映画「無名碑」の世界その5、付録のふろく,能勢広カメラマンと村上浩康監督! |
私は8年前ある人から紹介されて
能勢広カメラマンに出遭いました。
その時能勢さんから
二人のお爺さんをもう6年も撮っていることを
教えてもらいました。
そしてその映画が完成したとき
また再会しました。
この映画が第53回科学映画祭の文科大臣賞の
「流・ながれ」です。
この映画を通して
村上浩康映画監督と出遭いました。
「流・ながれ」は実にいい映画でした。
人間が生きるということを
しみじみとそして温かく見守る
能勢さんと村上さんの眼差しがあり
もう絶滅しそうな
「カワラノギク」という河原に咲く
可愛らしい小さな菊に
自分の心を
託した吉江翁と
時代の流れのなかで
どんどん消えていく
「水棲昆虫」の観察を続けている斎藤翁の
<命>を慈しむその心を
ドキュメントした映画でした。
感情的に移入せず
ただ
淡々と二人を撮っていくこの映画に
私は
自分を重ねて
これからの人生を
どう生きるかの
大きな示唆を
もらいました。
そして私の夫がそれまで経営しいていた会社を
退任するにあたり
会社とは
・人の生きる場所として
・人々が生かされなければならないフィールドであること。
・社員の方々がイキイキと喜びをもって人生を懸けてゆく
・希望のフィールドであらねばならない。
というメッセージを込めた映画
「真艫の風」を
お二人に創っていただきました。
・生きること
・人生を
・何に託して生きるか。
それは
ほんとうは
とても大切なことなのです。
人生を粗末にあつかっていけない。
生きることを
ほんとうに
大切にしなければ・・・。
自分を大切にし
自分を
愛おしみ
自分の生きることを
場当たり的に浪費したり
投げやりにしては
はいけない。
命は生きようとして
生まれる
そして
命は繋がり
次へと
バトンされていきます。
誰にもしられていなくとも
もう
絶滅寸前の
河原に咲く小さな花に自分を託し
種を採取しては撒き
そだてる
吉江翁の中に
孤独な中でも
生きることや
命に対する優しい
尊い
尊いものを
私は見ました。
それは
斎藤翁の中にも
<命>が継承されていくことへの
深い愛を
みました。
故豊岡定男監督が14年かけて
観察して撮った
メダカの受精と誕生の映像を
編集し監修した
能勢広監督の映画
「生命の誕生」には
生まれることのダイナミズムと
生きようとする力強い命の希望の躍動が
あります。
一方村上浩康監督の映画
「無名碑」には
日々を凡庸に生き抜いてきた
そしてさらに
生き抜く
無名の人々の中にある
個性的で豊かで
そして
賢明なる知恵と逞しさが
あります。
能勢さんの映画
「生命の誕生」は
いきもの、命あるものの
意識をもたない生きものたちの
そのままの素直な素直な
原風景であり
村上さんの
「無名碑」は
意識をもった故に
葛藤の歴史の中を生き抜いている
いきもの人間。
しかし人間も
底に通底する
無意識の命のつながりがあり
それが
池の波動のように
詩情になり
流れていきます。
この二人の青年監督の作品の
どちらともが
偶然にも
「いのち・命」が継承されてゆくことを
映画に描いています。
そこには
二人の
言葉にはできない
深い
優しい
眼差しを
見ます。
能勢さんは優しいです。
しかし
そのカメラは一直線に対象にむかい
その虚偽をもひっ剥がす厳しさが
あります。
ごまかしません。
でもね、
それでも
その繊細さの中に
能勢さんのこころが対象を包み込む
まろやかな
優しさがあります。
村上さんは優しくありません。
厳しいです。
でもそれでいいです。
しかし
そのまなざしは
いつも
人間の魂に焦点をあてた
村上さんの深い感情と
優しさに
満ちています。
人生は感慨深いです。
思いもかけない出遭いの中に
きらきらと輝くものが
あると
私は思っています。
そういうものに
いつも
出遭いたいです。
そうなりますように!!
活けました。
村上浩康監督の映画「無名碑」がもうすぐ盛岡で上映されます。
その公式サイトができましたのでご覧ください。
映画「無名碑」についての対談をしました。
よかったらご覧ください。
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