ほんとうの本番! |
偶然フィギュアスケートの浅田真央嬢が
演技をしていた。
しかし最初のジャンプでひっくりこけてしまい
もう以前のような輝きも精彩さもありませんでした。
それをみただけで私はテレビを消しましたが
なぜ彼女は競技に固執するのだろうかという思いが
残りました。
おそらく私などにはわかりえない
いろんな思いがあり
いろんな事情があるのでしょう。
私はスポーツ選手の厳しく磨かれた技は
素晴らしいと思うし
美しいとも
思うが、
オリンピックに関しては
かつてのその色も褪せ
長い年月の間に
それを運営する組織集団は
醜い人間の利権や既得権まみれになり
賄賂やえこひいきが横行しても
それを自浄できない、
もう
屋台骨が朽ちている組織であると
私は思っている。
しかしなぜ
人々はいまだにそれに執着するのだろう。
それともそんな風に
思っているのは私くらいでいまだに
幻想の中にいるのか、
それとも執着するのはほんの一部の人々であり
多くの人はもう冷めているのであろうか。
先日もマラソン女子のオリンピック選考を巡って
競技の後の記者会見で叫んでいた女子選手の顔は
ちょっと精神のバランスが崩れているような
思い込みの激しい
違和感のある顔でした。
美しく磨きぬかれた技を競うのは
それはそれでいいと思います。
しかしそれが
過剰になり
その人間の精神をも支配し始めると
それはもう
美しくなくなります。
勝つこと(負けないこと)や
優勝することに囚われている限り
その内面が熟することは
ありませんが
完成させるというところに
精神が置かれていると
それは成熟や枯淡への道が
開かれていきます。
極められてゆくことは
美しいです。
なぜならそれは
個(孤)が
究められてゆくからです。
最終的には
己の世界が極まってゆくのです。
そこに唯一の
その人のいぶし銀のような世界がある。
個が究められ
己が極まってゆくには
ひとりになり
執着を捨て
個(孤)をいきようとしなければ
ならない。(夢から醒めること。)
究極の個(孤)の世界は
全へと繋がる道です。
そこには
勝つも負けるもありません。
極められた地平はまるで
平野のように平らなる処であるからです。
そこには
安らぎがあるだけです。
高い山は低くされ
深い谷は埋められて
平らに平らになっていく世界です。
浅田真央さんに
もういいよ、という人は
誰もいないのかなあ~。
そして
実は
ライトが消え
拍手が消え
誰もふりかえらなくなったそこからこそ
人生にとってよほど大事なこと
始まる。
オリンピックという狂気と幻想から下りること。
まずは
その興奮から
醒めることだと思いますが
できるといいね。
きっとほっとして
ほっとした瞬間から
次の真央さんのほんとうの本番が
はじまると思います。


