69歳の朝へその3 |
司馬遼太郎の「坂の上の雲」にもでてくる
明治の軍人秋山真之の言葉です。
日露戦争における
日本海海戦直前の連合艦隊が出動する寸前に
本部に向けて
気象状態を報告した言葉です。
あまりにも適格であり
そしてことばとしても美しいので
私の子供の頃によく父が
この言葉を口にしていました。
「本日天気晴天なれども波高し」
それにしても
思い返せば私の人生は
波高しどころか
大波小波のなかの
どしゃぶりの雨続きで
その間の
つかのまの晴れ間に
心を立て直しては
前へ進む
というようでしたよ。
それでも天気晴朗の時は
はればれと気持ちよく
軽やかに
スタスタと歩いて行く自分もいて
どうしたら
いつもそういう自分を保てるかを
懸命に考えながら
生きてきたと思います。
さて
誕生日なんていうのも
私にとっては
どうでもいいことで
家族も
それぞれに対する絶対的な信頼があれば
そういうセレモニーも必要ないと考えていましたから
むしろそういう家族の誕生日なんかも
忘れるくらいでいいとおもってきました。
ましてや自分の誕生日なんか
本人だけがわかってりゃあ~いいことで
他人はおぼえなくてもいい。
そういうわけで
家族の誕生日のお祝いなども面倒くさく
ずっとパス(なしに)してきました・・・笑い
まして
子供たちは
親の誕生日なんか
忘れるくらいでいいです。
逆に親を忘れ
自分に熱中したらいい・・・と
今も思います。
ただ
今年はちょっとばかしいつもとちがい
今年の誕生日を境に
私は大きく脱皮しようと
思っています。
もう最後のジャンプです!!
これまで心の中のゴミを
気づいては捨ててきました。
しかしまだまだ滓のようなものが
のこっています。
それをもういっさい
皿ごとひっくり返して捨てる。
或は
箱ごと捨てたいのです。
これまでも
自分の中にあるコンプレックスや
ネガティヴな自己ディスカウントを
みつけては
退治し
捨ててきました。
そういうネガティヴな自分が翻っては
自己憐憫し
うじうじと自分の感情に拘泥することも
やめました。
傷つかない自分
感情を内向させない自分になる。
さらに
他者に対する不信感から起きる
迷いの中には
陥らない。
他者も
自分も
信頼しつくすことを
自分に命じてきました。
それでも
重箱の残りかすのようなゴミが
まだ残っている。
自分の体の中に沁み込んいる
感情のしこりの塵が
まだ
ある・・・・。
さあて・・・・と。
こんなもの
いらない
これを一挙に捨ててしまおうと
思います。
明日が私の69回目の誕生日です。
明日
全総括をして
それは明日
書きます。
もう
振り向かず
ひたすら前へ
おおいなる完成へとむけて
歩く。
賢治の最後の句
「方十里 稗貫のみかも 稲熟れて
み祭り 三日 空晴れわたる」
のようにです。
●
このたび
「さがみ人間未来フィルムフェスティバル」が
開催されます。
秀作のドキュメンタリー映画作品の
映画祭です。
いつも対談を撮ってくださっている
能勢広・秋葉清功・村上浩康・他の映像作家の皆さんの
ドキュメンタリー作品が
一挙に上映されます。
それぞれの作家の皆さんが
時間をかけながら
丁寧に
コツコツと撮られている作品は
奥の深いテーマばかりです。
日ごろなかなか見ることのできない
映画ばかりなので
できましたら
是非ご覧になってください。
こちらがそのホームページです。