私もよく頑張ってきたな~! |
起きながらいろんなことを
思い出し
あゝ
私もよく頑張ってきたな~と
思う。
と
同時に
他の人々も
よく頑張って生きているな~と
思う。
どんな人間も
日々のあれこれの中で格闘し
浮いたり
沈んだりのなかで
がんばっているのだと
思う。
しかし
人間は
依存をやめて
自立することで
たいはんのことを
自分で解決できる。
つまり
自立とは
すべてが
自分しだいで決まるということです。
言い換えれば
自分におきることはすべて
自分の掌の中にあると
いうことです。
相手を変えようとか
情況がかわるのをの期待するのでは
なく
自分が能動的に行動するか
それとも
諦めるかで
この
諦めるということも
消極的な受け身のそれではなく
自分が
それを
棄てるという
自分の能動的な選択としての
ことです。
つまり
すべてが
自分しだいであり
決定権を持つ自分の軸が
しっかり
定まっているということが
自立です。
この軸が
あやふやな人間は
他人や世の中に翻弄される。
この軸が
未熟な人間は
いつも
迷いの中で
彷徨う。
この軸が
しっかり打ち立っている。
つまり
最終的には
すべてが自分の意志と責任においてある。
という人間のみが
常に
自分が納得しながら
人生を創造的に生き
さらに
いい仕事をします。
道元も良寛も
人間の自立こそが
その可能性を可能にする
ということを
熟知しえていた。
だからこそ
突き放し
自分の内部を究め
そこに広がる
自我をこえた
広々とした世界を
体験し
さらに道元は
それを他者へとつたえようとしたと
思います。
道元が越前の深い山のなかで
規律に満ちた生活と坐禅の修行を説いたのは
俗世間から距離をとり
さらに
動物的本能の
放漫と放出のなかで、
いよいよ
人間の内部が迷いに荒らされ
心身の全体性が分裂するのを防ぎ
さらに
心身の統一と集中の中での
自己発見とエネルギーの充満を
目指したのではないかと
私は考えています。
最終てきには
道元が
そういう人材を育成し
それを俗世界へと還元していく。
つまり
世の中のリーダー達を
ひとりでも多く
育てようとしたのではないかと
思います。
道元も良寛も
徹底的していたことは
人間への
信頼です。
人間はその中に
可能性を秘めていきている。
それは
自立により
自力を駆使している中で
それぞれが
自分を生き切る。
生(生きること)は自立しており
死も
自立している。
自分の中に
すべてがあり
自分を究めていく。
それは
能動的であるが
動じず
諦観とは
棄てることである。
自分の軸がしっかりたっているから
周囲の風景も
他者の姿も
鮮明にみえる。
つまりは
周囲の風景も
他者のすがたも
それぞれは
自立してあるが
しかし
その自立が見え
それを認識し
了解したとき
自分と風景と他者とが
不連続に
連続する
大きな連関のなかにあることが
わかるのです。
なにものにも
まみえない。
そういう
自分の孤独をひきうけ
自分という固有の軸を打ち立て
そこから見えるのは
この地球のすべての
生きとし生けるものが
みな
それぞれの自然性と
必然をいきている
風景です。
その風景の中には
すべての人も
事象も
肯定を
されている。
みな
よく頑張っているな~!
と
ですね。
そして
わたしも
よく
頑張った
と
そう思います。

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