シリーズ「結婚と離婚のワークショップ」その5、すべてが自分との闘い! |
離婚のときこそ
時間をかけて
しっかりと相手と向き合い
感情ではなく
理性で
自分も相手をも
見極めたうえで
とことん
自分が納得することが
とても大事なように
思います。
きっとはじめは
感情が渦巻く中での苦しみに
いろいろ整理がつかないでしょうが
時間をかけて
ひとつひとつの混乱した結び目を
ほどいてゆく。
そして、感情が冷め
自分の輪郭と相手の輪郭が
客観的に
明瞭に見えたときに
判断し
決断することが大切です。
相手が
・自分にふさわしい人間であるか
・そうではない人間であるかを
冷静に、
冷徹に、
相手の愛情の有無などを
いっさい
とっぱらい
※ 相手から愛情をもらおうなんて
受け身の自分ではだめですからね!
対等に向き合う人間として
みきわめていくことですね。
早く解決するために
切ることを
先行させないで、
しっかりと
腹を据えて
取り組むことです。
離婚のトラブルでは、
ほとんどの人が
相手と闘っていると思っていると
思いますが
実は、自分と闘っているのです。
相手と闘っているようにみえますが
自分の中の
嫉妬や怒りの感情
執着の感情、
離婚によってもたらされる
打算や将来不安などと
自分が戦っているのです。
そこに起きた問題は
相手が、もしくは自分が引き金になって起こした
情況でしかありません。
その状況を前にして
感情のベクトルは相手に向けられていますが
しかし
そこで現象化しているのは
そこから跳ね返って自分にむかってくる
自分の感情や
自分の執着や
自分の利害などが頭の中を巡っているはずです。
つまり
離婚という情況のなかで
起きた問題を
どのように解決するかを
しきりに
自分の内部をサーチしながら
自分が持っている
自我のプライドや
依存、
そして
打算や執着や不安と
自分とが
戦っているのです。
自分の頭の中をよーく
見てごらんなさい!
相手のことを考えながらも
戦っている相手とは
まさしく
自分のこころとです。
自分の感情と
自分の弱さです。
つまりは
そこで弱い自分が出てくると
自分と戦うことより
相手が変わることを願うのです。
自分の中の依存
執着、プライドの感情
自分の中の不安や怯えなど
そこに起きている状況はすべて
相手に託して
自分が顔をそむけて
みなかったことや
ないことにしていた
自分の弱点や甘さや
甘えや打算や依存です。
そこにあるのは
まぎれもない
自己葛藤の自分で
その葛藤から逃げてしまうと
相手に対する不信感や
憎しみや
苦々しい思いが消えず
引きずるのです。
しかし
しっかり自分の弱さや甘えや依存と向き合い
格闘し
その戦いをやりきった場合は
結婚も離婚も
すべて
その人間の自立への道へと繋がり
たとえ離婚をしても
とても
清々しいものが残ります。
もうこんな人間(相手)などに
自分を委託せず
さらに
人生を共にする
必要はない!
とせいせいし
さっさとみきわめがついたら
そこからは
自立への道です。
実はね
すべてのことにおいて
人間の闘いは
自分との闘いです。
自分の中で
・自分と
・自分を投影した他者とが
戦うのです。
だから相手が悪いことにして
相手のせいにしてしまうと
ほんとうは
自分が向き合わなければならない
自分の問題性も
自分の弱さも、自分の自我の汚れも
●自分の弱さや甘えを乗り越えない限り
何一つ解決されないまま
非力で
無力な
むなしい状況だけが
残るのです。
人間不信と
憎しみの感情と
そして自分に対する不信感です。
なぜ自分が
その人間を
選んだのか…という中にこそ
自分の人生の課題があり
人生から
「あなたはどう生きるのか?」と
問われているのです。
離婚は
その人の人生の最大の危機ですが
いつ時の感情の高ぶりが冷めるのを待ち
冷静にしっかりと
自分と向き合うとき
そこからまた
◎ 新生なる自分の人生が
開けてきます。
それは
離婚の危機をのりこえ
結婚を継続する場合も
同じです。
人生に起きることすべては
自分の中でおきていることです。
たとえ相手と戦っているように見えること(思えること)も
実は
その現象(自分がたたかっていると見える現象)を
通して
ブーメランのように自分に反ってきたことと
自分が
たたかっているのです。
それがみえてくるには
高水準の知識と知性のはたらきが
必要ですが
(なかなか理解するのが難しいのですが)
じつは
そうなんですね。
すべてが
自分のてのひらにあり
すべては
自分が創りだし
決定していると
いうことですね。
うまくつたえられたかな~???
難しいね!
