2015年 09月 11日
内なる子供の世界・インナーチャイルド その4朝の祈りのノート! |
自分の心を見つめ
整えていくことのひとつとして
私は、
<朝の祈りのノート>ということを
おすすめしています。
その日が始まる朝いちばんの
アタマも
からだもが
真っ白の時に
祈り、それをノートに書くのです。
たとえば
「今日いちにち、私の中の不安を
取り除いてください。」
とか
「私の中の否定的な心を
とりのぞいてください。」
とか
または
「今日一日
楽天的にいきれますように。」とか
「他人と仲良くできますように」
と
今、自分に必要な
心の中のことを
一行か二行書いて
祈るのです。
心が不安になっている時というのは
心(脳)と体がバラバラになっていて
呼吸が浅く
自分の全体が
散漫になっている状態です。
祈りは
祈ることで
アタマと体が
一つになり
さらに
書くことで
呼吸が深くなり
自分が統一されていきます。
◎この時
決して
声をださないで
心の中で
祈ってください。
声をだすことで
からだの統一が崩れてしまいますからね。
そうすることで
祈りの言葉が
脳のなかに
<自己暗示>されていきます。
つまり
バラバラだった自分の意識と無意識とからだとが
ひとつになり
一日の始まりの時に
整えられてゆくのです。
そして
意識ではなく
無意識の領内に
祈ったことが入り
効いてくるということですね。
さらに
同じことを
何度も何度も
続けているうちに
だんだんそれが定着し
いつのまにか
そういう自分になっていきます。
私の場合
私はもともと
キリスト教の信仰を持っていましたから
神に祈るという習慣がありました。
だから
朝と夕べの祈りをしていましたが
ある朝
なにげなく
ノートに
「神様、私の中の否定したくなる心を
とりのぞいてください。」と
書きました。
当時の私は
なんでも否定から入り
他人のことも
他人がいうことも
否定したい衝動にかられてしまい、
そういう自分を
持て余していました。
なんとか
こういう自分ではない自分になりたいと
思っていましたから
なにげにノートにそう書いたのです。
それで、その日の夜
あれっ、今日
否定したい感情や衝動がおきなかったなあ~と
気づき
それから毎日
朝いちばんにノートに向かい
同じように祈り
「「神様、私の中の否定したくなる心を
とりのぞいてください。」
を
書き続けました。
どれくらい書いたかな~!
もうずっと何年も前の若き日のことで
忘れてしまいましたが…笑!
おそらく毎日、毎日
何か月も書いたと思います。
それでもう
私の中に他人や、
その言葉を
否定したくなるな感情や衝動が
消えていきました。
ずいぶん楽になりましたよ。
そしてもう
その祈りを書く必要がなくなったら
次の課題を
書いては
祈りました。
・不安を取りのぞいてください。
・怯えを取りのぞいてください。
・恐れをとりのぞいてください。
などなどや
・他人の心を深読みしないように導いてください。
とか
・支配欲を取りのぞいてください。
・嫉妬の感情を取りのぞいてください。
・必要のない人に反応しないように導いてください。
などなど
さらには
最終的には
感情すべてが
やっかいな自分を引き起こす原因と思い
私には邪魔者に思えたので
・感情を取りのぞいてくださいと
祈り、書きました。
今はもう
あれだけ苛まれた
否定的感情や衝動も
不安も恐れも
ほとんど首をもたげてきません。
また
感情も穏やかになり
あまり暴走しません。
まあ、小指の先くらい存在です。
では
それらがすべて消えたかというと
そうではないのですよ。
祈り、書くことで
しっかりと
自分の問題性と課題を
認識し
脳反応になるキーコードを
書き換えていく。
※ 脳は連鎖反応で起動しますから
その起動になるキーコードの感情や
思い込みを
書き換えていくのです。
そして
場当たり的感情や衝動を
野放しにしないように
それらに
◎自我が
乗っ取られないように
理性とアダルトが
ちゃんと働いてくれていると
いうことだと
思います。
もともと脳の中には
不安や恐れに過剰反応してしまう
辺縁系の脳が
仕込まれていますから
人間は根拠のない不安や
恐れに
襲われるものです。
それらが
自分の思い込みや
過剰なシュミレーションに連鎖反応し
自分を内部から
脅すのです。
もともと
恐れも不安も
命の保全の機能だと
私は考えています。
だから
不安や恐れがあっても
いいのですよ。
ただ
そいつらに
あらされない!
そいつらに
心のなかを占拠されて
好き勝手にさせない・・・・。
そのためにまず
自分の脳の中を
書き換えていく。
そして常に
前頭葉にご登場いただき
前頭葉を鍛えていく。
それを
自我の意識で
つまり
自分の意志で
制しようとすると
それはストレスになります。
だから
無意識領域に
ゆだねるのです。
つまり
自分の自我意識でやろうとしない。
だから言葉は
・取りのぞいてください。
・導いてください。
という
◎ゆだねる言葉になります。
決して
~しよう!
とか
~するとか
~になる
とかいう
自分の意志のことばには
しないことです。
祈りとは
自分の中を統一し
自分の全体性を取り戻し
そして
言葉によって
自分の自我を
お掃除していける
方法です。
だからこそ
古今東西の宗教は
祈りを方法としてきたのだと
思います。
念仏を唱える。
聖書の言葉を追いながら
祈る。
また
願いを祈るなどは
頭と体の統一と集中のなかで
呼吸が整えられ
軽いトランス状態になる。
そういう中で
自己暗示にかける。
という
効果があるように
私は思います。
しかし
宗教に依存したとたんに
そこには
別のマインドコントロールが
発生してしまいます。
そうではなく
自分を信頼し
自分をちいさく限定的せず
意識と無意識の
ゆるやかで
大きな
包括的世界のなかに置き
そして
自分の全体性で
いきるのですね。
次回は
意識と感情の連鎖を
食い止める方法である
呼吸と脳の瞬間フリーズについて
書こうと思います。

朝露が宝石のように美しいね~!
●<告知>
このたび本を書きました。
「拝啓宮沢賢治さま」不安の中のあなたへ
田下啓子(denshinbashira)著
(彩流社 1800円+税)


整えていくことのひとつとして
私は、
<朝の祈りのノート>ということを
おすすめしています。
その日が始まる朝いちばんの
アタマも
からだもが
真っ白の時に
祈り、それをノートに書くのです。
たとえば
「今日いちにち、私の中の不安を
取り除いてください。」
とか
「私の中の否定的な心を
とりのぞいてください。」
とか
または
「今日一日
楽天的にいきれますように。」とか
「他人と仲良くできますように」
と
今、自分に必要な
心の中のことを
一行か二行書いて
祈るのです。
心が不安になっている時というのは
心(脳)と体がバラバラになっていて
呼吸が浅く
自分の全体が
散漫になっている状態です。
祈りは
祈ることで
アタマと体が
一つになり
さらに
書くことで
呼吸が深くなり
自分が統一されていきます。
◎この時
決して
声をださないで
心の中で
祈ってください。
声をだすことで
からだの統一が崩れてしまいますからね。
そうすることで
祈りの言葉が
脳のなかに
<自己暗示>されていきます。
つまり
バラバラだった自分の意識と無意識とからだとが
ひとつになり
一日の始まりの時に
整えられてゆくのです。
そして
意識ではなく
無意識の領内に
祈ったことが入り
効いてくるということですね。
さらに
同じことを
何度も何度も
続けているうちに
だんだんそれが定着し
いつのまにか
そういう自分になっていきます。
私の場合
私はもともと
キリスト教の信仰を持っていましたから
神に祈るという習慣がありました。
だから
朝と夕べの祈りをしていましたが
ある朝
なにげなく
ノートに
「神様、私の中の否定したくなる心を
とりのぞいてください。」と
書きました。
当時の私は
なんでも否定から入り
他人のことも
他人がいうことも
否定したい衝動にかられてしまい、
そういう自分を
持て余していました。
なんとか
こういう自分ではない自分になりたいと
思っていましたから
なにげにノートにそう書いたのです。
それで、その日の夜
あれっ、今日
否定したい感情や衝動がおきなかったなあ~と
気づき
それから毎日
朝いちばんにノートに向かい
同じように祈り
「「神様、私の中の否定したくなる心を
とりのぞいてください。」
を
書き続けました。
どれくらい書いたかな~!
もうずっと何年も前の若き日のことで
忘れてしまいましたが…笑!
おそらく毎日、毎日
何か月も書いたと思います。
それでもう
私の中に他人や、
その言葉を
否定したくなるな感情や衝動が
消えていきました。
ずいぶん楽になりましたよ。
そしてもう
その祈りを書く必要がなくなったら
次の課題を
書いては
祈りました。
・不安を取りのぞいてください。
・怯えを取りのぞいてください。
・恐れをとりのぞいてください。
などなどや
・他人の心を深読みしないように導いてください。
とか
・支配欲を取りのぞいてください。
・嫉妬の感情を取りのぞいてください。
・必要のない人に反応しないように導いてください。
などなど
さらには
最終的には
感情すべてが
やっかいな自分を引き起こす原因と思い
私には邪魔者に思えたので
・感情を取りのぞいてくださいと
祈り、書きました。
今はもう
あれだけ苛まれた
否定的感情や衝動も
不安も恐れも
ほとんど首をもたげてきません。
また
感情も穏やかになり
あまり暴走しません。
まあ、小指の先くらい存在です。
では
それらがすべて消えたかというと
そうではないのですよ。
祈り、書くことで
しっかりと
自分の問題性と課題を
認識し
脳反応になるキーコードを
書き換えていく。
※ 脳は連鎖反応で起動しますから
その起動になるキーコードの感情や
思い込みを
書き換えていくのです。
そして
場当たり的感情や衝動を
野放しにしないように
それらに
◎自我が
乗っ取られないように
理性とアダルトが
ちゃんと働いてくれていると
いうことだと
思います。
もともと脳の中には
不安や恐れに過剰反応してしまう
辺縁系の脳が
仕込まれていますから
人間は根拠のない不安や
恐れに
襲われるものです。
それらが
自分の思い込みや
過剰なシュミレーションに連鎖反応し
自分を内部から
脅すのです。
もともと
恐れも不安も
命の保全の機能だと
私は考えています。
だから
不安や恐れがあっても
いいのですよ。
ただ
そいつらに
あらされない!
そいつらに
心のなかを占拠されて
好き勝手にさせない・・・・。
そのためにまず
自分の脳の中を
書き換えていく。
そして常に
前頭葉にご登場いただき
前頭葉を鍛えていく。
それを
自我の意識で
つまり
自分の意志で
制しようとすると
それはストレスになります。
だから
無意識領域に
ゆだねるのです。
つまり
自分の自我意識でやろうとしない。
だから言葉は
・取りのぞいてください。
・導いてください。
という
◎ゆだねる言葉になります。
決して
~しよう!
とか
~するとか
~になる
とかいう
自分の意志のことばには
しないことです。
祈りとは
自分の中を統一し
自分の全体性を取り戻し
そして
言葉によって
自分の自我を
お掃除していける
方法です。
だからこそ
古今東西の宗教は
祈りを方法としてきたのだと
思います。
念仏を唱える。
聖書の言葉を追いながら
祈る。
また
願いを祈るなどは
頭と体の統一と集中のなかで
呼吸が整えられ
軽いトランス状態になる。
そういう中で
自己暗示にかける。
という
効果があるように
私は思います。
しかし
宗教に依存したとたんに
そこには
別のマインドコントロールが
発生してしまいます。
そうではなく
自分を信頼し
自分をちいさく限定的せず
意識と無意識の
ゆるやかで
大きな
包括的世界のなかに置き
そして
自分の全体性で
いきるのですね。
次回は
意識と感情の連鎖を
食い止める方法である
呼吸と脳の瞬間フリーズについて
書こうと思います。

●<告知>
このたび本を書きました。
「拝啓宮沢賢治さま」不安の中のあなたへ
田下啓子(denshinbashira)著
(彩流社 1800円+税)


by denshinbashira
| 2015-09-11 08:46
| 内なる子供の世界(インナーチャイルド)
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