遠野に吹く風!その3、文字文化の終焉?! |
まあそんなことは120パーセントないけど。
遠野に残っている古い建物や街並みを
活用して
映画のスタジオのような
異次元の町のような演出をするけどなあ~”!
遠野駅を降りたとたんに
観光客は
まるで
非日常のファンタジーの世界に来たように
錯覚する!!!
もうここで旅人たちは
心を掴まれ、
脳の興奮が始まる。
古い建物は耐震装置をつけるなり
まあそれなりの修理や
補強がひつようだとは思うけれど
でも
住む建物ではなく
観光用に
”見せる建物”として位置づけて
不要なところは削りおとしたコストで
修理、修復し
逆に
客の実用性のある建物だけを
たとえば
お店とか展示館とかは
しっかりと修理補強する。
そういう風に
今あるものの有効性を
使い分けて
利用する。
映画のセットはほとんどが
見せるための
張りぼてですから
同じように
見せることを目的にしたものは
中まで修理する必要はありません。
見せる建物はそれを頭に入れて
コストを計算し
外側だけを
修理、修復をすればいいのです。
まあ
コストに関しては
そうそう甘くないと思いますが
でも
町中が一つの目的に向かって
心を合わせれば
アイデアもどんどんでてくるだろうし
余剰の労働力も
そこにつぎ込める。
要は
あまりガチに深刻に考えないことです。
古い
古い
幻想の町、
民話の妖怪が棲む町を
どのように演出すれば
旅人たちが遠野へと集まって来るか???
ですね~!
そのカギは
遠野のひとびとが
いかに遠野を愛し
遠野のまちに
自分達のエネルギーを
そそぎこむか
なんだね。
駅を下りた瞬間から
旅人は
遠野のファンタジーの中に
取り込まれ
レトロな街並みが
どんどん脳を刺激し
そして街には
妖怪のアイコンが
あちこちに溢れ
さらに
美味しい食べ物があるとしたら
もう旅人のアドレナリンが
放出しつづけると
思いますよ!!
町の中を一通り見て廻ったら
今度は郊外の郷に行くと
そこには
伝承園をはじめ
曲がり屋があり
妖怪のパワースポットがあり
そして何よりも
美しい風景が
旅人を癒してくれる。
なんて・・・・。
そういうことも
可能だと思います。
さて昨日お約束した
<文字>の時代ではなく
<絵の>の時代とは
について
これを説明するのがなかなか難しいのだけれど
でもね、
私が<文字文化>じゃないよ
<絵の文化>だよ、って書いたとたんに
もう
あゝそうかとひらめいた人も
かなりいるんじゃない???
感度のいい人は
すぐにわかると思います。
人間の脳への情報は
五感を通して入るのだけれど
なかでも
視覚からの情報が
すごいんだね。
例えば他人に対しても
相手を見た瞬間にもう
脳は作動しはじめる。
同じように嗅覚や聴覚も
瞬間に作動して
さらに味覚や触覚が
刺激されてゆく。
つまり
一番最初に感覚があり
其の0,5秒度後に
意識が作動しはじめるのです。
意識とは文字の文化ですね。
意識=文字はあとからです。
だからこそ
先に視覚をどのように刺激するかが
大切なんですよ。
ところが
頭が古い人達は
文字(言葉)や意識でもって
相手を説得しようとする。
つまり
文字や意識で相手を取りこもうと
するのです。
だから
だらだらと説明文を書いたり
詳しく説明すれば
相手も心を動かすと
思い込んでいるんだね。
ただそう思いこむのも
仕方がないんですよ。
人間はあるときから
ずーっと文字文化が
<知>の世界を支配してきたからね。
しかし
何度も書いたけれど
人間の行動や行為は
ほとんど
無意識のうちに
行われます。
意識とは
そういう自分の行動や行為を
再確認したり
説明したりする機能なのです。
だから
見た瞬間にもう
人間は行為、行動しはじめているのです。
ただ
意識の強烈な機能は
拒否とブレーキで
それが作動しはじめると
いわゆる<迷い>が起きてくるのです。
<迷い>はストレスの原因となります。
まあこれを説明し始めると
大変だから、今日はよしとくけど。
人間が言葉というものを発明して
意識が起きてきます。
さらに
それぞれの意識を伝えるために
文字が生まれてきます・
しかし
文字は<絵>から進化していったことは
誰もしっているでしょ。
そしてより複雑なことを伝えるために
文字文化が生まれてきます。
文字を活用することで
人間の文化はさらに進化していきます。
そして
文字をつかいこなし
文字で秩序を創りだし
文字による情報を独占した者が
権力や富を得ていく社会の構造が生まれ
ずっと
つい最近まで
続いていました。
だからこそ
「遠野物語」とは
その知的な人達によって
「遠野物語」という本の・・文字で
幻想化された世界なのです。
つまり
これまでの時代は
<文字伝達で支えられていた世界であった>
遠野はまさに
民話というプリミティヴな世界が文字化されて
受け入れられてきたのだと
私は考えています。
だから当然のこと
<文字文化>を引きずっている限り
そういう人は
これまでは
<文字文化>の中にいた
という認識を捨てない限り
文字に依存し
文字で説明しようとします。
しかし
文字で認識できる世界より
つまり
意識で認識する世界より
◎視覚認識された世界の方が
何倍も大きく、広く、速く
鋭いのです。
鋭く具体的な情報で
脳を刺激します。
そして
時代は
いかに
◎視覚認識させるか
という文化の水準にはいっています。
だからもう
世界中に写真や映像が溢れているでしょ。
つらつら説明するより
ユーチューブで
一発です。
視覚認識の中で
一瞬で重要情報を伝達し
脳を刺激し、
コミュニケーションをはかり
意欲を導き出していく。
そういう時代の認識に
遠野が目覚められると
いいなあ~と
思います。
そうすれば
遠野には
日本と
日本人の
文化のルーツが
もう
山のように
あります。
民話の世界の中に
もう
たくさんのポテンシャルとエネルギーが
封じ込まれていることに
気づけたらいいなあ~!
と
私は思います。
古いものの中にある
原初的種を
とりだして
現代の息吹を注ぎ込み
生き返らせる中に
遠野が
今をどのように生きるかの
答えが見つかると
私は思います。
みつかると
いいね!

○映画から自由奔放によみとってみよう!(伝心柱×能勢広.)
第7回 映像作家 能勢広.の世界
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