ウエブ戦国時代!!その4、IT事業と人間の介在の問題。 |
人間は自分のドメインと限界を
<意識的に理解>していないと
脳のイメージの自己幻想が膨張したり
拡張したりという
脳の妄想の暴走がおきます。
また
自他の分離ができていない人は
自分と他人との境界線や距離が曖昧なまま
自分と他者とを混同して
・妄想化したり
・混乱したりもします。
※自我は可能性を過剰に妄想したり
限界をも妄想して
心理の内面からその人間を
強迫したりしますからね。
ドメインは
自我意識のフレームということでもあります。
自我意識とは
・自分の主観に基づいた自己イメージです。
つまり
私は
・こういうことはやるけど、
・こういうことはやらない。
或は
・こういうことはできない。
という
自分の行動の選択の基準であり
自分の領域のフレーム化です。
ただ
自分のドメインとか限界を持ちだすと
一見、脳の限りない可能性とは
相容れないように思えるますが
そうではなく
・出力する場合は無限の可能性の中に
自分を置き
しかしそれを
・受容する場合は
自分の限界や
ドメインを意識的にわきまえていないと
いくらたくさんのデーターを手にしても
それらは自分のドメインの間口から
こぼれて無駄になっていくという
いうことです。
現代の情報社会は
情報が等しく公開されて行く社会ですが
しかしその一方で
容易く手に入る情報を
どのように精査し
コントロールし有効に使うかついては
やはり
自分のドメインと限界を理解し了承していないと
情報に振り回される弊害と破綻が
起きます。
このことをIT産業に当てはめてみると
巨大情報システムの出力する方は(グーグルは)
オープンソースと
コンピューターの自動化で
無限の可能性を提供するが
それを受け取る側の個々人は
自分のドメインを意識的にわきまえていないと
情報を精査、選択することができないと
いうことです。
もっとわかりやすくいうと
グーグルの巨大コンピューターのあちら側には
限りない情報の山があるけれど
それを使いこなすには
自分の脳のデーターが整理され、焦点化されていないと
情報が無駄に溢れた中で
溺れ死ぬということです(ワタしゃ表現が過激ですね~!)
・情報を提供する側はドメインを設定せず無限に。
・情報を受け取る側はドメインを自覚している。
ということにおいて
もしかしたら
日本のIT事業者は
・発信者としては
それを勘違いしたかもしれませんね。
つまり日本のIT事業者のように
・コンピューター世界に
・人間を介在させるということは
最初から自分達のドメインを設定し
そこに起きる創造性に限定を掛けてしまったかもしれません。
・人間を介在させるということは
当然そこに、不可避的に
・人間の自我意識の問題が付着してくるからです。
自我は一方では人間の
・可能性を追及しますが
もう一方では
人間の可能性に
・ブレーキを掛けてしまいます。
だから
・人間を介在させるということは
自我の汚れが解決されていないと
創造性が限定されるのです
また
日本の大衆社会は
自己ドメインと他者のドメインの境界が曖昧で
その混同と錯覚とが
情報を汚染しているという自覚が
ないように思います。
だから炎上なんてことが多発してしまうのでしょう。
これはIT事業だけでなく
日本の企業やビジネス及び
社会全般にはびこる病理のようにも
思います。
前回は
・人間を介在させない
・自動的なコンピューターシステムを作るということが
実はそこに
・脳の疑似的世界を作り上げることだということ
書きました
つまり
脳の世界は情報によって作りだされる
・生命情報現象で
その脳と
・有機的な生命現象の体とが
合体してあるのが
人間だと
私は思っています。
グーグルの成功は
物理現象としての情報を自立させ
コンピュターでで自動化して
事業化していったところに
あるように思います。
それはそれで
素晴らしい洞察に基づいたものだと
思います。
ただ私はそこに
・体の問題が積み残されているようにも
思います。
つまり
もう一方には
脳と体を止揚するはたらきとしての
・意識の問題があり
究極には
・人間の自我意識のイメージの問題があります。
自我意識の問題とは
・自分の主観に基づいた自分のイメージから発するものを
・どのように解決していくかこそが
・巨大情報化社会の課題だと
思います。
自我意識のイメージの問題とは
人間の発する情報には
不可避的に
自分の主観に基づいた、
自分の辺縁系の感情と記憶で汚れた自我意識のイメージの歪みが
付着してしまうということです。
また受け取った情報にも
同様のことが起きます。
そういう自我の汚れの付着を限界として
情報の純度を精査するか
そういう不純性も了解したうえで
情報を扱うということです。
こういうことを解決してゆかないと
情報に人間が呑みこまれたり
歪んだ情報や
間違った認識の情報に
人間がマインドコントロールされてしまう危険があると
いうことです。
でも
自我の意識とはなにかが
解明されていくと
個々の自我意識に左右されない形で
情報が純化されていくことも可能でしょう。
そうなると
もしかしたら
お互いの思い込みや誤解が解けていくことも
可能になります。
そうなると
情報社会というのは
素晴らしいものを人間にギフトしてくれるかも
しれませんよ。
情報が開示された社会で
情報を自分の人生に有効に使うためには、
情報は山ほど手にはいるが
どう生きたらいいか
わからない!
というのではなく
情報化社会と
自分のドメインを
付き合わせて
いかにその二つを止揚していくかを
考えることです。
情報が独占されない時代が来た。
だからこそ
それをどのように生かすかが
人間に問われているのですね。
これも難しい問題です。
でも未来ビジョンとして
取り組み解決していきましょう。

今年も咲いてくれました!

