悲しみの水路。 |
落ちこんでいるわけでもないのですが
このところ
どうも勘違いされているような事があり
あえて書きます。
もしかしたら他の人には
私はいつも明るく楽しくいきているように
勘違いされるかもしれないが
そうではない。
私の胸の奥には
深い井戸のような暗渠があり
そこにはいつも
悲しみの水たまりがある。
しかし
それも
みんなが,
つまり
人間誰もが
そういう悲しみの水路をもっているものだと
私は
思っている。
人間とは
そういうものだと
深く深く認識している。
だからこそ
他人に甘えてはいけないのです。
自分と同じように
他人も悲しいのです。
他人の人生も
重たいのです。
そして
自分と同じように
みんな
ひとりで
心を立て直しては
生きている。
そういう風に
つまずいたり
転んだして
傷を負っても
でも
そこから
心を立て直しては
明日こそ
素敵な自分になろうと
眠るんです。
すぐにはこころが晴れないかもしれない
しかし
いつか
心は少しずつ
心は
自分を癒し
傷を治癒してくれます。
そして記憶は
いつの間にか
削除されていきます。
つまり
忘れるのです。
それは
人間の心が
そういう風になっている。
そういう風に
働いてくれるのです。
自分ばかりが悲しいと思い込む人間
しかし
その悲しみをぶつけられている人間も
弱くて
もろくて
不安な
悲しみの水路をもっていること。
そのことをわきまえ
気持ちに銘じていないと
自分の甘えに溺れてしまいます。
今回は
そういうことを
再度考えさせられるようなことが
続けて
何件かありました。