2015年のワークショップを終えて! |
年に一度のワークショップを
終えました。
今回も
人の心の深層にある
深く澄んだ魂に触れ
私は感動しました。
魂とはなにか。
それはまだまだ私が若く
カウンセリングの勉強をはじめた
30代の終わりの頃だったと
思います。
何がきっかけだったかは
忘れてしまいましたが、
魂とは
人の悲しみや絶望や苦悩ではないかと
ふっと
そういう思いが
湧きおこりました。
それは
どういうことだろうと
考えを突き詰めていくと
あゝそうか、
喜びというものは
他者との関係のなかで
承認された時や
自分が繋がったとき
孤独が消え
そういう
連帯の中に自分がいる。
だから
つまり
喜びは
固有性が薄く
共有性や
共通性が強いため
エネルギーの発散と同時に
時間の中で
風化し
拡散されていく(忘れられていく。)
しかし
悲しみや絶望は
その
ひとりひとりに刻印された傷が
その人間の固有性の孤独の中で
時間が止り
うずくまっている(消えない)
と
私は
そう思ったのです。
だから
魂とは
喜びではなく
その人がうずくまって抱えこんでいる
悲しみや苦悩や絶望ではないかと
私は
そう
思ったのです。
そして
もしかしたら
だれにも明かすことのできない
その苦しみが
他者との光のなかで
明かされたとき
人は
やっと
自分を救いだせるのではないかと
私は
思いました。
人間は
だれもが
そういう自分固有の傷や苦しみを
抱えて生きているということを。
自分だけではない
他者も
同じように
傷にうずくまる自分を
深層に抱えているのだということが
はッと
理解できたとき
おそらく
人は
優しさのなかで
覚醒していくだろう。
純粋で透明な
その人の心が
傷という殻をおおったまま
沈黙の中に
座っている。
深い深い
心の海のそこで
塊のようになって沈んでいる。
それを
参加者みんなが
心を繋ぎながら
見てみよう。
そういうワークショップを
やりたいと
私は思いました。
自分の傷をみることも
他者の痛々しいそれを
みることも
容易なことでは
ありません。
それぞれが
傷つきながら
恐れながら
その蓋をあけなければならないかも
しれません。
しかしね~、
しかし
その蓋をあけ
そして
その殻を取りのぞき
塊が溶け
ほどけてくるとき
なんと人は
美しいのでしょう!!
その固形化した
こころの塊は
それが溶けだしたときから
今度は
その人の命の炎として
力強い
エネルギーになってゆきます。
その人の顔に灯りがともりだし
顔が変化してゆく。
つまり
拡散した
ボヤケた顔ではなく
その人の
自分に集中した
固有の顔
表情が
顕われてきます。
その深層に光を
差し入れた瞬間から
傷や苦悩も悲しみも
絶望さえもが
自分の固有の
生きた体験として
心の襞として
暗闇から
命を吹き返してくるのです。
それは
発散される喜びではない
深々と
沁みわたる喜びとして
自分固有の
<核>がもたらす喜びとして
蘇るです。
だから
実存的に把握し
認識された
確信として
その人の血肉になっていきます。
今回も
素晴らしいかったです。
しっかりと
自分の傷や自我の歪みや汚れに
目を注ぎ
ごまかさず
しかし
愛をもって
見極める。
そういう
辛い
困難な仕事を
皆さんが
為し終えたと
思います。
参加されたみなさん
どのひとも
素晴らしかったね。
人のこころの
深い
深い井戸の底には
澄んだ清らかな水が
流れている。
そして
その井戸の
もっと
もっと
深い
地底には
すべての人間の
魂の海がある。
そういう海の中から
私たちは生まれた。
小さな
小さな
泡つぶのような
わ・た・し・では
あるけれど
しかし
私は他者ともに
海をつくる
大切な成員であり
確実に
世界を
支えている
命の一つであることを
しっかり
自覚して
娑婆へと
戻ってほしい。
娑婆は
また
困難なことが
待っているけど
ピュアなる自分が
真剣に生きている自分であることを
忘れないでほしい。
そういう自分の誠実さこそ
真剣さこそが
かけがのない
宝物であることを
忘れないでください。
みなさん
お元気でね!
お疲れさまでした。
この出遭いを
心より
感謝します。
※ お知らせ
ワークショップの告知は毎年
8月1日にやることにしました。
そしてだいたい10月の16、17,18くらいの日程を
考えていますが
曜日によって、若干の変動があると思います。
基本は先着6名です。