2015年 05月 27日
「カラマーゾフの兄弟」より、アリョーシャの旅立ち・影をさがして! |
この物語の人物たちを
接続しているのは
三男のアリョーシャです。
カラマーゾフ一族のなかでの
一服の清涼剤のごとき
澄んだ心を持つアリョーシャが
彼らに心を痛め
なんとか彼らの仲を取り持とうと
歩き回ります。
彼らはアリョーシャだけには
心を開き
その本音を語ろうします。
だからこそイワンは彼に
自分が作った劇詩「大審問官」のことを
話し
ドミトリーもフョードルも
自分の弱さを彼に吐露します。
また長老ゾシマも
自分の信仰に大きな影響を与えた兄の
生まれ変わりのような顔をした弟子
アリョーシャを
愛しています。
しかし
そのアリョーシャは
スメルジャコフだけには
そっけないというか
ドストエフスキーが
なにも書いていないのです。
なぜなのか。
私自身も
アリョーシャとスメルジャコフの
両方の性格を考えるとき
やはり
そこには
どうしても二人がからめない
溝があるように
思います。
それは
おそらく
アリョーシャには
深い憎悪の中で苦しむ
スメルジャコフのことが
理解できないのではないかと
思うのです。
スメルジャコフの世界は
妄想が支配する
狂気の世界です。
そのヘドロが蓄積したような
底なし沼のような
複雑な憎悪の心理は
アリョーシャの単純な善良さを
越えてしまって
理解不能なのではないかと
思います。
だからこそあえて
ゾシマはアリョーシャに
自分が死んだら
修道院を出て
俗世界で生きよ・・と
告げます。
それは
俗世界こそ
影(シャドウ)が暗躍し
そこに生きる人間の闇が
ポッカリと口を開けて
人々を呑み込む世界だからです。
そこには
人間が生きる厳しい現実があるからです。
しかしシャドウ(影)は
<光>があるからこそ
シャドウができるのです。
そしてすべてのことは
光と影によって
初めて完成していきます。
光だけでは
成立できないのです。
しかし
降り注ぐ光はあっても
影はアリョーシャの中には
ない。
ないというより
まだ
気づいていないのですね。
アリョーシャはカラマーゾフ一家の
重たくてどす黒い影を
かろうじて支える光です。
しかし
あまりにも深刻なその影を
はっきり認識すると
アリョーシャは
押しつぶされていきます。
そういう時
そのどす黒い深刻さに
押しつぶされない自分を支えるためにこそ
アリョーシャは
<神の光>である信仰の世界の
修道者となろうとするのですが
しかし
それをゾシマは許しません。
なぜならゾシマこそは
人間のシャドウ(影)の世界
ほんとうの
真実を
知っているからです。
アリョーシャの澄んだ世界は
まだまだ
河の表面を流れる上澄みの世界に
過ぎないからです。
深い深い河の
ヘドロさえ浄化した
河底の澄み切った水まで
アリョーシャは到達していない。
シャドウ(影)の世界こそ
深く傷つき、
救いのない自我があります。
闇にうずくまり
自分の毒で
かろうじて自分を支えるしかない
出口のない中を
生きている人間の魂の孤立と
深い絶望があります。
スメルジャコフのように
呪いの中にいきていても
しかし
そこからさえも
人間は
無意識に
微かにさす出口の光を
探しています。
しかし
そのふさがれた闇は
その出口さえも閉じてしまうことがある。
<神の光>の中にいきるとは
そういう人間の懊悩に
自分の魂のまなざしを向けることです。
しかし
その深い深淵にある魂の孤立を
今のアリョーシャでは
到底理解できない。
アリョーシャだけではなく
人間がそれを理解するためには
人生の風雨に打たれ
たくさんの苦悩と試練をかいくぐる中で
何度もその淵からはい上がる中で
やっと
見えてくるのですね。
影の洗礼を受けていないアリョーシャは
世俗に飛び込み
影を探す旅へと
旅立たねばならない。
そうして、アリョーシャの旅が
終わるころこそ
河の表面に流れる澄んだ水ではない
深い深い河底に流れる
澄み切った水をのむことが
できる
アリョーシャの自己完成が
あるのだと
思います。
それはいつか
アリョーシャが
スメルジャコフの嘆きや悲しみを
抱きしめられるようになるときです。
だからこそゾシマは
アリョーシャを
世に放ち
影を探す旅へと
向かわせたのだと
私は思います。
小説ほど
深刻ではなくても
私たちはいつも
こういう影との戦いの中に生きています。
そういう中で
人間は
影も
光も
両方を
理解し受け入れる
眼差しを
獲得できたとき
その人間の成熟が
熟してゆくのだろうと
私は思います。
それは長い長い人生時間の中で
少しずつ降り積り
熟してゆくのだと
思います。
これで「カラマーゾフの兄弟」のシリーズは
終わりです。
ちょっとしっっこい長い文を読んで
下さり
ありがとうございました。
皆様も
疲れたでしょ。
お疲れ様でした!

みんな元気だね~1
接続しているのは
三男のアリョーシャです。
カラマーゾフ一族のなかでの
一服の清涼剤のごとき
澄んだ心を持つアリョーシャが
彼らに心を痛め
なんとか彼らの仲を取り持とうと
歩き回ります。
彼らはアリョーシャだけには
心を開き
その本音を語ろうします。
だからこそイワンは彼に
自分が作った劇詩「大審問官」のことを
話し
ドミトリーもフョードルも
自分の弱さを彼に吐露します。
また長老ゾシマも
自分の信仰に大きな影響を与えた兄の
生まれ変わりのような顔をした弟子
アリョーシャを
愛しています。
しかし
そのアリョーシャは
スメルジャコフだけには
そっけないというか
ドストエフスキーが
なにも書いていないのです。
なぜなのか。
私自身も
アリョーシャとスメルジャコフの
両方の性格を考えるとき
やはり
そこには
どうしても二人がからめない
溝があるように
思います。
それは
おそらく
アリョーシャには
深い憎悪の中で苦しむ
スメルジャコフのことが
理解できないのではないかと
思うのです。
スメルジャコフの世界は
妄想が支配する
狂気の世界です。
そのヘドロが蓄積したような
底なし沼のような
複雑な憎悪の心理は
アリョーシャの単純な善良さを
越えてしまって
理解不能なのではないかと
思います。
だからこそあえて
ゾシマはアリョーシャに
自分が死んだら
修道院を出て
俗世界で生きよ・・と
告げます。
それは
俗世界こそ
影(シャドウ)が暗躍し
そこに生きる人間の闇が
ポッカリと口を開けて
人々を呑み込む世界だからです。
そこには
人間が生きる厳しい現実があるからです。
しかしシャドウ(影)は
<光>があるからこそ
シャドウができるのです。
そしてすべてのことは
光と影によって
初めて完成していきます。
光だけでは
成立できないのです。
しかし
降り注ぐ光はあっても
影はアリョーシャの中には
ない。
ないというより
まだ
気づいていないのですね。
アリョーシャはカラマーゾフ一家の
重たくてどす黒い影を
かろうじて支える光です。
しかし
あまりにも深刻なその影を
はっきり認識すると
アリョーシャは
押しつぶされていきます。
そういう時
そのどす黒い深刻さに
押しつぶされない自分を支えるためにこそ
アリョーシャは
<神の光>である信仰の世界の
修道者となろうとするのですが
しかし
それをゾシマは許しません。
なぜならゾシマこそは
人間のシャドウ(影)の世界
ほんとうの
真実を
知っているからです。
アリョーシャの澄んだ世界は
まだまだ
河の表面を流れる上澄みの世界に
過ぎないからです。
深い深い河の
ヘドロさえ浄化した
河底の澄み切った水まで
アリョーシャは到達していない。
シャドウ(影)の世界こそ
深く傷つき、
救いのない自我があります。
闇にうずくまり
自分の毒で
かろうじて自分を支えるしかない
出口のない中を
生きている人間の魂の孤立と
深い絶望があります。
スメルジャコフのように
呪いの中にいきていても
しかし
そこからさえも
人間は
無意識に
微かにさす出口の光を
探しています。
しかし
そのふさがれた闇は
その出口さえも閉じてしまうことがある。
<神の光>の中にいきるとは
そういう人間の懊悩に
自分の魂のまなざしを向けることです。
しかし
その深い深淵にある魂の孤立を
今のアリョーシャでは
到底理解できない。
アリョーシャだけではなく
人間がそれを理解するためには
人生の風雨に打たれ
たくさんの苦悩と試練をかいくぐる中で
何度もその淵からはい上がる中で
やっと
見えてくるのですね。
影の洗礼を受けていないアリョーシャは
世俗に飛び込み
影を探す旅へと
旅立たねばならない。
そうして、アリョーシャの旅が
終わるころこそ
河の表面に流れる澄んだ水ではない
深い深い河底に流れる
澄み切った水をのむことが
できる
アリョーシャの自己完成が
あるのだと
思います。
それはいつか
アリョーシャが
スメルジャコフの嘆きや悲しみを
抱きしめられるようになるときです。
だからこそゾシマは
アリョーシャを
世に放ち
影を探す旅へと
向かわせたのだと
私は思います。
小説ほど
深刻ではなくても
私たちはいつも
こういう影との戦いの中に生きています。
そういう中で
人間は
影も
光も
両方を
理解し受け入れる
眼差しを
獲得できたとき
その人間の成熟が
熟してゆくのだろうと
私は思います。
それは長い長い人生時間の中で
少しずつ降り積り
熟してゆくのだと
思います。
これで「カラマーゾフの兄弟」のシリーズは
終わりです。
ちょっとしっっこい長い文を読んで
下さり
ありがとうございました。
皆様も
疲れたでしょ。
お疲れ様でした!

by denshinbashira
| 2015-05-27 05:45
| 「カラマーゾフの兄弟」より
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