2015年 05月 16日
シャドウなんか 消えちまえ!!その3 |
<シャドウ>とは何か。
<シャドウ>とは
深く傷ついた自尊心です。
そして
たくさんの劣等感と
自己卑下および自己抑圧が
裏返ったものです。
自分の本性(自然性)を
そのまま出して生きては
いけない
という
魔法をかけられた
人間です。
そして
それらはその人の
親やそれに類する人間から
そういう扱いをされ
感情と心理をバトンされて
そのことが
その人間の育成期のなかで
自我の記憶に
棲みこんでしまったものです。
だから自分を出さないように
仮面をかぶり
その息苦しさから
他者を<シャドウ攻撃>するのです。
しかし
人間は誰でもが
<シャドウ的世界>を持っています。
そしてそれらは
ふとしたはずみに顔をだし
その人間の感情を
乗っ取ってしまうのです。
芸能人や有名人を
シャドウ攻撃するひとが
たくさんいるのは
そういう人たちなら
公人であり、
批判をうけるのは当然でもあり
自分が反撃を受ける心配もないし
そういう人なら攻撃をして
自分の憂さをはらしても
構わない!という
甘えがあるから
彼らを上から尊大に
見下ろして
いわゆる
匿名の炎上なんてことが
起きるのです。
それくらい<シャドウ人間>は
うじゃうじゃいるのですね。
もしかしたら
右も左も
シャドウだらけかもしれないね、
この国は。
そして<シャドウ人間>は
自分を怠っていることを
棚に上げ
つまり
世の中と正面から
向き合うことも
そこで
戦うことも
傷を受けたり
リスクを負うことを
棚に上げ
成功している人間や
社会の上位にいる人間に
嫉妬して(反応して)
それらの人間を批判し
見下すことでで
スッとしているのです。
でもね、
そういう有名人も
芸能人も
ホントは
嫉妬するに値するほど
成功もしていないし
幸福でもないかもしれないよ。
上位にいるというのは
もしかしたら下位のパラドックスかもしれないし
ほんとうに自分を充実していると
ごく凡庸な日々に満足するからね。
自分の中の
<シャドウ的感情>に
乗っ取られてしまうと
その人間は
ドンドン猜疑心が強くなり
さらに嫉妬や妬みの感情と
根拠のないプライド(自尊心)が
砂に沁みる水のように
こころの中に
広がってしまいます。
最後は
体まで乗っ取ってしまいます。
体が不安定になり
もやもやしてしまいます。
だからそれを吐き出すために
攻撃をすると
心も体もスッとするのです。
<シャドウ>の問題点は
そういう自分のネガティヴな感情を
ひたすら懐に隠し
日常的には
自分を優等生やいい人間のように
偽装しながら(仮面をかぶり)
自分が攻撃しても構わないと判断した人間や
どこか弱いすきがある人間の
そのすきを見て
打撃を与えることです。
同じように
自尊心が深く傷つき
さらにたくさんの劣等感に
苛まれていても
そういう自分の攻撃性を
丸出しにしている人の方が
(時には困ったもんですが)
健康的です。
それはその人が
そういう自分を正直に
光のなかに
さらけ出しているからです。
しかし<シャドウ>の人は
そういう
間抜けなことを
しません。
自分をしっかり
懐の影のところに
隠している。
だから
根が深いのです。
始末が悪いとも言えます。
でもね~、
<シャドウ>の人間は
どこかで
うっすらと
そういう自分の攻撃性に
気が付いているはずです。
明瞭ではなくても
どこかで、確信犯の自分に
気づいているはずです。
<シャドウ>は頭が賢いから
薄紙一枚で
そういう自分に
あえて
気づかないように
しているかもしれません。
だからよけいに
仮面の下の
自分の<シャドウの姿>が
光の前に出るのを(公になるのを)
恐れ
引きこもり
防衛の鎧と仮面を
強固にしてしまうのです。
しかし自分の<シャドウ性>を
許している限り
その人はいつまでも孤独であり
他者からの承認も
受けれらません。
※ 自分で自覚的に孤独と孤立を
引きうける人は、孤独感や孤立感に
苛まれることはありませんが
そうではなく、自分の孤独を
他人へ依存しているシャドウは
どんどん孤独になり孤立する自分の環境を
自分で作り出していくのです。
<シャドウの自分>に
うすうす気づいたら
よーく
自分の内面を覗きこんでみることです。
誰のなかにも
<シャドウ>的自分は
いるはずなのです。
しかし
そういう自分を叱咤する
理性の自分もいるからこそ
<シャドウ>のような
卑怯で姑息なことをしないのです。
私の中にも<シャドウ>はいます。
ふと油断すると
嫉妬や妬みの自分が顔を
だします。
しかしそれも
ずいぶん退治しました。
<シャドウ>の感情が顔を出したとたんに
「去れ!」と追い出します。
そういう風に叱咤し、退治します。
そして祈ります。
この祈りについては次回の最終回に書きます
そして
ただ単に自分を叱咤し退治するのではなく
そういう自分の根底には必ず
・自分を受け入れてもらいたい
・自分を承認してもらいたい
という
<自己存在>の願いがあるはずです。
そういう<自己存在>を否定されるから
或いは
禁じられているから
<シャドウ>になるのですからね。
だから
シャドウの自分を脱していくには
必ず
<シャドウ>からの脱出と
<自己存在>を表に打ちだしていくこととを
セットにして
自分を立て直して
行きます。
<自己存在>を表に出すとは
自分の意志、思いを
やりたい事
自分の人生のビジョンなどを
しっかり表明し
他者へと
伝えていくことです。
さらに
自分にしかできない
<価値>を
創り出していくことです。
コツコツと自分を積み重ねながら
創り上げていくのですよ。
このことは<自分の中の他者たち>シリーズでも書きました。
自分の固有性に気づくこと
・自分の好きなもの
・自分の愛するもの
・自分が持っている使命感など
自分と
自分以外の他者たちとの
掛け橋となる
自分の、他者への贈り物>を
見つけ
創り出していく。
それは仕事であるかもしれないし
そのほかのことであるかもしれないし
自分を打ちこむことができるものを
探してごらんなさい!
<シャドウの悲しみと絶望>は
他者と自分とが
繋がっていないということです。
自分は日陰にいて
他者は日向にいる
という
歪んだ思い込みが
自分と他者とを遮断しているのです。
でも
それも
<自己存在>の価値に
目覚め
自分の価値と使命を
・具体的に産み出し
・行動し
・ギフトしていかなければ
永遠に
繋がれません。
最後に
自己存在の価値を
創り出していくこととは
それが何であるかは
自分で
自分をよーく自分を見つめ」
自分の姿を思い起こし
自分で考えることですね。
そういう作業こそを
してごらんなさい!
人生を創造的に
創り出していく!
それは
あなたが
人生から
問われている!
人生が
あなたに
問いかけている。
どうだろう!
もう
<シャドウ人間>なんかから
脱出していこう!
ぞんぶんに光を
浴びよう!

みんな朝の光に顔をむけてる!
※非公開のコメントは
お受けしていません。
<シャドウ>とは
深く傷ついた自尊心です。
そして
たくさんの劣等感と
自己卑下および自己抑圧が
裏返ったものです。
自分の本性(自然性)を
そのまま出して生きては
いけない
という
魔法をかけられた
人間です。
そして
それらはその人の
親やそれに類する人間から
そういう扱いをされ
感情と心理をバトンされて
そのことが
その人間の育成期のなかで
自我の記憶に
棲みこんでしまったものです。
だから自分を出さないように
仮面をかぶり
その息苦しさから
他者を<シャドウ攻撃>するのです。
しかし
人間は誰でもが
<シャドウ的世界>を持っています。
そしてそれらは
ふとしたはずみに顔をだし
その人間の感情を
乗っ取ってしまうのです。
芸能人や有名人を
シャドウ攻撃するひとが
たくさんいるのは
そういう人たちなら
公人であり、
批判をうけるのは当然でもあり
自分が反撃を受ける心配もないし
そういう人なら攻撃をして
自分の憂さをはらしても
構わない!という
甘えがあるから
彼らを上から尊大に
見下ろして
いわゆる
匿名の炎上なんてことが
起きるのです。
それくらい<シャドウ人間>は
うじゃうじゃいるのですね。
もしかしたら
右も左も
シャドウだらけかもしれないね、
この国は。
そして<シャドウ人間>は
自分を怠っていることを
棚に上げ
つまり
世の中と正面から
向き合うことも
そこで
戦うことも
傷を受けたり
リスクを負うことを
棚に上げ
成功している人間や
社会の上位にいる人間に
嫉妬して(反応して)
それらの人間を批判し
見下すことでで
スッとしているのです。
でもね、
そういう有名人も
芸能人も
ホントは
嫉妬するに値するほど
成功もしていないし
幸福でもないかもしれないよ。
上位にいるというのは
もしかしたら下位のパラドックスかもしれないし
ほんとうに自分を充実していると
ごく凡庸な日々に満足するからね。
自分の中の
<シャドウ的感情>に
乗っ取られてしまうと
その人間は
ドンドン猜疑心が強くなり
さらに嫉妬や妬みの感情と
根拠のないプライド(自尊心)が
砂に沁みる水のように
こころの中に
広がってしまいます。
最後は
体まで乗っ取ってしまいます。
体が不安定になり
もやもやしてしまいます。
だからそれを吐き出すために
攻撃をすると
心も体もスッとするのです。
<シャドウ>の問題点は
そういう自分のネガティヴな感情を
ひたすら懐に隠し
日常的には
自分を優等生やいい人間のように
偽装しながら(仮面をかぶり)
自分が攻撃しても構わないと判断した人間や
どこか弱いすきがある人間の
そのすきを見て
打撃を与えることです。
同じように
自尊心が深く傷つき
さらにたくさんの劣等感に
苛まれていても
そういう自分の攻撃性を
丸出しにしている人の方が
(時には困ったもんですが)
健康的です。
それはその人が
そういう自分を正直に
光のなかに
さらけ出しているからです。
しかし<シャドウ>の人は
そういう
間抜けなことを
しません。
自分をしっかり
懐の影のところに
隠している。
だから
根が深いのです。
始末が悪いとも言えます。
でもね~、
<シャドウ>の人間は
どこかで
うっすらと
そういう自分の攻撃性に
気が付いているはずです。
明瞭ではなくても
どこかで、確信犯の自分に
気づいているはずです。
<シャドウ>は頭が賢いから
薄紙一枚で
そういう自分に
あえて
気づかないように
しているかもしれません。
だからよけいに
仮面の下の
自分の<シャドウの姿>が
光の前に出るのを(公になるのを)
恐れ
引きこもり
防衛の鎧と仮面を
強固にしてしまうのです。
しかし自分の<シャドウ性>を
許している限り
その人はいつまでも孤独であり
他者からの承認も
受けれらません。
※ 自分で自覚的に孤独と孤立を
引きうける人は、孤独感や孤立感に
苛まれることはありませんが
そうではなく、自分の孤独を
他人へ依存しているシャドウは
どんどん孤独になり孤立する自分の環境を
自分で作り出していくのです。
<シャドウの自分>に
うすうす気づいたら
よーく
自分の内面を覗きこんでみることです。
誰のなかにも
<シャドウ>的自分は
いるはずなのです。
しかし
そういう自分を叱咤する
理性の自分もいるからこそ
<シャドウ>のような
卑怯で姑息なことをしないのです。
私の中にも<シャドウ>はいます。
ふと油断すると
嫉妬や妬みの自分が顔を
だします。
しかしそれも
ずいぶん退治しました。
<シャドウ>の感情が顔を出したとたんに
「去れ!」と追い出します。
そういう風に叱咤し、退治します。
そして祈ります。
この祈りについては次回の最終回に書きます
そして
ただ単に自分を叱咤し退治するのではなく
そういう自分の根底には必ず
・自分を受け入れてもらいたい
・自分を承認してもらいたい
という
<自己存在>の願いがあるはずです。
そういう<自己存在>を否定されるから
或いは
禁じられているから
<シャドウ>になるのですからね。
だから
シャドウの自分を脱していくには
必ず
<シャドウ>からの脱出と
<自己存在>を表に打ちだしていくこととを
セットにして
自分を立て直して
行きます。
<自己存在>を表に出すとは
自分の意志、思いを
やりたい事
自分の人生のビジョンなどを
しっかり表明し
他者へと
伝えていくことです。
さらに
自分にしかできない
<価値>を
創り出していくことです。
コツコツと自分を積み重ねながら
創り上げていくのですよ。
このことは<自分の中の他者たち>シリーズでも書きました。
自分の固有性に気づくこと
・自分の好きなもの
・自分の愛するもの
・自分が持っている使命感など
自分と
自分以外の他者たちとの
掛け橋となる
自分の、他者への贈り物>を
見つけ
創り出していく。
それは仕事であるかもしれないし
そのほかのことであるかもしれないし
自分を打ちこむことができるものを
探してごらんなさい!
<シャドウの悲しみと絶望>は
他者と自分とが
繋がっていないということです。
自分は日陰にいて
他者は日向にいる
という
歪んだ思い込みが
自分と他者とを遮断しているのです。
でも
それも
<自己存在>の価値に
目覚め
自分の価値と使命を
・具体的に産み出し
・行動し
・ギフトしていかなければ
永遠に
繋がれません。
最後に
自己存在の価値を
創り出していくこととは
それが何であるかは
自分で
自分をよーく自分を見つめ」
自分の姿を思い起こし
自分で考えることですね。
そういう作業こそを
してごらんなさい!
人生を創造的に
創り出していく!
それは
あなたが
人生から
問われている!
人生が
あなたに
問いかけている。
どうだろう!
もう
<シャドウ人間>なんかから
脱出していこう!
ぞんぶんに光を
浴びよう!

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by denshinbashira
| 2015-05-16 05:04
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