2015年 10月 30日
<魂>に出遭う、その2、コピー人間! |
きょうはとても大切なことを
書きます。
ある人たちのことです。
私はその人たちを
大切な友だとおもっています。
しかし
今日書くことは
他のひとにとっても
とても大切なことなので
書きます。
『ひとは
なにを以て
他者と出遭うか』
です。
だから
言葉に短絡して感情的にならず
さいごまで
読んでください。
まさに
私の<遺言>だと思って
読んでいただければ
幸いです。
あるひとAさんが
あるひとBさんから
私・伝心柱の<コピー人間>だといわれて
ひどく傷つきました。
<コピー人間>といわれたAさんも
深く傷つきましたが
言ったBさんも傷つきました。
それはなぜでしょう?
なぜ
BさんはAさんに
そういうことを言ったかというと
AさんはBさんに
Bさんのこの間の変化は
伝心柱さんのコピーであるから
もっと自分の言葉で語ってほしいという意味で
そう指摘したのです。
つまり
Bさんの目からAさんはそういう風にみえたのでしょう。
そしてそれが
ある意味、図星であったから
Aさんも
傷ついたのでしょう。
ただ、ただね、
そこには
<コピー人間ではいけない>という
Bさんの先入観念があります。
これもいわば
一般的、通俗的
既成観念です。
そして、
私からみると
私の<コピー人間である>なんてことなど
ほんとに抹消的なことで
Aさんはもしかしたら私の言葉や行動を
コピーしているかもしれませんが
でも
それも
Aさんの変化と変容の
プロセスです。
Aさんにとっては
◎大切なプロセスです。
だから
そんなことは
たいした問題ではないのです。
なぜたいしたことではないかというと
そんなことなど
表面的な現象にすぎないからです。
大切なことは
今
Aさんが
◎懸命に変わろうとしていることが
一番大切なのです。
まあ
変わるというより
今までの自分を
なんとか
脱出しようとしていることが
とても
たいせつなのです。
Aさんはもがいているのです。
育成期の自分に刷り込まれた
親あるいはそれに類するひとびとからの
負の思い込みから
懸命に脱出しようとしているからですよ。
Aさんの素晴らしいところは
東京という
大都会のなかで
たった一人で
アルバイトをしながら
自活し
懸命に生きている。
一生懸命
どう生きたらいいかを
模索しているAさんが
たいせつなのです。
そういう
ひたむきさのところを
しっかりと見てあげられたら
どんなにいいでしょう。
私は彼女の
その
ひたむきさに
ダイレクトに
照準をあてて
見守っている。
そこに彼女の
存在=魂が
あるからです。
だから
それが今
私のコピーであっても
それでいいです。
彼女のその魂のところだけを
しっかりと
みていれば
いいのです。
彼女の言動が
私のコピーであるということは
ほんの
上っ面のことでしか
ありません。
人間の表面的、
皮相的な部分です。
私はいろんな人と
出遭います。
そして人間は
千差万別に
*年齢や人生経験があり
人には
いろいろな
癖や
◎苦み(自我の汚れ)が
あります。
でもね~、
それが
人間なのです。
その癖や苦みの
もっと奥にあるものに
眼差しを向けてほしいのです。
ドストライクに
その人が
<一生懸命にいきてるか、どうか>を
みるのです。
その人が
誠実に
自分の人生と向きって
生きようとしているか・・・だけが
大切で
そのほかのことなど
どうでもいいのです。
そして
その人が
表面的なことは
どうであれ
懸命に生きようとしていることに
私の心が動き
ドストライクに
その人を
信頼する。
信頼したら
あとは
その人が自分で変容していくことへの
サポートをするだけです。
その時
たいがいの人は
今までの自分から
どうしたらいいかわからないというのが
ほんとうでしょう。
人間はいつも
想定外の
未知の世界をいきていますからね。
Aさんも
その方法として
私をコピーしているように
みえるかもしれません。
それはコピーしているかもしれませんが
だからといって
決してAさんの内実は
コピーだけでおさまっているのでは
ありません。
コピーしながら
模索しているのです。
Aさんは
あくまでも
コピーという手立て(方法)を使いながら
自分の言葉を探している人のように
思います。
人間関係において
なにを見極めてゆくかとは
自分と他者とが
何を介在にして
向き合っているかです。
つまり
人間の
他者の
相手の
どこに照準をあてて
見ているのか
或は
見えているかです。
たいがいの人は
その表面的なところばかりに
眼差しをむけてしまいます。
相手の言動の
上っ面の
現象のところです。
しかし
ほんとうに
眼差しをむけなければ
ならないのは
その人間の、他者の、相手の
心の本質がどうであるかです。
その人が
懸命に
誠実に
生きようとする心=魂を
もっているか
ピュアであるか
ないか
です。
それさえ
見極めれば
いいのです。
それを見極めたら
あとは
ドンと信頼を置くことです。
それでも
相手が時に
自分の想定外のことをするかもしれません。
それでもいいのです。
だからといって
自分が動揺するのは
自分が
勝手なのです。
自分が思いこんだとおり
相手がうごかないだけです。
それも含めて
その人間が
懸命に
そして
誠実に
生きようとする心=魂をもっているなら
あとは
その人間にまかせて
決して
自分が
コントロールしようとしないことです。
なぜBさんが
Aさんに
たとえ
親切心からでたとしても
それをAさんに
言わなければならなかったのかは
BさんにはAさんの言動の奥にあるものが
見えていないからです。
それは
Bさんの人生の対人的な課題でもあり
自分が向き合わなければならないことでも
あります。
Aさんの魂の所在を
もし
Bさんがしっかり見ることができていたら
おそらく
きっと
こういう
相手の人格をディスカウントをする
言葉は
言わなかったと思います。
そこに
Bさんの自己ディスカウントと
傷があります。
もしBさんが
ほんとうに愛をもって
この言葉を吐いたなら
Aさんはこんなにも
傷つかなかったかもしれません。
そして
わたしに言わせてもらうなら
Aさんも
どうしてもっと自分を信頼し
私を信頼し
『伝心柱さんのコピーで何が悪い!』
という居直りが
できなかったのでしょうかね~・・・・あ~あ!
そういう自分への
圧倒的な肯定ができないから
傷つくのですよ。
そこにはAさんが
いつも陥る
自己ディスカウントがあります。
物事に
過剰に反応して
どんどん自分で
傷口を広げてしまうのです。
まあ<コピー人間>ということばそのものに
否定的なものがありますが、
そういう考えも
いわば凡庸な、というか
考えの浅い人間の認識です。
なぜなら
人間はいつも
他者をコピーしながら
生きているからです。
わたしなら
喜んで
コピー人間に甘んじるけどなあ~”!!
私はいつも
良寛や漱石のコピー人間に
なりたいと思いながら
生きてるけど・・・・・笑!
コピーは
学習の始まりで
それが
自分のものへと
咀嚼されていくには
時間がかかるのです。
今回AさんもBさんも
傷ついてしまいました。
でもね
こういうことも含めて
私は
二人ともを
愛している。
しかしなあ~
まだまだ
道は
遠いなあ~!!
フウ~っ!

ほうら、
あなたも私も
輝いてる!
書きます。
ある人たちのことです。
私はその人たちを
大切な友だとおもっています。
しかし
今日書くことは
他のひとにとっても
とても大切なことなので
書きます。
『ひとは
なにを以て
他者と出遭うか』
です。
だから
言葉に短絡して感情的にならず
さいごまで
読んでください。
まさに
私の<遺言>だと思って
読んでいただければ
幸いです。
あるひとAさんが
あるひとBさんから
私・伝心柱の<コピー人間>だといわれて
ひどく傷つきました。
<コピー人間>といわれたAさんも
深く傷つきましたが
言ったBさんも傷つきました。
それはなぜでしょう?
なぜ
BさんはAさんに
そういうことを言ったかというと
AさんはBさんに
Bさんのこの間の変化は
伝心柱さんのコピーであるから
もっと自分の言葉で語ってほしいという意味で
そう指摘したのです。
つまり
Bさんの目からAさんはそういう風にみえたのでしょう。
そしてそれが
ある意味、図星であったから
Aさんも
傷ついたのでしょう。
ただ、ただね、
そこには
<コピー人間ではいけない>という
Bさんの先入観念があります。
これもいわば
一般的、通俗的
既成観念です。
そして、
私からみると
私の<コピー人間である>なんてことなど
ほんとに抹消的なことで
Aさんはもしかしたら私の言葉や行動を
コピーしているかもしれませんが
でも
それも
Aさんの変化と変容の
プロセスです。
Aさんにとっては
◎大切なプロセスです。
だから
そんなことは
たいした問題ではないのです。
なぜたいしたことではないかというと
そんなことなど
表面的な現象にすぎないからです。
大切なことは
今
Aさんが
◎懸命に変わろうとしていることが
一番大切なのです。
まあ
変わるというより
今までの自分を
なんとか
脱出しようとしていることが
とても
たいせつなのです。
Aさんはもがいているのです。
育成期の自分に刷り込まれた
親あるいはそれに類するひとびとからの
負の思い込みから
懸命に脱出しようとしているからですよ。
Aさんの素晴らしいところは
東京という
大都会のなかで
たった一人で
アルバイトをしながら
自活し
懸命に生きている。
一生懸命
どう生きたらいいかを
模索しているAさんが
たいせつなのです。
そういう
ひたむきさのところを
しっかりと見てあげられたら
どんなにいいでしょう。
私は彼女の
その
ひたむきさに
ダイレクトに
照準をあてて
見守っている。
そこに彼女の
存在=魂が
あるからです。
だから
それが今
私のコピーであっても
それでいいです。
彼女のその魂のところだけを
しっかりと
みていれば
いいのです。
彼女の言動が
私のコピーであるということは
ほんの
上っ面のことでしか
ありません。
人間の表面的、
皮相的な部分です。
私はいろんな人と
出遭います。
そして人間は
千差万別に
*年齢や人生経験があり
人には
いろいろな
癖や
◎苦み(自我の汚れ)が
あります。
でもね~、
それが
人間なのです。
その癖や苦みの
もっと奥にあるものに
眼差しを向けてほしいのです。
ドストライクに
その人が
<一生懸命にいきてるか、どうか>を
みるのです。
その人が
誠実に
自分の人生と向きって
生きようとしているか・・・だけが
大切で
そのほかのことなど
どうでもいいのです。
そして
その人が
表面的なことは
どうであれ
懸命に生きようとしていることに
私の心が動き
ドストライクに
その人を
信頼する。
信頼したら
あとは
その人が自分で変容していくことへの
サポートをするだけです。
その時
たいがいの人は
今までの自分から
どうしたらいいかわからないというのが
ほんとうでしょう。
人間はいつも
想定外の
未知の世界をいきていますからね。
Aさんも
その方法として
私をコピーしているように
みえるかもしれません。
それはコピーしているかもしれませんが
だからといって
決してAさんの内実は
コピーだけでおさまっているのでは
ありません。
コピーしながら
模索しているのです。
Aさんは
あくまでも
コピーという手立て(方法)を使いながら
自分の言葉を探している人のように
思います。
人間関係において
なにを見極めてゆくかとは
自分と他者とが
何を介在にして
向き合っているかです。
つまり
人間の
他者の
相手の
どこに照準をあてて
見ているのか
或は
見えているかです。
たいがいの人は
その表面的なところばかりに
眼差しをむけてしまいます。
相手の言動の
上っ面の
現象のところです。
しかし
ほんとうに
眼差しをむけなければ
ならないのは
その人間の、他者の、相手の
心の本質がどうであるかです。
その人が
懸命に
誠実に
生きようとする心=魂を
もっているか
ピュアであるか
ないか
です。
それさえ
見極めれば
いいのです。
それを見極めたら
あとは
ドンと信頼を置くことです。
それでも
相手が時に
自分の想定外のことをするかもしれません。
それでもいいのです。
だからといって
自分が動揺するのは
自分が
勝手なのです。
自分が思いこんだとおり
相手がうごかないだけです。
それも含めて
その人間が
懸命に
そして
誠実に
生きようとする心=魂をもっているなら
あとは
その人間にまかせて
決して
自分が
コントロールしようとしないことです。
なぜBさんが
Aさんに
たとえ
親切心からでたとしても
それをAさんに
言わなければならなかったのかは
BさんにはAさんの言動の奥にあるものが
見えていないからです。
それは
Bさんの人生の対人的な課題でもあり
自分が向き合わなければならないことでも
あります。
Aさんの魂の所在を
もし
Bさんがしっかり見ることができていたら
おそらく
きっと
こういう
相手の人格をディスカウントをする
言葉は
言わなかったと思います。
そこに
Bさんの自己ディスカウントと
傷があります。
もしBさんが
ほんとうに愛をもって
この言葉を吐いたなら
Aさんはこんなにも
傷つかなかったかもしれません。
そして
わたしに言わせてもらうなら
Aさんも
どうしてもっと自分を信頼し
私を信頼し
『伝心柱さんのコピーで何が悪い!』
という居直りが
できなかったのでしょうかね~・・・・あ~あ!
そういう自分への
圧倒的な肯定ができないから
傷つくのですよ。
そこにはAさんが
いつも陥る
自己ディスカウントがあります。
物事に
過剰に反応して
どんどん自分で
傷口を広げてしまうのです。
まあ<コピー人間>ということばそのものに
否定的なものがありますが、
そういう考えも
いわば凡庸な、というか
考えの浅い人間の認識です。
なぜなら
人間はいつも
他者をコピーしながら
生きているからです。
わたしなら
喜んで
コピー人間に甘んじるけどなあ~”!!
私はいつも
良寛や漱石のコピー人間に
なりたいと思いながら
生きてるけど・・・・・笑!
コピーは
学習の始まりで
それが
自分のものへと
咀嚼されていくには
時間がかかるのです。
今回AさんもBさんも
傷ついてしまいました。
でもね
こういうことも含めて
私は
二人ともを
愛している。
しかしなあ~
まだまだ
道は
遠いなあ~!!
フウ~っ!

あなたも私も
輝いてる!
by denshinbashira
| 2015-10-30 06:58
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