ピュアなる自分を生きる!その7、小情況を生きる。 |
もうあちらへと逝ってしまった
アキオちゃんのことを
思い出した。
アキオちゃんといっても
私より年上で
しかも大学の親友の
旦那さんです。
彼はもう
純真そのものなので
私はアキオちゃんと
友達感覚で
呼んでいました。
アキオちゃんはお酒が大好きで
ある夏休みちょっと用があって
アキオちゃん、つまり親友の家へ行きましたら
(アキオちゃんは学校の先生で
夏休みは家にいるのです。)
たしか3時か4時ごろかは
忘れたけれど
彼は縁側に香取線香をつけて
ランニングシャツのまま
胡坐をかき
ふうふう汗をかきながら
団扇を煽いでいました。
どうしてそんなとこにいるの、と
聞いたら
庭の熊笹を眺めて、
風流にひたっているのだと
言いました。
そういう風に暑さをしのぎながら
時計が5時になると同時に
ビールをあけて
くい~っと
飲む!
それが美味しくて,
おいしくて、
そのためにお昼から
水を一滴も飲まず
がまんしていると
言いました。
へ~酒飲みとは
そういうもんかいな~と
少々あきれましたが
実は
初めて<養老乃瀧>という酒場に
親友と私を連れて行ってくれたのが
このアキオちゃんで
はじめて縄のれんなる店を体験し
そこで食べた
小鰯のから揚げがなんとも
おいしかったことが
忘れられません。
ホッピーなるお酒を呑んだのも
初めてでした。
そして
升で飲むお酒を注文すると
そこの給仕のおばさんが
升にあふれるほどお酒をついてでくれる。
常連客には
そういう風に
わざと溢れさせて皿にこぼして
サービスしてくれる・・・ということなど
私には未知のせかいの
世の中の酒飲みのあれこれを
教えてくれました。
当時、まだ若いお嬢さんだった・・・?
私には
もうそういう初体験が
楽しくて、楽しくて!
彼は教育大の国文科を専攻しており
古事記や万葉集の話から
彼の好きな渋沢龍彦のはなしまで
いろいろと話してくれました。
私がその官能的な美しさに惹かれた
谷崎潤一郎の「刺青」や
岡本かの子の「老妓抄」など
きわめて感覚的なる世界の話なども
アキオちゃんなら話が通じ
とてもうれしかったのです。
しかしある時
政治の話をしようと話しかけたら
かれが
「僕はね、大情況には生きない。
小情況にいきる。
だから天下国家は
論じない!」と
言いました。
大情況、
つまり
社会や世間には
まみえないで
小情況
きわめてささやかなる
自分の周辺のなかで
生きる。
と
いうことだと
思います。
しかし
彼は
14年前に
自宅の火事の煙にまかれて
あっという間に
行ってしまいました。
大好きなお酒を飲み
煙草の消し忘れの中でのこと
です。
でも
彼のこの言葉は
ずーっと
私の中に
小骨のように
突き刺さったまま
彼が亡くなったあとも
生き続けていきました。
そして
今やっと
彼のこの言葉が
リアリティーもって
理解できるようになりました。
今のわたしこそ
まさに
小情況の中に生きようしています。
考えてみれは
小津安二郎も
この<小情況で生きる>と
覚悟をきめて生きたように
思います。
だから
天下国家は論じない!
そんなものは
世の表面に浮かぶあぶくのような
小人狂気の躁的世界であり
表面に浮き立つさざ波でしかない。
しかし
世の底流の凡庸なる日常の世界は
沈黙のなかで
ビクともせず
はかり知れない時間の流れの中に
ある。
思えば
私の大好きな良寛も
まさに小情況の人でありました。
さらに
無為の世界にいきようとした良寛は
荘子や老子を読んでいたと
思われます。
荘子の書いた
「達生篇」には
世の中を棄てることで
精神が健康になると書いてあります。
つまり
小情況に生きるとは
翻って
精神が損なわれることもなく
むしろ
自分の全体性が自然に働き
イキイキといきることになる。
と
いうことを書いていますので
それを載せてみます。
夜を棄つれば則ち累いなし。
累いなければ則ち正平なり。
正平なれば則ち彼と与に更生す。
更生すれば則ち幾す。
そこで肉体のためにあくせくする事をやめたいなら、
世間を捨てる事が第一である。
世間を捨てれば、面倒なわずらいが無くなり、
わずらいが無くなれば心は正しく安らかである。
心正しく安らかであれば、広い世界とともに新しく生まれ変わる。
新たに生まれかえれば、究極に行き着いたことになる。
この境地では世事を世事として捨てるには当たらない。
そして生命を生命として忘れ去るにも当たらない。
こうして世間の事を捨ててしまうと、
肉体は疲れず、
生命を忘れてしまうと、
精神も損なわれない。
そもそも肉体が疲れないで安全に保持され
精神が損なわれなく本来のあり方に立ち戻れば、
天地自然の働きと一つになる。
お酒を愛し
風流を愛し
巷間のまっただ中で
無為の人として生きる。
つまり
はじめから終わりまで、
ただ一個の人間、
何者でもないただの人、
無のひと
(中野孝次著、「風の良寛」)より
として
良寛のように
生きようとした
アキオちゃんのその言葉が
今のわたしに
息づいてきます。
持つべきものは
友達です。
ほとんどお酒を飲めない私と
反対に酒豪の妻(親友)を
酒場なるところへ連れてってくれたこと。
楽しかったな~!
もう鬼籍の中の彼が
いかにピュアなる人間であったかを
今も思い出します。
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数日前に、アキオさんのことを書かれたブログを拝見して、何だか、とても優しく、清々しい不思議な気分になりました。
ステキな方ですね。
生きていく中で、ついつい、どうでもいいことに神経を向けてしまいかがちな私ですが、人生の喜びは、実は、とても身近なところにたくさんあるなぁと感じ、豊かな気持ちになりました。
大切なお友達のステキなエピソードを、教えて下さり、ありがとうございます。
私も、小情況の中で、自分の全てを、惜しみなく使って生きていきたいです。