私の苦悩!2 方法論では変わらない! |
「自分の磨きかた」という
自己啓発本を買ってよんでみた。
書いてあることたしかに
そのとおりなんですが
こういう本を山ほど読んでも
自分が自分を
どのように
ディスカウントしているか
が
分らない限り
人間は変われません。
一時的に
そういう風に変わったという
気分でしかありえない。
だから
結局は
時間がたつと
もとの自分に戻ってしまう。
しかし
じぶんがどのように
自己ディスカウントしているかに
気づくのが
もう
厄介で
至難の業なのです。
わたしが
その人が
自分をどのようにディスカウントしているかを
指摘したとき
・はっと気づく人
逆に
・指摘されて落ち込むひと
・指摘されて反発するひと
など
反応がいろいろでてきます。
・どうしても変わりたいと決心している人は
指摘されると
はっと気づきますが
しかしその時もまだ
・自分をディスカウントし続けている人は
落ち込んだり
反発をしたりする。
時に私を攻撃してきます。
それほど
自分をディスカウントするということは
その人の血肉化しており
気づこうと
よほど覚悟を決めていないかぎり
気づくことがむずかしい!
自分がどのように
自分をディスカウントしているかに
気づいてもらうためには
時として
かなりの厳しい
辛辣な言葉を
投げかければならない。
逆にいうと
それくらい
自己ディスカウントの殻は
固く
厚く
その人を蔽い尽しているのです。
だから
少しずつ剥がしていくのですが
何年もかかる。
具体的に
その人に起きたことに
直面しながら
そこを
糸口に解決していきながら
何重にも重なり合った
ディスカウントの結び目を
解いてゆく。
それは
根気よくあきらめないで
そのひとも
私もが
そのディスカウントに
向き合ってゆくことが
必須なのです。
人間は
苦しいことや
辛いことこそ
そこに
自己ディスカウントがあるということです。
怒りや
悲しみや
絶望の
その根底には
自己ディスカウントが
あります。
反対に
支配欲や
自己顕示のうらにも
自己ディスカウントが
あります。
自分が幸福になるためには
しっかりと
自己ディスカウントと
向き合うしかないのです。
しっかりと
向き合い
そういう自己ディスカウントを
退治してこそ
こういう本に書いてあることがやっと
実現可能になるのですね。
こういう本に書かれているのは
ほとんどが
方法論です。
しかし
方法論では
なにも変わりません。
本当に自分を磨くということは
自分の<存在>すべてを
洗いなおすということです。
つまり
自己ディスカウントを退治するということは
自分が浄化されてゆくことなのですね。
自我の汚れや垢がとれて
清々しくなり
晴れ晴れとする自分になると
いうことです。
それはほんとうに
むずかしいけれど
やりとげてほしいと
私は願っています。


