シリーズ「結婚と離婚のワークショップ」その3、相手の中の自分! |
生きています。
だから前回書いたように
自分が選んだ相手も
自分の何かを投影している人間なのです。
特に自分が無意識に抑圧している
もう一人の自分を代弁するものや
自分を補完するものを相手に見たときは
その相手に強く引かれます。
例えば
自分の自由を抑圧している人間は
いとも簡単に自由にふるまう人間に
惹かれて、
その人間を自分のそばに置くことにより
あたかも、自分も自由人になったような錯覚を
持ってしまったりします。
そういう風に相手を仮想統合することにより
自分の不自由さを補うとするのです。
また、
学歴コンプレックスや
エリートコンプレックスの人が
超エリートの人間と結婚することで
自分までがエリートであるような
錯覚に陥り
そういう振る舞いをしてしまうという風にです。
また気が強くて、
いつも負けん気の女性が
自分とは反対の
気が弱いダメ男を選ぶというようなことも
あります・・・苦笑!!
つまり
相手というのは
自分にとって
何等かの意味があるのです。
しかし
問題は
それがあくまでも
相手の
◎一面であることには
気が付いていないと
いうことです。
つまり
自由人の人は
もしかしたら、自由であるとともに
だらしないかもしれないし
我慢しない分、すぐ飽きやすく
無責任かもしれませんね。
また超エリートの人は
もしかしたら、情がうすいかもしれないし
気が弱い男は優しいかもしれませんが
何をやってもダメかもしれない。
そしてそういうマイナス面は
結婚したあとの
日常生活の中で
だんだん出てくるのです。
まあ、きつい言葉でいうと
だんだん本性を表すということでしょかね~!・・・苦笑!
そうなってくると
自分がどんどん
相手を受け入れたくなくなり
許せなくなるのです。
どうしてだか
わかりますか・・・???
つまりは
相手とは
自分が抑圧している
自分が受け入れていない
自分が許していない
もうひとりの自分の姿でも
あるからです。
そういう風に
自分が無意識に抑圧している
ものを
相手によって代理させ、まかなおうとした
人間なのですから、
自分にとって都合のいい
相手の一面だけが
自分に欲しいだけなのですから
それによって生じる
マイナスの反動のことなど
受け入れられないに決まっているのです。
所詮は頭の中の仮想の計算であり
現実はその通りにはいかない!
原理的なことにもどると
なぜ自分が
自分を抑圧してしまうかというと
そういう自分であった時に生じるであろう
マイナス面を
自分がうけいれられない
或は
自己イメージとしての危険を
感じるからです。
つまりは
自己イメージが育成される
親の保護下にあるときに
禁じられた自分でも
あるからです。
だから
ほんとうは
自分の中にある本音の部分でもあり
相手は
それを投影しているのです。
例に挙げたケースの場合だと
・自由になり、自分の思い通りに生きたい。
・エリートしして優越感を感じたい。
・気が弱くても、怠けたり負けてもいいから、楽になりたい
などなどは
自分の手に入れたいものではありますが
そういう自分であった場合
前半の人生では
親との関係において
危険でもあり
煩わしくもあり
厄介なことがあるからこそ
抑圧してしまっているのです。
それが
結婚した後
相手によって
目の前に
現実として
浮きでてくる時
どうしても
許せないのです。
自由だけど、だらしない自分
エリートだけど冷酷な自分
ダメだけど、いつも負けてなんでも失敗する自分を
受け入れられないのです。
とんでもないと
思ってしまうのですね。
例えば
一生懸命に家族のために
頑張っている自分は
ほんとうは
もしかしたら
もう頑張ることが嫌で自由になりたいと
無意識では希求しているかもしれない。
しかし
意識では
私は家族のために頑張り、
親のためにも頑張り
子供のためにも頑張り
懸命に生きている自分だけが
肯定される。
でもね
よーくよーく
自分のこころの底を
透かした見てみると
そういう頑張る自分も疲れ果てていて
どこかそれがむなしく、空虚な自分がいる。
しかし相手は
そういう自分の頑張りなどに
気づかうどころか
愛人を作り
外で遊んでいる。
絶対許せない!
でも
なぜ、
そういう人を選んで結婚したのでしょうかね~?
たいがいの人が
「まさか、そういうことをするにんげんだとは
思わなかった!」と
言います。
その通りです。
だって
その人は
相手を自分の心を満たしてくれる
自分の思いをかなえてくれる。
自分の欠損を埋めてくれる
と
自分に都合のいい部分しか
みていなかったのですから
まさか
そういうことがおきようなどとは
夢にもおもわなかったでしょう!
でも
そういう自分も
幼く、未熟で
さらに
自分勝手では
ありませんでしたか?
相手のマイナス行動の面や
さらに
相手の闇の部分や
相手の悲しみや苦しみまで
見えていましたか?
そこまでを
共有することなど
夢にも
おもわなかったでしょう!
でもね、
結婚とは
そういうものです。
相手の苦しみや闇やマイナス行動まで
みえていたら
結婚なんか
しないでしょう。
実はね、
結婚とは
ほんとうの
自分の現実が
◎ 他者と一緒に生きるという人間の現実が
始まるのです。
結婚は
自分の人生の課題が
相手によって
もたらされます。
だから
相手は
あなたの<ソウルメイト>でも
あるんですよ。
どんなにクズの相手であってもね。
例にだしたケースでいうと
自由というのは
自由である半面
厳しい心の空虚さや
孤独や孤立を受け入れなければ
なりません。
自由というのは
誰からも
等距離の自分でなければ
なりませんからね。
エリートであるためには
たくさんのことを犠牲にして
エリートになるための課題をこなさなければなりません。
それを優先させる冷酷さが必要です。
当然、他人のことなど後回しになります。
気が弱い人間は
当然意志も弱く、挫折しやすいし
そもそも
他人に自分を譲るということこそが
とてもズルイことなのですから。
そういうことをも
自分が
どのように考え
受け入れてゆくか・・・?!
人間はとても複雑で
複層的に
生きています。
そして人間は
いつも
全体で生きています。
全体というのは
人間は
いつも
生きものとして
生きているということです。
善きことも
悪しきことも
正しいと思われていることも
正しくないと思われていることも
すべては人間が創りだした基準と規範ですが
脳と体は
そういう
基準と規範には関係なく
もっと生々しく
生きているのです。
なまなましい生き物としての
全体を
生きているのです。
だから自分の中には
自分にとっては
歓迎したくない
困った感情がいっぱい
湧いてくる自分が
いるのです。
嫉妬も湧きますし
相手を否定したくなる自分もいるし
相手を攻撃したい自分もいるし
厳しい自分もいるし
甘えたい自分もいるし
自分を否定したい自分もいるし
自分を肯定したい自分もいるし
いつも疑う自分もいるし
反対に無警戒の自分もいる。
勤勉な自分
まじめな自分もいるし
怠けたい自分も
無責任なじぶんもいる。
素敵な自分もいるし
嫌な自分もいる。
そういう風に
もう
ありとあらゆる自分がいて
その全体を
抱えて
自分が
在るのです。
しかし
意識の上では
人間社会のルールにのっとり
それに順応すべく
自分にとって都合のいい
良好な自分こそが
自分だと思い込んでしまいます。
育成期に
受け入れてもらえた自分が
自分のイメージで
うけいれてもらえなかった自分は
意識の底、無意識のところに
閉じ込めて
抑圧してしまうのです。
そして
その
自己イメージが
世俗的な
優等生であればあるほど
抑圧は厳しく
そのために
そのひとは
息苦しくなります。
例でいうと
まじめで勤勉で
強い責任感を負えば負うほど
息苦しく
そういう自分の自我のバランスを
とるために
自分の自我のガス抜きというか
風穴を開けてくれる
相手をみつけ
自分に
付け加えるのです。
それが、兄弟,姉妹の誰かであったり
友人であったり
そして
恋愛の相手であり
結婚の相手でも
あるのです。
つまり
自分の心の欠損を
他者で
まかなおうと
するのです。
愛人をつくり
不道徳をする
無責任な相手とは
まじめで優等生の自分が見ている鏡の裏にある
もう一人の自分でも
あるのです。
おそらく本人は
決して受け入れたくは
ないでしょうがね~・・・・。
しかし
ここまで気づけたら
大したもんです。
自分のこころも
感情も
ここまで
自分を掘り下げるには
時間がかかります。
自分の苦しみと
としっかり向き合い
そして
ここまで気づけてやっと
その人の
自立がはじまるのです。
しかし
たいがいの人は
ここまで気づく前に
浅はかな
バトルを繰り返します。
お互いの
潰し合いを
やるのですね。
すべてが
相手がもたらした悪だときめつけて
相手を
変えようと
するのです。
そして相手が変わることが
自分が
幸福になることだという
勘違いを
人生のなかで
やり続けるのです。
では
そのことを
どういうバトルをやってしまうのかを
次回、書きましょう!
