放てばかえって手にあふれ! その6、比較にならない美しさ! |
「なりきってゆく」というのは
自分の中にある
<客観性>を
磨きに磨いてごらんなさい。
そうすれば
逆に
自分の主観のゆがみが
自我のバイアスが
よ~く見えてくるよ!
ということでもあると
私は考えています。
つまり自分の外にある
自分が思いこんでいる世界が
そのとおりであるか?
それとも
そうではないか?・・・を
みきわめろ!
っていうことですね。
空は空になりきっている。
だから
空は空にまかせる!
そして
仮に空になりきったら
空の気持ちがわかるだろう!
鳥は鳥になりきっている
だから
鳥にまかせる
そして
ほんとうに鳥に
なりきることができたなら
鳥の心が見えるだろう!
同じように
自分は自分になりきったとき
自分の本当の気持ちが
わかるだろう!
反対に他人は
他人に
なりきらない限り
他人の気持ちは
わからない。
なのに
どうして
やすやすと
他人の気持ちを
自分の中に
はびこらせてしまうのさ・・・?
どうして
うかうかと
他人に依存し
他人と自分を混同させて
しまうのさ!
まあ、
ここらあたりは
私、伝心柱の言葉ですが・・・・笑!
自分の中の
客観的洞察が
磨かれれば
磨かれるほど
自分の孤独は際立ってきます。
しかし
それで
いいんですよ!
人間は
ほんとうは
孤独の極みをいきているのですから、
それが
理解できてきて、
やっと
人間の普遍性が
見えてくるのです。
自分の孤独の極みを
引き受ける覚悟ができてこそ
そこから別の価値をもった自分の
あたらしい感動の日が
始まるのです。
自分の孤独の極みを
思い知ったからこそ
他者もどうように生きていることが
わかる。
自分の孤独をごまかし
粉飾しているひとたちの群れが
人間社会の表層を
蔽っていますが、
しかし
それらの幻想を
剥ぎ取ってみれば
人間は
個々の断絶を介してしか
繋がりようが
ないのです。
そのことが
よーくわかってくると、
自分が際立ち
自分が際だてば
際立つほど
他人も社会も
いかに
たくさんの
ごまかしとうそのなかで
生きているかが
わかります。
そういうものに
まかれない!
そういうものに
とりこまれない!
そのためには
覚めた眼で
客観的な目で
自分を磨きなさいと
道元はいうのです。
先日ある人が
電話で
「ピュアに生きることこそが
生きることが
生きやすく、
そして大切なのだ
ということが
よくわかりました。」
ということを
話してくださいました。
その通りです。
もう、
みんな
自分の正直な気持ちを
踏みつけて
反対に
自我の汚れの世界ばかりに
しがみついているんだもの!
それは
苦しいし
生きにくいにきまっているよ。
自我の汚れの世界は
他人の気持ちと
他人の言葉の世界です。
通俗的な欲が満載された
世界ですよ!
通俗的な欲といえば
先日テレビを見ていたら
安住アナウンサーと
某女性作家が京都のグルメ旅を
していました。
私は京都が大好きで
さらに
美味しいお店があるなら知りたいと
思い
つい
見てしまいましたが
見ているうちに
気分が悪くなってしまいました。
300万のケリーバッグを抱え
一切れ3万3千円のひれステーキや
なんだかお金持ちしかいけないという
中華屋さんとか天ぷら屋さんを
紹介して
さらに
その作家が落ち込んでいるとき
彼女の娘さんからは
「猫とグルメを書いときゃ~売れるのよ」
といわれたと言っていました。
そして1万6千円もする<カツサンド>と
ロマネコンティのワインをもって
嵯峨野にある
瀬戸内寂聴さんの所へ行き
それを三人で
ほおばり
飲んでいました。
なんとも
気持ちの悪い光景でした。
しかし
その女性作家の顔も体も
そこには集中がなく
だらしなくぼやけていて、
これはもう全身が
自己ディスカウントと
コンプレックスのかたまりだと
私は
思いました。
発する言葉も
どこか自分をピエロ化して
抜け目なく自己防衛して
大衆に媚び
この人の内実は
まるで
幽霊のようだと
思いました。
こういう人が
作家と称し
直木賞の審査員であることが
今の世の中の実情なのですね。
世の中の表面には
こういう人たちが
うようよいます。
しかし
本当に
優れているのは
地面に根を張り
地道に生きている
たくさんの人々です。
先日三陸の
「波伝谷」という地区にすむ
漁師さんたちの映画をみました。
その漁師という職業の
仕事の厳しさにこころを打たれました。
また
いろんな問題を抱え込んでいるであろう家族が
それでも
父、母,祖父と祖母と息子たちの
何気ない言葉のやり取りの中には
家族の絆が底にあり
仕事のないときは
出稼ぎで
土木作業や
半場の飯炊きをやり
営々と厳しい環境のなかで生きてきた
そして
生きて次いでいくそこに
地に根を張って生きる人間が
確実にいました。
あゝ
私はこういう人々と
地下水で
繋がっていると
安心しました。
しかし
その漁師さんたちの
すべてが
あの3,11の津波で
壊滅してしまい、
その現実の中に
今
生きておられます。
でもね、
それでも
私は
確信し
安心しています。
それは
きっと
この人々は
再び
蘇るであろうと
思うからです。
最後に
ブランドの服で
身を包み
眼の虚ろな
女作家と
日焼けし
潮風に痛んだ髪の
漁師のおかみさんたちの
どちらが
美しいかというと
もう
それは
圧倒的に
おかみさんたちです。
病んだ世間の上澄みを掬って
売文している人間と
しっかりと
地に足をつけ
根を張っている人間の
美しさは
比較になりません。
自分の足もとに
しっかりと
根を張って生きる。
正直に
ピュアに生きる
それが
自分になりきっていくことだと
思います。
比較にならない美しさですね。
道元から検索してこちらに辿り着きました。
気になる記事を数件読ませて頂き、得ることが多かったです。
ありがとうございます。
あの番組は視聴しましたが、女流作家はもとより、瀬戸内寂聴さんに疑問を持ちました。
肉や酒を公衆面前で堂々と食すのは、どうなのかと…
仏道を精進し、作家でもあり、今のような地位を得たのはそれこそピュアな信心が根底にあってこそと勝手にイメージしていたため、違和感が禁じえませんでした。
女流作家にも、「恋が必要、夫や娘さんがとやかく言っても。」と、えっ!と思うような発言も。
世的な成功も、自分を厳しく探求した結果ついて来たのかと考えていたので、ほんとに僧侶なの?と嫌な感じを受けました。
そのまま、ありのまま、空になっていきたい。と
数十年に渡る生きづらさを経て、想う様になってきました。
これからも応援しています。