シリーズ「ディスカウント」からの脱出、その6、劣等感のひとり相撲! |
厄介なことに
誰もがもっています。
人間は関係の中でいきていますから、
だから
悪くすると常に
自分と他者を比較して生きて
しまいます。
しかし
物事の優劣や
序列の階級も
すべて
人間の想念が創りだしたものです。
本来はすべての人間が
<生きる>という次元においては
平等なのです。
脳の次元の話としても
人間の脳は
それぞれが
よく使うところが
ちがいますから
一元的に
単純に
比較など
できないのが
ほんとのところなのですがね~。
つまり
優劣とは
あくまでも
相対的なことに
すぎないのです。
また、
人間が創りだす
現実的な
・価値の序列や
・生産性において
優劣や序列を造りだしているに過ぎないのです。
※ 現実的な価値の序列や
生産性とは
例えば、多くの人が
・勉強のできる人間が良いと・・・と
思い込んでいたら
勉強のできることが価値があると思い込んで
勉強のできる順番に人間を序列化するでしょ。
さらにお金こそが価値があると思い込んでいたら
お金を産みだすことや
稼ぎの多い人間に価値があると思い込んで
生産性はないけど、尊いことや
無駄だけど意味のあることや
時間を掛けて生産しなければならないことが
どんどん下位に置かれてしまうでしょ。
さらに
気がついて欲しいのは
その優劣の根拠も
極めてあいまいで
流動的であると
いうことです。
よくよく考えれば
その根拠がどこにあるのかさえ
不明瞭なのに・・・・。
しかしどういう訳か
人間は
この優越感と劣等感に
振り回されます。
親のもっている劣等感は
子へとバトンされ
子供は
ほゞ自動的に
その中に生きてしまいます。
<ディスカウント>とはまさに
こどもにとっては
根拠のない
・劣等感や
・自己否定感
さらに
・自己卑下や
・自己侮蔑などが
わたされ
瞬間的に
作動してしまいます。
子供にとっての無心な
無邪気な
せっかくの出来事までを
いわゆる
値引き(デイスカウント)してしまうのです。
成功しそうな寸前で
自己崩壊する
成功禁止令でも
あります。
私はある時から
自分の中にある
・優越感も
・劣等感も
すべて
追い出しました。
そんなもの
まるきり
意味がないことが
わかったからです。
意味がないとはどういうことかというと、
そんなもの
自分だけが
そう思っているだけで
他人には
まったく関係ないのですよ・・・。
自分が
自分の中で
優越感にひたったり
劣等感に
苛まれたりしているだけで
そんなこと
他人にしてみれば
まったく興味もないし
関係ないことです。
それに他人にとっては
本人の中で起きている葛藤など
わかりえないし
どうでもいいのです。
つまり劣等感に駆られて
ビトンのバッグを持って
優越感で歩いても
そんなこと
自己満足だけで
他人には
かんけいないでしょ。
まあ、同じような劣等感をもっている者だけが
反応するかもしれませんが・・・・。
逆に
劣等感の心理メカニズムを
知っている人間からみれば
その人の劣等感が
丸見え状態です・・・・気の毒に!
つまり
優越感も
劣等感も
いわば
ひとりの世界なんですね。
しかし
しかし残念なことに
この、ひとり相撲の劣等感こそが
ディスカウントの受け皿なのです。
まあしかし
言うなれば
自己ディスカウントこそが
ほんとうは
おおいなる
ひ・と・り・ず・も・う
なのですから。
自分が勝手に思い込んで
自分を
マイナスの縄でふん縛って
身動きができないだけです。
ホントに可笑しいね~”!!!
まあ、
哀しい姿でも
あるんだけど・・・・。
しかし
そういう風に
自縛をする裏には
実は
とても
ずるい心理の自分も
いるのです。
次回は
それを書きます。
冬薔薇と書いて、<ふゆそうび>といいます。
なんとなく素敵だな~と
思います。