2015年 12月 16日
シリーズ「結婚と離婚のワークショップ」その7、最終回! |
もし、もっと時代が進み
広範に
人間社会で
脳のメカニズムとその働きが
理解されるようになったら
結婚も離婚も
そこには脳と脳とが断然し
すれ違うしかないことや
脳が創りだす想念、すなわち
幻想や妄想によって
いかに人間とその関係性が
翻弄されているかが
わかるでしょう。
人間は
相手の表層の情報から
自分が勝手に解釈し、
幻想化し
自分の欲望をそのうえに載せて
思い込んでしまうのです。
それが醒めていくのが
結婚生活という現実です。
そしてそれが醒めて
トラブルが起きてきたときも
よほど密なコミュニケーションをとるなら
別ですが、
たいがいの人は
自分の感情にのっとって
相手を解釈したり
関係をシュミレーションしたりします。
そして
それも
ほとんどが
その人の思い込みです。
思い込んだことが
本当にそうなのかどうかは
わからないのです。
なぜなら
人間は
相手の脳と体の中で
何がおきているかなど
わかりえないからです。
相手の脳の中には
遺伝情報プラス
その人間が生きてきた時間の中で
収集、蓄積された
膨大な情報があるからです。
その膨大な情報に何があるかなんか
わかりはずがないでしょ!
本人だって
わからないのにね~・・・!
脳は瞬時に作動し、
膨大な情報を立ち上げながら、
意識と無意識が錯綜し
最終的に帰結していきますが
それがどうなるかなど
本人すらわからないときがあるのです。
結婚生活とは
かろうじて
お互いが
了解してる
結束点というか
かろうじて通じている
接点において
やっと
共同性を維持しているだけです。
その共同性も
いつ壊れるかも
わからない。
つまり
夫と妻は
結婚について抱いている
それぞれの
・幻想や、妄想が
かろうじて、
結婚生活での接点を
作り、
共同性を維持しているに
過ぎないのです。
そんなものなど
もろく
危ういに
きまっているでしょ。
それはよほど
こころして
覚悟して
粘り強く取り組むしか
ないのです。
そんな中で
ひとつだけ
強烈に
共同作業をしなければならないことがあります。
それが
子育てです。
子供を育てるという
何よりも大切で
なによりも難しい人間の課題が
現代では軽視されてしまい
そこにも
問題の根があるように思います。
最終回は
どうしても
子供のことを書かねばと
私は思います。
性の原理は、
子孫繁栄です。
だから結婚とは
子供たちを
立派に育て上げることこそが
目的だったはずなのです。
人間以外のいきものは
ちゃんとその原理と道理を
生きていきます。
しかし人間は性を
快楽に目的化させた文化を
造り出してしまいました。
人間だけが
<性>を踏みはずしてしまいました。
そして
子供を育てるには
住環境や経済のことなど
どういう風に
育成環境を
作るかという
その条件を
整える必要があります。
※動物たちは、そこをちゃんと
準備していきます。
父親や母親になるということは
その覚悟や決心がいるのです。
しかし
現代は
先に男女の快楽があり
そういう環境の整備も
自覚も覚悟も
ないまま
できたから
子供を産むということが
平気でまかり通るようになりました。
もちろんそうではない人も
たくさんいます。
ただ
子供たちは
望まれて、環境を整備した中で生まれた子と
望まれず、いきなり
厳しい環境のに生まれた子とが
できてしまいます。
望まれない中で生まれた子供のことを思うと
胸が痛みます。
また
子供を育てるには
その人のこころが
≪親≫にならないとね~!!!
親になるとは
時として
自分のことより
子供のことを優先させなければならないことが
山ほどあると
いうことです。
結婚とは
当然そういう縛りのなかに
自分を置くということなのです。
だからといって
結婚や
離婚で悩み、葛藤してはいけないと
いうことではありませんよ。
悩み葛藤するのは
当たり前で
どうぞ
悩み葛藤してください。
それも
人生の課題に取り組んでいる
親の大切な姿です。
その親の姿を子供は
見ているでしょう。
それも必要で大切なことです。
ただ
重要なのは
◎どういう解決の仕方をするか・・・です。
それを子どもは
見ています。
親が自立的な解決をし
前を向いて自分を生きだすか
それとも
妥協的な解決をし
依存や甘えや
不満をのこしたまま
いままでの通りの
自己ディスカウントのままを
続けるか?
すべてのことが
子供が自分の人生を生きるための
データーとなり
お手本と
なります。
<子はかすがい・鎹>という言葉は
単に夫婦のことわざではありません。
鎹とは
建材の合わせ目をとめる金具のことです。
いかに夫婦といえども
そこには
必ず危機が生まれ
すれ違いが起きるにきまっているからこそ
昔の人は
脳科学なんか知らなくても
人間どうしの
危機をのりこえ
つなぎとめるのは
子供を
夫婦で立派に育て上げることで
その長い時間のスパンにおいて
あれこれと、おきる
厄介ないざこざのプロセスを
乗り越えていくことが
いつか
やっと
人間どうしの
絆がうまれていくんだよ!
ということでしょう。
ほんとうは
子孫繁栄のための
結婚であり
子供を産んだら
親として
自分たちが死んでも
子供がたくましく、
立派に生きていけるように
教育する。
だからこそ
生きることを大切にし
自分を鍛え、磨いてゆくということが
親の仕事でもあり
自分の課題でもありますよ
ということでしょう。
そして
自分を磨き熟させていくことについては
子供に恵まれなかったと人も
ひとりの大人として
同じです。
時代を作り
時代を支え
社会の歯車として
すべての大人は
すべての子供に対しての
責任があります。
どういう社会を創りだすかに
責任があるのです。
人間が人間を育てるということが
いかに難しく
手間や
暇のかかることであるかの認識が
現代の社会は
あまりにも安直に考えられています。
子供たちの現実が
大人の事情に優先され
置き去りにされているように
思います。
疲れはてた
父と母が争う!
そこにはいろんな事情があり
いろんなケースがあるでしょう。
でも
子供はそれをみているしかない!
結婚も離婚も
いろいろと
厄介な問題を抱えているのでしょう。
でもね
乗り越えさえすれば
それも
子供はみています。
大人が
人間におきる
厄介な問題を
どのように
乗り越えていくのか?
すべてが
子供の
いきたお手本となります。
昨日は
すべては
自立することによって
自動的に解決してゆくと
書きました。
その通りなのです。
そしてそこにもし
子供をもっている親としてのあなたが
いるのなら
私は
なによりも
子供のことを一番に考えてほしいと
思うのです。
子供が自分の足かせになると
思わないでください。
子供はいつも
どうしたら親の役にたてるだろうか?
どうしたら
親が幸せになるだろうか?を
考えていきています。
だから
自分の感情の欠損を
決して
子供に
依存しないこと。
むしろ子供を
いかに
幸せにするかを
優先して
考えてほしいのです。
そして
決して
人を憎むこと
人間を憎む感情を
子供に
バトンしないこと!!!
子供に絶望させないことです。
自分の感情を他者に依存しなくなると
不思議なことに
寂しいとか
孤独ということも
ちゃんと超えられる自分が
います。
それは
自立するということを
真剣に考え
考察するプロセスにこそ
理性の脳が生まれてくるからだと
思います。
物事をきちんと冷静に客観的に見分け
考察することができる
自分です。
常に自分の内面を
相対化し
自分の弱さを超えようとする
自分です。
理性の脳は
善きことと
悪しきことを
本質的に考え
選別する
論理の脳です。
最後に
どんな人間も
自分の弱さに引きずられてしまいます。
自分の感情に呑みこまれそうになります。
しかし
しかしね~、
その一線を越えて
引きずられてしまうか
呑みこまれて、感情的に行動してしまうか
それとも
思いとどまるかは
ほんとうに
いつもきわどいのです。
不倫にしても
浮気にしても
離婚するか
しないかも
そういう欲望や感情が湧いても
自分の感情を優先して
その一線を
・越えるか
・越えないか
は
多くの人は
かろうじて理性が働くからこそ
踏みとどまるのです。
自分のこと以外の人間のことを
考えて踏みとどまる。
このかろうじて
踏みとどまるところに
その人の
人間としての価値が
生まれます。
なぜなら
そこには
自分以外の人間の
悲しむ姿を
キチン相対化できるからです。
他者と一緒に生きる自分が
あります。
もともと人間は
自力で生きる生命力と
考える脳を
理性の脳を
もっているのです。
だからこそ
混乱が起きるであろう前では
ちゃんと踏みとどまり
他者と生きる
自分の人生を
本能や感情にまかせず
◎頭脳的に生きようと
するのです。
すると
ちゃんとそういう風に自分が
顕われてきます。
そこに人間の人間たる所以が
あります。
賢い自分を
フルに始動させ、作動させ
もう
目いっぱいに生きる。
自立して
自分を
存分にいきて
・他者に介入することなく
・他者をディスカウントするこなく
思い残すことなく
死ぬのです。
最後には
もう
やりつくして
カランカランになった
枯れ木の自分が
ポキッと折れて死ぬ!
そんな満足な自分を
生きるために
結婚と
離婚という
難問を
いかにのりこえていくか!
来年予定している
「結婚と離婚のワークショップ」では
是非
自立をめざし
どう解決していくかを
とことん
やりたいと
思います。

理性の脳なんだね!
広範に
人間社会で
脳のメカニズムとその働きが
理解されるようになったら
結婚も離婚も
そこには脳と脳とが断然し
すれ違うしかないことや
脳が創りだす想念、すなわち
幻想や妄想によって
いかに人間とその関係性が
翻弄されているかが
わかるでしょう。
人間は
相手の表層の情報から
自分が勝手に解釈し、
幻想化し
自分の欲望をそのうえに載せて
思い込んでしまうのです。
それが醒めていくのが
結婚生活という現実です。
そしてそれが醒めて
トラブルが起きてきたときも
よほど密なコミュニケーションをとるなら
別ですが、
たいがいの人は
自分の感情にのっとって
相手を解釈したり
関係をシュミレーションしたりします。
そして
それも
ほとんどが
その人の思い込みです。
思い込んだことが
本当にそうなのかどうかは
わからないのです。
なぜなら
人間は
相手の脳と体の中で
何がおきているかなど
わかりえないからです。
相手の脳の中には
遺伝情報プラス
その人間が生きてきた時間の中で
収集、蓄積された
膨大な情報があるからです。
その膨大な情報に何があるかなんか
わかりはずがないでしょ!
本人だって
わからないのにね~・・・!
脳は瞬時に作動し、
膨大な情報を立ち上げながら、
意識と無意識が錯綜し
最終的に帰結していきますが
それがどうなるかなど
本人すらわからないときがあるのです。
結婚生活とは
かろうじて
お互いが
了解してる
結束点というか
かろうじて通じている
接点において
やっと
共同性を維持しているだけです。
その共同性も
いつ壊れるかも
わからない。
つまり
夫と妻は
結婚について抱いている
それぞれの
・幻想や、妄想が
かろうじて、
結婚生活での接点を
作り、
共同性を維持しているに
過ぎないのです。
そんなものなど
もろく
危ういに
きまっているでしょ。
それはよほど
こころして
覚悟して
粘り強く取り組むしか
ないのです。
そんな中で
ひとつだけ
強烈に
共同作業をしなければならないことがあります。
それが
子育てです。
子供を育てるという
何よりも大切で
なによりも難しい人間の課題が
現代では軽視されてしまい
そこにも
問題の根があるように思います。
最終回は
どうしても
子供のことを書かねばと
私は思います。
性の原理は、
子孫繁栄です。
だから結婚とは
子供たちを
立派に育て上げることこそが
目的だったはずなのです。
人間以外のいきものは
ちゃんとその原理と道理を
生きていきます。
しかし人間は性を
快楽に目的化させた文化を
造り出してしまいました。
人間だけが
<性>を踏みはずしてしまいました。
そして
子供を育てるには
住環境や経済のことなど
どういう風に
育成環境を
作るかという
その条件を
整える必要があります。
※動物たちは、そこをちゃんと
準備していきます。
父親や母親になるということは
その覚悟や決心がいるのです。
しかし
現代は
先に男女の快楽があり
そういう環境の整備も
自覚も覚悟も
ないまま
できたから
子供を産むということが
平気でまかり通るようになりました。
もちろんそうではない人も
たくさんいます。
ただ
子供たちは
望まれて、環境を整備した中で生まれた子と
望まれず、いきなり
厳しい環境のに生まれた子とが
できてしまいます。
望まれない中で生まれた子供のことを思うと
胸が痛みます。
また
子供を育てるには
その人のこころが
≪親≫にならないとね~!!!
親になるとは
時として
自分のことより
子供のことを優先させなければならないことが
山ほどあると
いうことです。
結婚とは
当然そういう縛りのなかに
自分を置くということなのです。
だからといって
結婚や
離婚で悩み、葛藤してはいけないと
いうことではありませんよ。
悩み葛藤するのは
当たり前で
どうぞ
悩み葛藤してください。
それも
人生の課題に取り組んでいる
親の大切な姿です。
その親の姿を子供は
見ているでしょう。
それも必要で大切なことです。
ただ
重要なのは
◎どういう解決の仕方をするか・・・です。
それを子どもは
見ています。
親が自立的な解決をし
前を向いて自分を生きだすか
それとも
妥協的な解決をし
依存や甘えや
不満をのこしたまま
いままでの通りの
自己ディスカウントのままを
続けるか?
すべてのことが
子供が自分の人生を生きるための
データーとなり
お手本と
なります。
<子はかすがい・鎹>という言葉は
単に夫婦のことわざではありません。
鎹とは
建材の合わせ目をとめる金具のことです。
いかに夫婦といえども
そこには
必ず危機が生まれ
すれ違いが起きるにきまっているからこそ
昔の人は
脳科学なんか知らなくても
人間どうしの
危機をのりこえ
つなぎとめるのは
子供を
夫婦で立派に育て上げることで
その長い時間のスパンにおいて
あれこれと、おきる
厄介ないざこざのプロセスを
乗り越えていくことが
いつか
やっと
人間どうしの
絆がうまれていくんだよ!
ということでしょう。
ほんとうは
子孫繁栄のための
結婚であり
子供を産んだら
親として
自分たちが死んでも
子供がたくましく、
立派に生きていけるように
教育する。
だからこそ
生きることを大切にし
自分を鍛え、磨いてゆくということが
親の仕事でもあり
自分の課題でもありますよ
ということでしょう。
そして
自分を磨き熟させていくことについては
子供に恵まれなかったと人も
ひとりの大人として
同じです。
時代を作り
時代を支え
社会の歯車として
すべての大人は
すべての子供に対しての
責任があります。
どういう社会を創りだすかに
責任があるのです。
人間が人間を育てるということが
いかに難しく
手間や
暇のかかることであるかの認識が
現代の社会は
あまりにも安直に考えられています。
子供たちの現実が
大人の事情に優先され
置き去りにされているように
思います。
疲れはてた
父と母が争う!
そこにはいろんな事情があり
いろんなケースがあるでしょう。
でも
子供はそれをみているしかない!
結婚も離婚も
いろいろと
厄介な問題を抱えているのでしょう。
でもね
乗り越えさえすれば
それも
子供はみています。
大人が
人間におきる
厄介な問題を
どのように
乗り越えていくのか?
すべてが
子供の
いきたお手本となります。
昨日は
すべては
自立することによって
自動的に解決してゆくと
書きました。
その通りなのです。
そしてそこにもし
子供をもっている親としてのあなたが
いるのなら
私は
なによりも
子供のことを一番に考えてほしいと
思うのです。
子供が自分の足かせになると
思わないでください。
子供はいつも
どうしたら親の役にたてるだろうか?
どうしたら
親が幸せになるだろうか?を
考えていきています。
だから
自分の感情の欠損を
決して
子供に
依存しないこと。
むしろ子供を
いかに
幸せにするかを
優先して
考えてほしいのです。
そして
決して
人を憎むこと
人間を憎む感情を
子供に
バトンしないこと!!!
子供に絶望させないことです。
自分の感情を他者に依存しなくなると
不思議なことに
寂しいとか
孤独ということも
ちゃんと超えられる自分が
います。
それは
自立するということを
真剣に考え
考察するプロセスにこそ
理性の脳が生まれてくるからだと
思います。
物事をきちんと冷静に客観的に見分け
考察することができる
自分です。
常に自分の内面を
相対化し
自分の弱さを超えようとする
自分です。
理性の脳は
善きことと
悪しきことを
本質的に考え
選別する
論理の脳です。
最後に
どんな人間も
自分の弱さに引きずられてしまいます。
自分の感情に呑みこまれそうになります。
しかし
しかしね~、
その一線を越えて
引きずられてしまうか
呑みこまれて、感情的に行動してしまうか
それとも
思いとどまるかは
ほんとうに
いつもきわどいのです。
不倫にしても
浮気にしても
離婚するか
しないかも
そういう欲望や感情が湧いても
自分の感情を優先して
その一線を
・越えるか
・越えないか
は
多くの人は
かろうじて理性が働くからこそ
踏みとどまるのです。
自分のこと以外の人間のことを
考えて踏みとどまる。
このかろうじて
踏みとどまるところに
その人の
人間としての価値が
生まれます。
なぜなら
そこには
自分以外の人間の
悲しむ姿を
キチン相対化できるからです。
他者と一緒に生きる自分が
あります。
もともと人間は
自力で生きる生命力と
考える脳を
理性の脳を
もっているのです。
だからこそ
混乱が起きるであろう前では
ちゃんと踏みとどまり
他者と生きる
自分の人生を
本能や感情にまかせず
◎頭脳的に生きようと
するのです。
すると
ちゃんとそういう風に自分が
顕われてきます。
そこに人間の人間たる所以が
あります。
賢い自分を
フルに始動させ、作動させ
もう
目いっぱいに生きる。
自立して
自分を
存分にいきて
・他者に介入することなく
・他者をディスカウントするこなく
思い残すことなく
死ぬのです。
最後には
もう
やりつくして
カランカランになった
枯れ木の自分が
ポキッと折れて死ぬ!
そんな満足な自分を
生きるために
結婚と
離婚という
難問を
いかにのりこえていくか!
来年予定している
「結婚と離婚のワークショップ」では
是非
自立をめざし
どう解決していくかを
とことん
やりたいと
思います。

by denshinbashira
| 2015-12-16 08:03
| 「結婚と離婚のワークショップ」
|
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