シリーズ「ディスカウント」からの脱出、その7、四大デイスカウント悪! |
でも
とても大切なことです。
是非読んでいただき
負の心理と感情の構造を
理解していただけたらと
思います。
さらに
こういう感情にとらわれず
自己ディスカウントから
脱出ができると
いいですね~!
劣等感が
なぜ
ズルいのか・・・・?
別に劣等感そのものが
ズルイわけではありません。
劣等感の裏側に
きわめて巧妙に、構造的に
自分を操作する
心理メカニズムがあるからです。
それは劣等感だけではありません。
同じように
私が<四大ディスカウント悪>と呼ぶ
ズルイ、甘えた、深層心理があります。
それは
1、劣等感
2、罪悪感
3、自己憐憫(悲劇のヒーロー、ヒロイン)
4、被害者意識
です。
では
1の劣等感からいきましょうか。
劣等感は
他人と自分を比較して
自分を劣っていると言う風に
ディスカウントしてしまうことですが
たいがいの人が
それは
自分が傷つけられたせいだからと
おもっているのでは
ないでしょうか?
確かに
何かの原因があって
劣等感へとなったのでしょう。
また親の劣等感をそのまま
刷り込まれている場合も
多いです。
しかし、
そうであれば
◎その劣等感を克服すべく
努力すればいいじゃあ、ありませんか?
まあ、生まれつきの容姿とか
目には見えないけれども階級性とか
単に努力するということでは
のりこえることが
なかなか
難しいこともあります。
しかし
それでも
劣等感を克服できる価値を
自分に与えることによって
劣等感に甘んじている自分を
のりこえることもできます。
実際に
劣等感をバネに
成功した人も
たくさん
おられます。
ただ劣等感というのは
それをのりこえず
逆に
それが
裏返った時の心理に
ちょっとズルイものが
あるのです。
劣等感を持っている人間の心理の裏には
自分の劣位や下位を認識しながらも
そういう努力をしないで
劣等感に甘んじて
放置している自分がいます。
放置している自分を
棚上げにして
劣等感を感じては
落ち込むのです。
それは
なぜでしょうか・・・???
そこには
●努力したくない自分
のりこえる時に
自分にふりかかってくる
●リスクを負いたくないく自分が
●努力するより、
●劣等感のままでいた方が楽!な自分が
います。
本人はまったく気づいては
いませんが・・・。
努力はしないで
劣等感だけは
しっかりと保持するのです・・・・変でしょ???
さらに劣等感を
克服すべく努力し
優れている人間として
・先頭にたち風をうけ
・自分の行動に責任をもち
・責任を負わなければならに立場には
●自分は行きたくない。
という
心理です。
優越感をもつには
◎ 努力、それもたくさん努力をしなければなりません。
さらに
リスクや責任をしっかり負う人間になると
●言い訳をいう自分が
許されないからです。
つまりは、いつも、無意識のうちに
自分の
●逃げ場を設定し
●本来の自分を生きないための
隠れ蓑にしているのです。
努力するのは
しんどいからね。
でも、本人は
そういう自分の心のメカニズムには
全く気づいていません。
それとこれも
まったく意識されないことですが
●蜜の味もあるのです・・・・?
この劣等感が
自己憐憫と繋がって
倒錯した
蜜の味になります。
さらにそこからは
もっと強い蜜の味の
●嫉妬という脳の興奮に
なって
その人間の理性を
乗っとっていきます。
※ よーく自分を観察してみてください。
嫉妬している自分は、どこか充実したり
エネルギーがあったり
また嫉妬による行為を果たした後は
心がスッとしませんか?
そこには
<負の存在感>を味わっている自分が
いませんか?
ただ
よほど鋭い人間でないと
自分の中の
そういう負のメカニズムには
気づきませんが。
2、番の罪悪感となると、
ほんとにズルイ心理です。
本来なら自分の行動によって起きてくる
・失敗したことや
・大変なことや
・厄介なことや
さらに
・相手に対するネガティヴな自分の行為(嫉妬やいじめ)に対して
きちんと
・責任を負ったり
・謝罪したり
・解決のために尽力したりする
という事を
しなければならないのに
実際には
それを
回避して
なにも、行動を起こさず、
ただ
●自分を責めることで
すり替えているのが
●罪悪感の実体です。
なぜなら
・やらなければならないことや
・責任をとることや
・謝罪する
・解決のために行動する
ということは
とても面倒で大変で
ストレスも大きいからです。
時には
プライドを捨てて
相手からの叱責を受けたり
勇気を奮い立たせなければ
なりませんからね。
でも
そういう風に
キチンと責任をとるひとには
罪悪感など
湧きません。
責任をとり
謝罪し
解決する…という行為を回避するその代わりに
・自分を責めて
・代償にしているのです。
罪悪感などで
自分を責めても
なにひとつ解決しないのに・・・・です。
●罪悪感を感じている誠実な良い人・・・という
自分のイメージを
維持するのです。
さらに
3、の自己憐憫となると
もう
たちが悪いです。
そういう罪悪感を感じる自分にたいして
また、
劣等感を感じる自分が
●感傷的になり、
まるで
●かわいそうな人(自分)であるかのように
憐れむ心理ですからね。
ただ、
それだけでは終わらず
この自己憐憫が
やがて
●嫉妬という
とても厄介な
攻撃感情へと
スルリ、スルリと
自分を
運んでいくのです。
あ~あ・・・!
さらに
4、の被害意識となると
罪悪感や自己憐憫をする自分を
どうしても
●居直らせないわけにはいかない・・・から、
今度は
相手を悪者にして
自分を
●被害者に
してしまうのです。
つまり
立場を逆転させて
攻撃体制に入るのです。
被害者意識によって
●攻撃を正当化する自分へと
転換するのです。
すごいね~!
そして
もう
ほんとうに困った事には
この<四大ディスカウント悪>の感情には
すべて、密やかなる
● 蜜の味があるのです。
もう
美味しい、おいしい、悲劇的、感傷的自分に浸る
蜜の味です。
それに浸ると
自己陶酔すら湧いてきます。
・劣等者としての
蜜の味であり
・被害者としての蜜の味であり
最後は
・反撃者としての
蜜の味です。
こうなってくると
もはや
自分を見つめる繊細さも
厳しさも
正気の自分を取り戻すことが
損なわれていきます。
どんどん自分も他者も
世の中も
感情的な感傷のなかで
見えなくなってしまいます。
ひたすら
可愛そうな自分しか
目にはいらない!
この四大ディスカウントが
なぜ
起きてくるかというと、
・行動を起こさない
・リスクを負わない
・責任をとらない
という風に
自分が
自分を封じ込めていると
ついには自分が追い詰められ
生きづらくなるのは
当たり前ですね。
しかしそういう風に
生命が
萎んでいくのを防ぐために
脳は
自分をこの<四大ディスカウントの悪>の感情で
プラグマ化していきます。
●自分に言い訳を与え
●自分の行動を合理化し
さらに
●被害者という位置で、今度は
●攻撃にすり替えて
●自己回復を
図るのです。
脳の優れた?機能の一つは
自己プラグマ化(行為の合理化)です。
その人間が崩壊しないように
適応をはかるのです。
脳は
つじつま合わせの
名人なのです。
しかし、
こういう自分のあり方も(脳の使い方も)、
自己ディスカウントも、
うまくいくはずがないのです。
この<四大ディスカウント悪>の感情に陥っている限り
その人間の意識は、
どんどんシャドウ化し
歪んだ方向へと進んでいきます。
他者からは敬遠され
関係は歪んで
不健康になり
心理は病んでいきます。
さらに
能力の観点からいっても
社会の中でも後退していきます。
※ 思い込みがもう頑強化して
柔軟性がどんどん欠けていくと
もう新しいことを
付け加えることができなくなります。
もっと厳しくいうと
自分を磨くチャンスをのがし
逆に
怨念を育てていきますかから
そこには鎧を着た
防戦一方の自分になっていきます。
謙虚な自分もなく
プライドだけは高い自分です。
チャレンジしたり
新しい学びを付け加える努力も
できなくなります。
できなくなるとは
●自分を肯定できないのですから
当然そうなります。
だから
その人間の
能力も
一定のとこで停滞してしまいます。
もしかしたら
逆に
どんどん
そのディスカウントが進行してしまうかも
しれませんね。
どうでしょう!
やめませんか。
自分をディスカウントして
甘やかすのは
ろくなことには
なりません。
ほんとうは
1ミリたりとも
自分をディスカウントしては
いけないのです。
この<四大ディスカウント悪>の世界は
滅びへの
世界です。
だから
こんなものなどいらない!
と
蹴っ飛ばしてください。
決して
こういう感情と思いこみに
自分を明け渡さないことです。
そのためには
いつも
●振り返らず
前を向いて
颯爽と
生きてほしいのです。
この
●自己ディスカウントさえ
やめてしまえば
人間はこころも体も
安定してきます。
そして
迷いがなくなることが
自分を常に肯定し
自信をもたらすのです。
最後に
●自分をディスカウントする人間は
他人をも
●ディスカウントせずには
いられません。
その
ディスカウント合戦というか
・心理ゲームは
・夫婦
・親子
・兄弟
・家族
・友人
・同僚
などの
●自分の人間関係の中に
持ち込まれ
●自分が気づかないうちに
負のゲーム、
足の引っ張り合いのゲームの中を
生きてしまいます。
それは
自分をディスカウントして
苦しいから
他者をも
自分のディスカウントに
引っ張り込むのです。
私は
自己ディスカウントが
すべての悪の根源だとも
思っています。
だからまずは
自分をディスカウントするのを
やめることだと
思います。
●自分を不安におとしいれない。
●自分が自分を脅かさない!
さらに
健康で、自立した自分になるために
負の感情、負の思いこみ、
特に<四大ディスカウント悪>の感情には
陥らない!こと
ですね。
今回
私は
あの人のことや
このひとのことや
そして
ブログを読んでくださっている
たくさんの人を
思い浮かべながら
自分のことも含めて
願いと
祈りをこめて
書きました。
まずは
私自身から
やりとげて
いきましょう!