分かりません。
パンの事なら何でも知ろうとする。そして毎日でもパンを作る。そういう努力をコツコツと重ねる。10年くらいは下積みを覚悟する。そういう風に努力することだと思います。
ありがとうございます。
他人の威光を利用しようとする者、人を見下し自分は輝いているつもりでいる者、己に甘くルールを守ることすらできないのにのに子供には厳しい教師など・・・なんと周りに多いことかとあ然とします。
身近に、名誉や権威などとは無縁であるのに、凛と輝きを放っている人もいます。いつも自然体で、感謝を忘れない人です。
攻撃を受け、傷付いた様子の時もたくさんありますが、その人の輝きは変わりません。
己の責任を果たすことがどんなに困難であっても、最善を尽くしていくこと、を、その人の姿から学んでいます。
己から逃げてはいけない。
自らが放つ光は、激しく眩しいものではなく、じっ…とゆるがない光なのかと想像します。
私も自分の中を燃やしてじっと光を放てるようになりたい。。。
シャドウなんかに負けないぞ!!
自分のシャドウを知り数ヶ月たちました。
父のシャドウとも戦い1カ月たちました。
それでも、職場でボロボロになる自分がいました。
その度に、つらくなることも しばしばありました。自分は変わってないのか?と振り返ってしまうこともありました。
しかし、田下先生のブログ〝シャドウなんか消えてしまえ〝シリーズを読ませていただき
広い現実世界で、生きていくためには
いろんな人とのシャドウと 〝百戦錬磨〝していくことが必要だったのかと、ヒントをいただくことができました(^ ^)
そのとき、自分を疑うのではなく、自分こそを根拠として戦っていくことが必要だと ハッとしました。同時に、自分は順調に生きてるとOKも出せました。
いつもありがとうございます。
戦いと自分肯定の連続なのですかね?
ボロボロになっても、自分を救い出して
広い世界に出て行こうと思います(^ ^)
こうして一つずつ貴方が納得しながら生きようとすることがとても大切で嬉しいです。一つずつ体験しては考察し、経験して納得し自分の血肉にしてゆく、そういうことこそが大切なのだとおもいます。