映画・光と影の世界!その1・リュミエールから始まった! |
相通じる根源的な通奏低音とは何か?を
考えるうちに
それはシャドウ、すなわち<影>ではないかと
思いついた。
そういえば
ダルデンヌ兄弟監督の作品には
たしかにシャドウ的世界
つまり悲観的な題材をテーマにするのだけれど
不思議なことに
暗いトンネルの中を描いては
いるのだけれど
そこにはうっすらと光が射している。
しかしそれは
明るい元気な光ではない。
影に裏打ちされた
光である。
おそらく映画を作る
ダルデンヌ兄弟監督自身の中に
その光があるのではないだろうか?
つまり
ダルデンヌ兄弟監督は
・光の中のから影をみている。
反対に
小津安二郎、大島渚、イ・チャンドンは
・影の中から光をみている。
両方の極から放たれる世界を
私たち観客は享受している。
小津はいかにも
悠々と達観したようにも
みえるけれど
私には深く傷ついているようにも
思える。
高橋治氏が小津を書いた本の題名が
「絢爛たる影絵」であるのも
おそらく高橋氏がそのことに
気づいておられたからだと
思います。
大島は強烈な影を持ち
暗い深海にじっと身を潜めていたことが
逆転して強烈な光への希求となったのではないかと
おもう。
イ・チャンドンは
影を相対化できたからこそ
それが「アグネスの詩」までに
昇華できたような気がします。
そこにはスケール観のなかで
光と影が交互に射す詩の世界が
水面に浮かぶように
揺れている。
映画とは
「光と影」の世界で
映画を最初に作ったのが
リュミエール兄弟で
リュミエールとは
フランス語で光を意味する。
映画がこの<リュミエール>という言葉を
名前もつ兄弟からはじまったのは
なんという符牒であるかと
思う。
なんだかギリシャ神話みたいだね~!
そしてこの
兄弟というのが
いかにも
いいです。
光だけでもだめで
影だけもダメで
光の兄ちゃんと
影の弟が
二人で
作り上げていく世界。
人間の社会も同じで
光と影の両方が
錯綜して世界を形作っていく。
光だけでは世界は真っ白へとなってゆき
影だけでは
世界がは真っ黒になってしまう。
光と影が織り成してこそ
美しい!
私は光が好きなので
いつも
<ひかり>という言葉を
パーソナルワードにしているけれど
でも
影もいとおしい!
小津も大島ももう鬼籍に入ってしまったが
イ・チャンドン監督とダルデンヌ兄弟監督は
これから何を見せてくれるのだろう!
それともう一人
わが対談のお相手である
村上浩康監督も
である。
次回は村上博康監督作品
発表されたばかりの作品
「無名碑」の世界を
書いてみようと思います。
金属の花だけど
美しいなあ~!
● 告知です。
映画の対談のユーチューブがアップされました!
今回は大島渚監督と小津安二郎監督について
映画監督の村上浩康さんとお話します。
もう村上さんが興味深いエピソードを
たくさんお話してくれます。
どうぞ
ご覧ください。
「映画監督、大島渚と小津安二郎の世界」