2016年 01月 31日
稲に官能を感じる・・・小川紳介監督の言葉より! |
私の不幸でもあり
幸福でもあったことは
子供のころから文学の本ばかりを
読まされたことです。
それはずいぶん頭でっかちで
観念的な私を創ってしまいましたが
一方で
人間の中には
『最も透明で繊細にはたらく
魂のかけらのようなもの』があることを
知りました。
それは能勢さんの映画の中で
ピンピンと尾を震わせて
勢いよく
この世へと誕生していくメダカの赤ちゃんが持つ
可能性への希望と躍動であり、
人間においても
心の奥の奥に
だれもが
そういう可能性と希望の躍動があることを
私は本を読むことで教えてもらいました。
昨日は娘が借りてきた映画「マエストロ」を
私もそばで見させてもらいました。
破綻したオーケストラが再生していく話で
私も音楽家の端くれにいましたから
とても興味深く見ました。
その中で中年のヴァイオリニストがもう
よたよたとしか弾けないのを
マエストロ(指揮者)が叱咤し
何度も何度も弾きなおさせます。
ヴァイオリニストは叱咤されるので
どんどん萎縮してしまい
それをみていて
その緊張に耐えられなくなった
コンサートマスターが
マエストロを非難し
練習はストップし、そのオケも空中分解しそうに
なります。
しかし
萎縮しながらもその中年のヴァイオリニストは
自分の中にかすかに、
かすかに変化が起きているのを
しっており、
それは最後には大きな自己再生へと
つながるのですが・・・。
このオケがどうして破綻したかは
ヨークわかります。
それは成員がみんな後ろ向きだからです。
どうせ~だとタカをくくり上から目線で
世の中をみていること。
そして
自信がない人間ほど高くなる自尊心が
オケの中に蔓延しています。
もう同僚どうしで
そのプライドインパルスを飛ばし合い
格付けをして卑下しあいます。
そしてスポンサーも降り
出演料が払われるかどうかも定かでなくなり
とうとう皆を
引っ張ってきたコンサートマスターまでが
その後ろ向き病にかかってしまいます。
その時マエストロが
「金とか父親とかいう、そういう狭くて小さな世界から
ぬけでられたら、またおいで」といいます。
(正確な台詞は覚えていないのですが、こういう内容だったと
思います。)
その通りですね!
今、次の映画の対談のために
小川紳介監督の本「映画を穫る」とを読んでいます。
小川プロは13年間山形の農村に棲みこみ
自分達も田んぼを耕し
稲をそだてながら
映画を撮っていきます。
そういう中で
小川監督は
稲の官能を感じなければダメだと
言っています。
稲に惚れこんで、
稲の受粉から実が熟すまでの姿に
官能を感じろ・・・というのです。
なんという深いことばなのだろうか!!
ところが実際に農業をやっているひとからみると
それは
「そんな甘いとこににいまの農業問題は存在してるんじゃない」と
反論される。
彼らからすると
そんな感情てきなものより
労働の合理化とか、
収益とか経済性とか・・・という
現実のほうが厳しく重たいよ・・・と
いうのですね。
それに対して小川監督は
それもわかるけど
その官能性を抜きにして農業の問題を語ったら
必ず政治に負ける。
それは政治的にいうやつは必ず
その官能性をスポイルしているわけだから・・・。と
反論します。
つまり
政治レベルの
現実的収益とか経済性とかに農業をスライドすればするほど
農業は楽しくもなく
苦しくなるばかりですよ。
なぜなら政治とは
そういう風に人間から喜びを奪う世界ですからね。
ということだと思います。
それはオケにおいても同じことで
お金とか親の音楽性をのりこえるとかいう話になるともう
音楽の楽しさや
演奏する官能の方が後廻しになり
そのうち
音楽の美しさも色あせ、
エクスタシーも何も感じられない音楽を
生産性ばかりで演奏してしまう専門家に
なり下がる。
それこそ
プロたちが陥る落とし穴で、
ついには地獄の釜の蓋をあける・・・って
いうことになります。
後はもう退廃があるのみです。
そんなことより
まずは
稲に惚れ込んで、惚れ込んで
その成長に眼を注ぎ
官能を感じる。
そこにこそ
すべての可能性が潜んでいる。
同様に
音楽に惚れ込んで
演奏することに
のめりこんで
美しい音楽を究める喜びとエクスタシーのなかに
どっぷりと漬かりこむこと。
そのことの方が
なによりも先だろう!
と
マエストロも
小川監督も
いうのですね。
自分がなりわいとしたことに
惚れ込み
そして時間をかけて育て、、磨き
その中にどんどん自分の命の躍動を
そそぎこむ。
さあ~私もがんばって
さらに
体当たりで
がんばろ~!!

この黄色い彼女たちは
雪が降ろうとへっちゃらだよ!
素晴らしいね!
幸福でもあったことは
子供のころから文学の本ばかりを
読まされたことです。
それはずいぶん頭でっかちで
観念的な私を創ってしまいましたが
一方で
人間の中には
『最も透明で繊細にはたらく
魂のかけらのようなもの』があることを
知りました。
それは能勢さんの映画の中で
ピンピンと尾を震わせて
勢いよく
この世へと誕生していくメダカの赤ちゃんが持つ
可能性への希望と躍動であり、
人間においても
心の奥の奥に
だれもが
そういう可能性と希望の躍動があることを
私は本を読むことで教えてもらいました。
昨日は娘が借りてきた映画「マエストロ」を
私もそばで見させてもらいました。
破綻したオーケストラが再生していく話で
私も音楽家の端くれにいましたから
とても興味深く見ました。
その中で中年のヴァイオリニストがもう
よたよたとしか弾けないのを
マエストロ(指揮者)が叱咤し
何度も何度も弾きなおさせます。
ヴァイオリニストは叱咤されるので
どんどん萎縮してしまい
それをみていて
その緊張に耐えられなくなった
コンサートマスターが
マエストロを非難し
練習はストップし、そのオケも空中分解しそうに
なります。
しかし
萎縮しながらもその中年のヴァイオリニストは
自分の中にかすかに、
かすかに変化が起きているのを
しっており、
それは最後には大きな自己再生へと
つながるのですが・・・。
このオケがどうして破綻したかは
ヨークわかります。
それは成員がみんな後ろ向きだからです。
どうせ~だとタカをくくり上から目線で
世の中をみていること。
そして
自信がない人間ほど高くなる自尊心が
オケの中に蔓延しています。
もう同僚どうしで
そのプライドインパルスを飛ばし合い
格付けをして卑下しあいます。
そしてスポンサーも降り
出演料が払われるかどうかも定かでなくなり
とうとう皆を
引っ張ってきたコンサートマスターまでが
その後ろ向き病にかかってしまいます。
その時マエストロが
「金とか父親とかいう、そういう狭くて小さな世界から
ぬけでられたら、またおいで」といいます。
(正確な台詞は覚えていないのですが、こういう内容だったと
思います。)
その通りですね!
今、次の映画の対談のために
小川紳介監督の本「映画を穫る」とを読んでいます。
小川プロは13年間山形の農村に棲みこみ
自分達も田んぼを耕し
稲をそだてながら
映画を撮っていきます。
そういう中で
小川監督は
稲の官能を感じなければダメだと
言っています。
稲に惚れこんで、
稲の受粉から実が熟すまでの姿に
官能を感じろ・・・というのです。
なんという深いことばなのだろうか!!
ところが実際に農業をやっているひとからみると
それは
「そんな甘いとこににいまの農業問題は存在してるんじゃない」と
反論される。
彼らからすると
そんな感情てきなものより
労働の合理化とか、
収益とか経済性とか・・・という
現実のほうが厳しく重たいよ・・・と
いうのですね。
それに対して小川監督は
それもわかるけど
その官能性を抜きにして農業の問題を語ったら
必ず政治に負ける。
それは政治的にいうやつは必ず
その官能性をスポイルしているわけだから・・・。と
反論します。
つまり
政治レベルの
現実的収益とか経済性とかに農業をスライドすればするほど
農業は楽しくもなく
苦しくなるばかりですよ。
なぜなら政治とは
そういう風に人間から喜びを奪う世界ですからね。
ということだと思います。
それはオケにおいても同じことで
お金とか親の音楽性をのりこえるとかいう話になるともう
音楽の楽しさや
演奏する官能の方が後廻しになり
そのうち
音楽の美しさも色あせ、
エクスタシーも何も感じられない音楽を
生産性ばかりで演奏してしまう専門家に
なり下がる。
それこそ
プロたちが陥る落とし穴で、
ついには地獄の釜の蓋をあける・・・って
いうことになります。
後はもう退廃があるのみです。
そんなことより
まずは
稲に惚れ込んで、惚れ込んで
その成長に眼を注ぎ
官能を感じる。
そこにこそ
すべての可能性が潜んでいる。
同様に
音楽に惚れ込んで
演奏することに
のめりこんで
美しい音楽を究める喜びとエクスタシーのなかに
どっぷりと漬かりこむこと。
そのことの方が
なによりも先だろう!
と
マエストロも
小川監督も
いうのですね。
自分がなりわいとしたことに
惚れ込み
そして時間をかけて育て、、磨き
その中にどんどん自分の命の躍動を
そそぎこむ。
さあ~私もがんばって
さらに
体当たりで
がんばろ~!!

雪が降ろうとへっちゃらだよ!
素晴らしいね!
by denshinbashira
| 2016-01-31 08:07
| 映画の中から自由奔放に読み取ってみよう!
|
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