2015年 05月 19日
日本は戦争ができる国になるのか。その1 |
「集団的自衛権」を閣議決定し
とうとう日本は戦争ができる国へと
なってしまいそうです。
実をいうと
私はこういう世事については
なるべく口を閉ざしたいという
気持ちがあります。
それは、
近代、および現代の歴史の流れを
定点カメラのように
私自身を基軸に見渡した時
おそらく私が感じ、考えていることは
凡そ、一般に理解されないだろうという
思いがあるからです。
だから
そのことを
書くか、書かないでおくか
については、
ずいぶん迷うのですが
一応書くことにしました。
どうぞ私のほんとうに
個人的な私見ですので
それをご承知おきください。
冒頭に書いたように
定点カメラとしての私は見てきたことを
淡々と書こうと
思います。
また雑駁な説明しかできませんが
もし詳しく知りたい方は
どうぞ
自分で調べてください。
今の時代は
自分で調べようとすれば
ほとんどんを
とうとう日本は戦争ができる国へと
なってしまいそうです。
実をいうと
私はこういう世事については
なるべく口を閉ざしたいという
気持ちがあります。
それは、
近代、および現代の歴史の流れを
定点カメラのように
私自身を基軸に見渡した時
おそらく私が感じ、考えていることは
凡そ、一般に理解されないだろうという
思いがあるからです。
だから
そのことを
書くか、書かないでおくか
については、
ずいぶん迷うのですが
一応書くことにしました。
どうぞ私のほんとうに
個人的な私見ですので
それをご承知おきください。
冒頭に書いたように
定点カメラとしての私は見てきたことを
淡々と書こうと
思います。
また雑駁な説明しかできませんが
もし詳しく知りたい方は
どうぞ
自分で調べてください。
今の時代は
自分で調べようとすれば
ほとんどんを
知ることができます。
そういう意味では
ほんとうにすごいなあ~と
思います。
このところ次に対談する大島渚監督の作品を
たくさん見てきました。
その中で彼の初期の作品である
「日本の夜と霧」という作品があります。
この作品は
公開三日後に突然上映打ち切りになり
それが原因で
大島監督は松竹映画を飛び出します。
この映画は60年の安保闘争で戦った
若き青年、学生たちがテーマだからです。
つまり
政治色が濃いのです。
そこには
日本のアメリカの基地化を固定する
『日米安保条約』の締結を巡り
戦争放棄の日本をまもろうとし
アメリカに追随する日本の動向に対しての
若者たちの懸念と抵抗が生まれ
大きな安保反対運動が起きました。
この「60年安保条約」こそが
その後の日本の戦争放棄が緩んでゆく
始まりとなります。
そして残念ですが
その後少しずつ九条が実質骨抜きにされる
70年「新安保条約」
「PKO協力法」
そして今回の憲法改正に踏み込もうとする
「集団的自衛権擁立の動きはすべてが
この「60年安保条約」からが
その一歩が始まります。
そのことに対する危機意識が
当時の国民にどれだけあったかというと
残念ながら
私の目には
<眠れる国民>、
平和という、再眠術にかかっている国民のようにしか
思えません。
安保条約締結のために
十分な審議を尽くさず
国会で強硬に採決しようとする
岸内閣に対し
国会議事堂を包囲し
国会に流れ込むべく
学生のデモ隊と
国会を防備する警察とが
激しいもみ合いとなりました。
私は中学生でしたが
テレビで放映されたその様子は
当時はヘルメットなどもかぶらず
無防備であった学生へ
警棒で襲い掛かる警察の姿に
もうびっくりしました。
その時そのデモ隊の中にいた
<樺 美智子>さんが
亡くなりました。
映画では
デモの先端での激しい闘争の中があったにも
関わらず
デモの後方を流れ解散してしまった
既成政党(共産党、社会党、民社党)についての
激しい議論が交わされています。
どういうことかというと
その60年より5年遡る
1955年に共産党の「第6回全国協議会議会」
というのがあります。
それまでの反体制運動や左翼運動は
共産党へと収斂されていました。
そしてその共産党の
「第6回全国協議会」では
それまでの在野闘争に対する
大きな方向転換がありました。
つまり
四年に一度の投票でしか政治に参加することが
できないという
「間接議会民主主義」に対抗する
ゲリラ的な政治闘争としての
山村工作や火炎瓶などを使う暴力的な
反体制運動をやめ
議会の中で戦うという風に
共産党が方針転換をしたのです。
まあ、一見すると
これは、とてもまともで常識的なように
思えますが、
しかし
この議会内闘争へと闘争転換した
いわゆる議会内の体制内化した時から
実は左翼既成政党の衰退が
始まるのです。
当時の野党勢力の
共産党も社会党も
今はもうほんとうに弱小勢力でしかなくなりましたし
民社党というのは消え去りました。
そしてこの方針転換し
激しくデモで対立することをやめた
既成政党が指揮するデモ隊が
60年安保反対のデモの最前線で
条約締結を阻止しようとして
体を張り命がけで国会を突破しようと
警官と戦っている部隊を後目に
流れ解散し
そういう状況のなかで
<樺 美智子>さんが
亡くなってしまったのです。
映画はこの「六全協」以来の
左翼の流れを知らないと
よく理解できないかもしれませんね。
そしてその10年後に
その安保条約の自動更新とさらに
今度は
・在日米軍への攻撃に対しても
・自衛隊と在日米軍が共同で防衛行動を行う
という条約へと改正されたたものが
締結され
その時にまた70年安保闘争が
起きるのです。
しかし
この時学生たちはヘルメットとゲバ棒で
装備し
警官も機動隊として盾をもち
重装備して
戦いました。
そして
学生たちがなぜ戦っているのか
に対しては
いわゆる『過激派』という
体制側の通称がまかり通ってしまい
実はその「新安保条約」の中身が
どうであるかについては
ほとんどの国民は
やはり
「眠れる国民」であったのでは
ないでしょうか。
つまり
アメリカ側からみると
日本は自分たちの戦争を肯定、支持してくれる国として
・60年安保で日本はアメリカ軍のキー基地を
請け負った。
・70年安保では、今度は防衛も一緒に闘ってくれるように
なった。
さらにPKOでは
。自衛隊の海外派遣もしてくれるようになった
そして現在の
アメリカの衰退とともに
今度は
・日本周辺の戦争に限らず
・世界で一緒に闘ってもらいたい。
という風に
期待がエスカレートしてくるのは
必定で
「集団的自衛権」というお土産を
オバマさんから期待され
安倍さんはそのお土産をもって
訪米した
ということでしょう。
実は私は、
ベトナム戦争反対とともに
70年安保を戦いました。
当時は大学生でしたからね。
しかし、学生運動は
どんどん孤立化し
一部学生たちの
武力エスカレートと
内部抗争の内ゲバや
そして最後には
「連合赤軍」事件ということが
起き
残念なことに
本質からそれた処ばかりが
表面化してしまい、
彼らの本意は伝えられないまま
どんどん大衆運動から
離反していきました。
しかしそれでも
大多数の学生たちは
日本の将来を憂い
そして
憲法と戦争放棄した日本を
守ろうとしたと
思います。
今問題になっている沖縄の基地問題も
いわゆる「日米地位協定」という
犯罪を犯した米兵を
日本の警察や法で
裁けないという不平等も
この安保条約が前提です。
しかし
いつも問題になるのは
上っ面で起きる事象のことばかりです。
私から見ると
そもそも
安保条約を慎重に審議を
重ねることもなく
強行採決した自民党と
それを許した共産党や社会党の
あり方そのものが
問題であったと思います。
そこには
日本はどういう国として
世界のなかで
・存在するか
国家と国民として
・世界とどのように
対峙するか。
というビジョンがあったかどうか?
そして
60年のときも
70年のときも
あれほど激しい抵抗した学生たちの
問題提起を
過激派の跳ね上がり行動として
素通りしてきた
「眠れる大衆」は
どうなのか?
彼らは
いつ
目が覚めるのか
それとも
醒めないのかどうか?
彼らはそんなことなどより
ただひたすらに経済だけしか
見ないようにしてきたのでは
ないか?
その経済も
実質経済の六倍にも
金融マネーゲーム経済が
膨れ上がり
いつ
バブルがはじけるかわからないような
世界経済の中に
日本もいます。
それも理解しているのか?
多くの人は
日本の憲法九条を守れ
といいます。
しかし
現実というのは
そういう法規を越えたところに
あります。
いくら憲法九条を守れと言っても
また
たしかに憲法を死守しても
実際は
国際的な場で
日本人の行動は
どう見えるか・・・です。
もしかしたら
あの60年の「日米安保条約」締結の時点でもう
日本は「戦争のできる国」への一歩を
踏み出したのかもしれません。
そしてPKOにおいては
いくら日本と日本人が
「戦争放棄」の国であると主張しても
その戦争地に
一歩足を踏み入れたと同時に
それは通用しません。
さらに
相手側からすれば、
後方支援といっても
人道的支援としても
それは
<敵>でしかありません。
戦争とは
日本人の安穏さなどとは
ほど遠い
厳しい殺戮の現実です。
そんなことなど
通用しないのです。
そして問題は
今の日本という国の動向を見ている諸外国の眼に
日本と日本人が
本気で戦争を放棄している国に
見えるかどうか。
お隣の中国や韓国から日本はどう見えるか?
中東、アジアの国から日本は
どう見えるか?
欧米やロシアから
どう見えるか?
日本の国民
「眠れる大衆」は
いつ
目を
覚ますのか。
「憲法」を守り
「九条」を守るとは
そのように
「日本」と「日本人」が
存在して見せるか
です。
その具体的な姿を
どのように見せるかです。
それを
私たち一人一人が
問われていると
思います。
最後に
私の考えを書きます。
戦後の日本を
どうするかについては
そこには
複雑な国家経営と
さら
・「敗戦国」としての日本の劣位と
どうしても
・「勝戦国」欧米の顔色を伺うしかない
残念な日本の国が
あったのかもしれません。
そこには
自信を喪失した
日本と日本人の試行錯誤があり
結果として
アメリカに追随し
依存したと思います。
すべてにおいて
ことなかれの中で
生きようとする
世界の顔色を伺う日本人。
さらに
現在にいたっては
国家、つまり
国に依存することが当たり前のような
日本人にまで
成り下がっています。
かつては
その国によって
戦争に行かれされて
人を殺したのに・・・・です。
しかし反面
日本の戦後を肯定的に見れば
日本はその戦後の太平の眠りの中で
経済発展と
技術革新の国にも
なりました。
そのことを生かすことが
日本の基盤とビジョンを開き
世界への貢献になるとも
思います。
日本には
日本人でしかできない
たくさんの
美点をもっても
いるのです。
そして世界はどうであるかと
いうと
東西の冷戦が終結後は
そのバランスが崩れ
地域紛争が多発してはいますが
一方では
地球規模で考えなければならない
必然を
多くの国が承知しています。
そして今
世界中が
情報世界として
今別の次元の文化圏に入ろうとしています。
そういう中で
私はまだまだ
民族や宗教をめぐり
紛争は起きると思いますが
世界戦争のような
愚かな戦争は
もう
どの国もが
やらないだろうと思っています。
なぜなら
人間はもう
戦争の愚かさを
分かっている。
安倍さんのいうような
中国が侵略してくることもないと
思います。
北朝鮮政府の崩壊も
時間の問題でしょう。
ただただ物事が着地し
落ち着くまでには
時間がかかります。
反面
地球の異変がアチコチで
起き
世界中の協力が必要になると思います。
経済も世界規模で
金融マネーの膨張をおさえ
なんとか少しずつ
着地させていかないと
どこかでバブルが破裂したら
世界中が連鎖で
おしまいです。
少しずつですが
世界が手を携えざるをえない
地球環境になっていくと
思います。
そして問題の日本の
「眠れる大衆」は
目を覚ましてほしいです。
「目を覚ます」ということは
自分たちに都合のいいように
物事や世界をみるのではなく
客観的で
冷静で、
厳しい冷徹な視野で
自分を
他者を
日本を
世界を
◎<相対的>にみれる人間になる
ということです。
あっちから
こっちから
右から
左から
上から
下から
ありとあらゆる方向から
自分と日本と日本人を
検証できる
知的能力を
獲得する。
そして
ほんとうに
日本が戦争を放棄するなら
九条に守られているなどという
幻想も
錯覚も
すてて
ほんとうに
そのように
日本人は
行動しなければ
なりません。
まずは、
戦争をするアメリカへの
依存を
やめ、
日本独自の在り方を
打ちたてる必要が
あります。
なぜなら
いかなる戦争も
NO
だからです。
だから
アメリカの基地もいりません。
普天間も辺野古も
基地は
いりません。
そのためには
日本人が
強く
逞しく
自信に満ちて
自立する必要があります。
どうですか
そうできるでしょうか・・・?
なんて難しいことでしょう!
でもね
自分だけでも
そういう精神を目指して
いきませんか?
私はそう思いながら
このブログを書いています。
もし未来に何か事がおきたら
その時
政府の投げる投網に捕まり
政府のいいように戦争へと
持って行かれないために
或いは
みんながハメルンの笛吹のように
政府から
集団から
再眠をかけられて
ドブで溺死しないように
しっかりと
自分の意志を持ち
自分を打ちてて
世界を相対化し
自分の人生を
創造して行くことだと
思います。
物事はすべて
歴史の流れのなかにあります。
今日はほんとうに
雑駁にそれを書きました。
でも
それも
私の私見です。
自分たちの国が
どうであるかを
どうぞ
ご自分で追及し
たしかなものを
手に入れてください。

まずはしっかりと咲くことだね!
そういう意味では
ほんとうにすごいなあ~と
思います。
このところ次に対談する大島渚監督の作品を
たくさん見てきました。
その中で彼の初期の作品である
「日本の夜と霧」という作品があります。
この作品は
公開三日後に突然上映打ち切りになり
それが原因で
大島監督は松竹映画を飛び出します。
この映画は60年の安保闘争で戦った
若き青年、学生たちがテーマだからです。
つまり
政治色が濃いのです。
そこには
日本のアメリカの基地化を固定する
『日米安保条約』の締結を巡り
戦争放棄の日本をまもろうとし
アメリカに追随する日本の動向に対しての
若者たちの懸念と抵抗が生まれ
大きな安保反対運動が起きました。
この「60年安保条約」こそが
その後の日本の戦争放棄が緩んでゆく
始まりとなります。
そして残念ですが
その後少しずつ九条が実質骨抜きにされる
70年「新安保条約」
「PKO協力法」
そして今回の憲法改正に踏み込もうとする
「集団的自衛権擁立の動きはすべてが
この「60年安保条約」からが
その一歩が始まります。
そのことに対する危機意識が
当時の国民にどれだけあったかというと
残念ながら
私の目には
<眠れる国民>、
平和という、再眠術にかかっている国民のようにしか
思えません。
安保条約締結のために
十分な審議を尽くさず
国会で強硬に採決しようとする
岸内閣に対し
国会議事堂を包囲し
国会に流れ込むべく
学生のデモ隊と
国会を防備する警察とが
激しいもみ合いとなりました。
私は中学生でしたが
テレビで放映されたその様子は
当時はヘルメットなどもかぶらず
無防備であった学生へ
警棒で襲い掛かる警察の姿に
もうびっくりしました。
その時そのデモ隊の中にいた
<樺 美智子>さんが
亡くなりました。
映画では
デモの先端での激しい闘争の中があったにも
関わらず
デモの後方を流れ解散してしまった
既成政党(共産党、社会党、民社党)についての
激しい議論が交わされています。
どういうことかというと
その60年より5年遡る
1955年に共産党の「第6回全国協議会議会」
というのがあります。
それまでの反体制運動や左翼運動は
共産党へと収斂されていました。
そしてその共産党の
「第6回全国協議会」では
それまでの在野闘争に対する
大きな方向転換がありました。
つまり
四年に一度の投票でしか政治に参加することが
できないという
「間接議会民主主義」に対抗する
ゲリラ的な政治闘争としての
山村工作や火炎瓶などを使う暴力的な
反体制運動をやめ
議会の中で戦うという風に
共産党が方針転換をしたのです。
まあ、一見すると
これは、とてもまともで常識的なように
思えますが、
しかし
この議会内闘争へと闘争転換した
いわゆる議会内の体制内化した時から
実は左翼既成政党の衰退が
始まるのです。
当時の野党勢力の
共産党も社会党も
今はもうほんとうに弱小勢力でしかなくなりましたし
民社党というのは消え去りました。
そしてこの方針転換し
激しくデモで対立することをやめた
既成政党が指揮するデモ隊が
60年安保反対のデモの最前線で
条約締結を阻止しようとして
体を張り命がけで国会を突破しようと
警官と戦っている部隊を後目に
流れ解散し
そういう状況のなかで
<樺 美智子>さんが
亡くなってしまったのです。
映画はこの「六全協」以来の
左翼の流れを知らないと
よく理解できないかもしれませんね。
そしてその10年後に
その安保条約の自動更新とさらに
今度は
・在日米軍への攻撃に対しても
・自衛隊と在日米軍が共同で防衛行動を行う
という条約へと改正されたたものが
締結され
その時にまた70年安保闘争が
起きるのです。
しかし
この時学生たちはヘルメットとゲバ棒で
装備し
警官も機動隊として盾をもち
重装備して
戦いました。
そして
学生たちがなぜ戦っているのか
に対しては
いわゆる『過激派』という
体制側の通称がまかり通ってしまい
実はその「新安保条約」の中身が
どうであるかについては
ほとんどの国民は
やはり
「眠れる国民」であったのでは
ないでしょうか。
つまり
アメリカ側からみると
日本は自分たちの戦争を肯定、支持してくれる国として
・60年安保で日本はアメリカ軍のキー基地を
請け負った。
・70年安保では、今度は防衛も一緒に闘ってくれるように
なった。
さらにPKOでは
。自衛隊の海外派遣もしてくれるようになった
そして現在の
アメリカの衰退とともに
今度は
・日本周辺の戦争に限らず
・世界で一緒に闘ってもらいたい。
という風に
期待がエスカレートしてくるのは
必定で
「集団的自衛権」というお土産を
オバマさんから期待され
安倍さんはそのお土産をもって
訪米した
ということでしょう。
実は私は、
ベトナム戦争反対とともに
70年安保を戦いました。
当時は大学生でしたからね。
しかし、学生運動は
どんどん孤立化し
一部学生たちの
武力エスカレートと
内部抗争の内ゲバや
そして最後には
「連合赤軍」事件ということが
起き
残念なことに
本質からそれた処ばかりが
表面化してしまい、
彼らの本意は伝えられないまま
どんどん大衆運動から
離反していきました。
しかしそれでも
大多数の学生たちは
日本の将来を憂い
そして
憲法と戦争放棄した日本を
守ろうとしたと
思います。
今問題になっている沖縄の基地問題も
いわゆる「日米地位協定」という
犯罪を犯した米兵を
日本の警察や法で
裁けないという不平等も
この安保条約が前提です。
しかし
いつも問題になるのは
上っ面で起きる事象のことばかりです。
私から見ると
そもそも
安保条約を慎重に審議を
重ねることもなく
強行採決した自民党と
それを許した共産党や社会党の
あり方そのものが
問題であったと思います。
そこには
日本はどういう国として
世界のなかで
・存在するか
国家と国民として
・世界とどのように
対峙するか。
というビジョンがあったかどうか?
そして
60年のときも
70年のときも
あれほど激しい抵抗した学生たちの
問題提起を
過激派の跳ね上がり行動として
素通りしてきた
「眠れる大衆」は
どうなのか?
彼らは
いつ
目が覚めるのか
それとも
醒めないのかどうか?
彼らはそんなことなどより
ただひたすらに経済だけしか
見ないようにしてきたのでは
ないか?
その経済も
実質経済の六倍にも
金融マネーゲーム経済が
膨れ上がり
いつ
バブルがはじけるかわからないような
世界経済の中に
日本もいます。
それも理解しているのか?
多くの人は
日本の憲法九条を守れ
といいます。
しかし
現実というのは
そういう法規を越えたところに
あります。
いくら憲法九条を守れと言っても
また
たしかに憲法を死守しても
実際は
国際的な場で
日本人の行動は
どう見えるか・・・です。
もしかしたら
あの60年の「日米安保条約」締結の時点でもう
日本は「戦争のできる国」への一歩を
踏み出したのかもしれません。
そしてPKOにおいては
いくら日本と日本人が
「戦争放棄」の国であると主張しても
その戦争地に
一歩足を踏み入れたと同時に
それは通用しません。
さらに
相手側からすれば、
後方支援といっても
人道的支援としても
それは
<敵>でしかありません。
戦争とは
日本人の安穏さなどとは
ほど遠い
厳しい殺戮の現実です。
そんなことなど
通用しないのです。
そして問題は
今の日本という国の動向を見ている諸外国の眼に
日本と日本人が
本気で戦争を放棄している国に
見えるかどうか。
お隣の中国や韓国から日本はどう見えるか?
中東、アジアの国から日本は
どう見えるか?
欧米やロシアから
どう見えるか?
日本の国民
「眠れる大衆」は
いつ
目を
覚ますのか。
「憲法」を守り
「九条」を守るとは
そのように
「日本」と「日本人」が
存在して見せるか
です。
その具体的な姿を
どのように見せるかです。
それを
私たち一人一人が
問われていると
思います。
最後に
私の考えを書きます。
戦後の日本を
どうするかについては
そこには
複雑な国家経営と
さら
・「敗戦国」としての日本の劣位と
どうしても
・「勝戦国」欧米の顔色を伺うしかない
残念な日本の国が
あったのかもしれません。
そこには
自信を喪失した
日本と日本人の試行錯誤があり
結果として
アメリカに追随し
依存したと思います。
すべてにおいて
ことなかれの中で
生きようとする
世界の顔色を伺う日本人。
さらに
現在にいたっては
国家、つまり
国に依存することが当たり前のような
日本人にまで
成り下がっています。
かつては
その国によって
戦争に行かれされて
人を殺したのに・・・・です。
しかし反面
日本の戦後を肯定的に見れば
日本はその戦後の太平の眠りの中で
経済発展と
技術革新の国にも
なりました。
そのことを生かすことが
日本の基盤とビジョンを開き
世界への貢献になるとも
思います。
日本には
日本人でしかできない
たくさんの
美点をもっても
いるのです。
そして世界はどうであるかと
いうと
東西の冷戦が終結後は
そのバランスが崩れ
地域紛争が多発してはいますが
一方では
地球規模で考えなければならない
必然を
多くの国が承知しています。
そして今
世界中が
情報世界として
今別の次元の文化圏に入ろうとしています。
そういう中で
私はまだまだ
民族や宗教をめぐり
紛争は起きると思いますが
世界戦争のような
愚かな戦争は
もう
どの国もが
やらないだろうと思っています。
なぜなら
人間はもう
戦争の愚かさを
分かっている。
安倍さんのいうような
中国が侵略してくることもないと
思います。
北朝鮮政府の崩壊も
時間の問題でしょう。
ただただ物事が着地し
落ち着くまでには
時間がかかります。
反面
地球の異変がアチコチで
起き
世界中の協力が必要になると思います。
経済も世界規模で
金融マネーの膨張をおさえ
なんとか少しずつ
着地させていかないと
どこかでバブルが破裂したら
世界中が連鎖で
おしまいです。
少しずつですが
世界が手を携えざるをえない
地球環境になっていくと
思います。
そして問題の日本の
「眠れる大衆」は
目を覚ましてほしいです。
「目を覚ます」ということは
自分たちに都合のいいように
物事や世界をみるのではなく
客観的で
冷静で、
厳しい冷徹な視野で
自分を
他者を
日本を
世界を
◎<相対的>にみれる人間になる
ということです。
あっちから
こっちから
右から
左から
上から
下から
ありとあらゆる方向から
自分と日本と日本人を
検証できる
知的能力を
獲得する。
そして
ほんとうに
日本が戦争を放棄するなら
九条に守られているなどという
幻想も
錯覚も
すてて
ほんとうに
そのように
日本人は
行動しなければ
なりません。
まずは、
戦争をするアメリカへの
依存を
やめ、
日本独自の在り方を
打ちたてる必要が
あります。
なぜなら
いかなる戦争も
NO
だからです。
だから
アメリカの基地もいりません。
普天間も辺野古も
基地は
いりません。
そのためには
日本人が
強く
逞しく
自信に満ちて
自立する必要があります。
どうですか
そうできるでしょうか・・・?
なんて難しいことでしょう!
でもね
自分だけでも
そういう精神を目指して
いきませんか?
私はそう思いながら
このブログを書いています。
もし未来に何か事がおきたら
その時
政府の投げる投網に捕まり
政府のいいように戦争へと
持って行かれないために
或いは
みんながハメルンの笛吹のように
政府から
集団から
再眠をかけられて
ドブで溺死しないように
しっかりと
自分の意志を持ち
自分を打ちてて
世界を相対化し
自分の人生を
創造して行くことだと
思います。
物事はすべて
歴史の流れのなかにあります。
今日はほんとうに
雑駁にそれを書きました。
でも
それも
私の私見です。
自分たちの国が
どうであるかを
どうぞ
ご自分で追及し
たしかなものを
手に入れてください。

まずはしっかりと咲くことだね!
by denshinbashira
| 2015-05-19 07:22
| 人間

