いのちがいぶく、その5、日本人のDNA! |
いろんな国にゆきました。
その時特に感じたことは
西欧キリスト教国には高い塔が多く
教会も立派で大きく
それらがすべて
天を指していることでした。
つまり西欧の人々は
天の神を敬い
眼ざし
憧れて
上へ上へと目指します。
その上(天)に神がいて
個人が神と繋がろうとするのですね。
神は権力と権威をもっています。
しかし
日本のお寺は屋根が低くなだらかな曲線で
その軒下に
たくさんの人間を包み込むような包容力があります。
塔もせいぜい五十の塔で
それはお釈迦さまの骨を祭るための塔でした。
キリスト教の神が支配的であり
自分達こそ
眞正の神をもつ選ばれし民であるという
思想に比べ
仏教の理念は現象学ですから
支配的ではなく、
人間の関係性=縁を
説いているのです。
釈迦も一人の人間として生き
そして死んでいきました。
ただ仏教も時代的に
時の権力に利用されてしまったことは
ありますが・・・。
こうして考えてみると
現代の混乱した世界の状況の中で
もしかしたら
私たち日本人の存在が
大きな意味を持つように思うのですが
どうでしょうか?
でも今のように
アメリカや西欧の子分では
いけませんね。
まあ、日本は太平洋戦争の
敗戦国ですから
戦勝国には
どうしても頭があがらないのかも
しれませんが。
先日小川紳介監督の映画
「日本国古屋敷村」と「1000年刻みの日時計」という映画を
見ました。
昭和50年に
小川監督自らが
東北の農村に棲みこみ
百姓をしながら
10数年にわたり農民たちとその生活を
撮っていきます。
そこには
厳しい自然の中で
智慧を働かせ
土地に根を下ろし
稲作や炭焼きや養蚕に
身を粉にして働いていた
日本人がいます。
勿論
圧政に苦しみながらも
生き抜いていく
日本人です。
自然の神々への
畏怖と
祈りの中で
人々が
互いに共存して
生き延びてきた
日本の農民の
日々があります。
こうして書くと
いかにも凡庸ですが
大変な道のりであったと
思います。
特に
私が感動したのは
<稲の花が咲く>の瞬間の映像です。
稲は春に早苗を植え
梅雨をこし
熱い夏の中で
稲穂が育つと
たった80分だけ花が咲いて
稲が受精します。
ほんとうに
一瞬の中で
私たちの食べるお米が
産まれてくるのです。
その80分の受精のために
稲を育て守ってきた
日本の農民の原風景があります。
土を耕し
山を守り
厳しさに耐え
生き延びてきた日本人。
その勤勉さと
重労働や苦労を耐えしのぶ
1000年の日本人の魂の
地続きのなかに
私たちは生きているのですね。
眼にはみえないけれど。
小川監督は
今を生きる農民や農婦の
そのドキュメンタリーの顔と姿の中に
1000年の日々の刻みを
写しとっていきます。
ここには
日本人がいつも
こういう風に
土に根を張って生きてきた
伝統と風土があります。
つまり
西欧、アラブのような
狩猟民族にはない
風の中に揺れる稲穂のように
対立を避け
忍耐強く
関係の中を生きようとする
農耕の民の智慧が
あるのですね。
現代はもう
そういうものも
失われつつあるのかもしれませんが
それでも
私たちのDNAは
西欧、アラブとは違うものが
バトンされていると
思います。
西欧、アラブの混乱が
世界中に飛び火して戦争にならないように
いまこそ
日本人がしっかりと
そのアイデンティティーを
打ち立て、
かつ
ナショナリズムにとらわれず、
世界の中で
自分達を際立たせた役割を
しなければならないように
私は思います。
日本人が
自信を
取り戻すことですね。