2016年 05月 19日
情報社会で踊らないための自己イメージ・その1 |
はじめに
とても厳しいことをいいます。
・物質文化に踊らされた人間
及び
踊った人間は
同様に
・情報文化にも
踊らされ
踊ると思います。
そこには
自分が練り上げた
自己イメージがないからです。
脳は反応のマシンとして
それまでに獲得しデーターを基に連鎖し
・脳が創りあげる
自己世界を
私たちの無意識と意識に
下ろしてきます。
しかし
その脳が下ろしてくる
自己世界を
修正し
自分で自分の脳を
再<洗脳>していくのも
自分の意志と意識です。
自分が獲得した脳データーの世界を
どのように書き換えていくか。
その時
その中心に
自己イメージ、言い換えれば
自分の未来ビジョンを
デンと据える必要があります。
脳の中は連鎖現象ですから
ともすると
何かに連鎖して
古い自己イメージがぶり返してきて
無意識のうちに
古い自己イメージが作動し
無意識に
古い自己ビジョンの中を
生きてしまいます。
それでも
ハッと気づいたら
自分は
こう言う風に生きる
という
自己イメージさえあれば
過去をしりぞけ
自分の新しい未来ビジョンへと
再セットできます。
※その自己イメージによって
脳と体にセンサーが
・何に反応するかも変化していきますから
当然、
瞬間、瞬間に獲得されるデーターも変化し
脳のニューラルネットワークも
変容していきますからね。
そういう
<自分という現象>と戦いながら
自分にとって
どのような人生を生きるかを
模索してください。
それでは今日から
・自己イメージとは何かや
・自己と欲望や欲求の関係
・自己と物との関係
そして
・究極的な自己イメージなどについて
書いていきましょうかね~。
ただ脳の世界や心理の世界を駆使して
細部まで説明しだすと
ものすごく大変で、難しいので
ほんとうに
ざっくりと
そして私自身が理解している範囲内で
わかりやすく書いていきますので
それをご承知おきください。
慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授の
<前野隆司>先生によると
脳は
・運動を行うために、
自分の体や道具の<内部モデル>をつくるという。
内部モデルには
・順モデル
と
・逆モデルがあり
・順モデルは
経験、原因から結果を導き出そうとするイメージモデルで
・このように筋肉に力を加え、
このように体を動かそうとすれば、
実際にどうなる。
ということを
脳内でシュミレーションする働きです。
一方の
・逆モデルは
結果から原因を推定し
そこから
あらかじめ
こう言う風にしたらうまく行くという
成功をシュミレーショして導きだして
イメージしたモデルです。
脳の中には
行動についての三つの方法を持っており
一つ目は
・反射的な行動があり
二つ目は
・反射的な行動がうまく行った時と
なにかエラーを起こして失敗した時の
誤差を振り返って行動したイメージが
●順モデルで
三つめは
行動した結果から振りかえって、
そこからイメージを膨らませ
うまくいくためには
・予めこうなるだろうと予測して行動をコントロールする為のモデルが
●逆モデル
ということです。
人間は常にこの三つの行動のなかで
失敗しては順モデルをイメージし
そこから
逆に成功するためには
どうしたらいいかという
逆モデルをシュミレーションしながら
いきているということです。
そして<前野隆司>先生によると
思考とは
過去の様々な経験によって脳の中にストックした
「こうしたらこうなる」という
行動の順モデルを使ってシュミレーションし
さらに
「こうするためには、こうしたらいい」という
逆モデル(理想モデル)をシュミレーションしながら
よりよい行動を見つけだすことだと
しています。
そして心とは
脳の五つのはたらきである
「知」「情」「意」「記憶と学習」「意識」が
壮大なニューラルネツトワーク
(脳のニューロンが作りだすネットワーク)の中で
・連鎖
・接続
・計算
ということが相互に作用しながらおきてくる現象であると
いうことです。
どうぞ興味のある方は
●前野隆司著「脳はなぜ心をつくったのか」筑摩書房を
読んでみてください。
そういうことを踏まえたうえで
私は
自己意識の中にも
自己イメージの
・順モデルと逆モデルがあるように思います。
おぎゃ~とあうまれた瞬間からの
本能的、
反射的行為の結果
子供時代は
どのように
他者や社会との関係を結んだらいいのかを
・学習して
・順モデルの自己イメージを結んでいきます。
さらに
順モデルの自分が
他者との関係を
うまくやっていくためには
・こういう自分がいいのではないかと
シュミレーションして
・仮想的に作り上げた自分のイメージが
・<自己幻想>の
・逆モデルではないかと
私は思います。
おぎゃ~と生まれたときから
親をはじめ
・他者との関係性の中で
・自分の行動を選択し
・決定していくなかで
その人間の反応や
行動が体系されながら
慣性化されていくこと。
つまり
自分は他者との関係で
どういう人間であろうとするかの
順モデルソフトが
・無意識の中でできていくのではないでしょうか。
しかし
問題は
その順モデルに
親や周囲の人間からの期待がプラスされてしまい
理想化されて逆モデルになり
それがあたかも可能な自分であるかのような
錯覚に陥るのが
・自己幻想ではないかと
思います。
また反対に
順モデルの自分を
親や周囲の人間から
ディスカウントされたり
否定されたりして
そういう親や周囲の人間と
・うまくやっていくために
・自分をマイナスイメージにしてしまうという
・マイナスの逆モデル(マイナスの自己幻想)も
アルと
思います。
問題は
そういう逆モデルとしての
理想の自分と
実際の自分との落差が起きたときです。
その時
人間は傷ついたり
落ちこんだり
挫折したりするのではないかと
思います。
つまり自己幻想の墜落です。
そして
マイナスの自己幻想の場合は
恐れや
脅威や
怒り、恨みが起きる。
それはすべて
その人間の内部で起きている失望や落胆にすぎず
外部の人間、つまり他者からは
全く見えない
その人の現象です。
つまり
他者には
その人間の等身大というか
ありのままの姿がみえているだけなのですが
自分は
理想化した自分
つまり自己幻想の錯覚の中にいるので
ありのままの自分がみえているのだとは
理解ができず
心が動揺してしまうのです。
悲しみが起きてくる。
おそらく
こういう<関係のメカニズム>のなかで
いわば
<関係の錯覚>で
人間は
苦しむのだと
思います。
さて
自己イメージをどう結ぶかについては
その人間の生育環境のなかで
・誰がどのように
・モデルになり
また
・どのようにその子どもが
・学習したかが
自己イメージのソフトの内容になります。
ということは
自己イメージの
その内容が
とても重要なカギになるということですね。
その自己イメージが
自分の等身大に近い自然性の中にあれば
さして問題は起きないと
思いますが
そのモデルが
人間社会の既存の
・欲望や
・序列や
・優劣や
・世俗的な価値観の垢や汚れで
汚染されている場合は
ちょっと厄介です。
まあ、たいがいは汚染されています・・・苦笑!!
例えば
とても派手好きな親に育てられ
その虚栄心が
刷り込まれてしまったとしたら
その子供は
虚栄心の強い派手好きの人間が
自己イメージとなり
そういうソフトに従って
行動したり
ものを選んだりするでしょうし
親が喜ぶように
自分をもっと膨張させたり
拡張させて
虚栄的な価値観の中を
生きようとしてしまうかも
しれませんね。
(日本人がビトンに走るのも
そういう汚染の中にいるからではないでしょうか・・・苦笑!!)
そうなると
・派手でないものや
・地味なことに対する
・マイナスイメージを
持つかもしれません。
またその物差しのなかで
自分より派手な人間に対するコンプレックスを持ったり
それが翻って
地味な人間に対する優越感や
侮蔑なども
生まれるかもしれませんね。
そういうものに汚染されて自己イメージを
持ってしまった子供が
大きくなって
社会へと出たとき
そこには
とても厳しい他者の査定が待っていますから
もうたくさんのつまづきや
傷つきに直面すると思います。
直面するとは
他者の目線からの
自分のありのままを
突き付けられるということです。
いくら自分を着飾ったり
装飾しても
その人間の内容は
すべて
ありのままに
出てしまいますから
当然他者の眼と
自分の願望的なものとは
落差が
おきてしまいます。
自分のありのままを
突き付けられた時
あそうかゝと
受け入れらると
な~んも問題はないのですが
たいがいの人は
傷ついたり
落ち込んだり
という
自己イメージの墜落が
起きます。
ほんとうは
こういう墜落なんかは
生きる上では
当然のことなのですが
でも
人々は
そこに感情を注入して
ダメージのストレスの中に
はいってしまいます。
世の中は
等身大の自然性の自己イメージを持つ人間なんか
ほとんどいませんし
また
若い時はどうしても
親や周囲の人間からの期待を負わされたり
本人もその気になっていたりしますから
自己幻想をもつのが当たり前ですし
逆に
デイスカウントされた人は
そういう人間からの
心理的否定を受けたりしていますから
自己否定幻想をもつのも
当たり前です。
また
未熟な親の依存により
自分のチャイルドを抑圧している
アダルトチルドレンなどは
まだ
こどもなのに
まるで
大人のように
自己を拡張、膨張させてしまいます。
ホンモノの大人でもないその人が
社会の厳しい現場で
アッという間に
風船がしぼむのも
自分が墜落していくのも
当たり前です。
特に20代や30代は
自分の主観的世界と
それに基づいた自己イメージのほうが
意識の上位で優先されますから
たいがいが
現実と衝突してしまいます。
現実とは
自分と他者(客観的存在)との関係とで起きる
フィールド現象です。
その赤裸々なフィールドである現実で
何度も何度も
衝突して、
はじめて
自分と自己幻想の落差が
見えてくるのです。
つまり
自己幻想に膨らんだ自己イメージは
社会という他者及び客観的世界から下される
厳しい査定の現実と
自分の等身大との落差に
気づけず
もがくのですね。
でもね
それでいいです。
それも若さです。
そういうことは
ごく自然の
当たり前のことです。
脳の内部モデルとしての
順モデル
そして
逆モデル
は
言えば簡単にいえますが
しかし
それは
とても厄介で
複雑な
生育データーを基に
ニュウーラルネットワークを
形成してしまうのです。
だから
人間は
いつも
傷ついて
失望し
もがきます。
でも
それは
私たちが人間だからです。
つまり
複雑に働く脳を持ってしまったからです。
人間の欲望も
単に反射的な動物的な欲望ではなく
そこに
いろいろな要素、
つまり
人間の俗世界が創る
・序列や
・優劣や
・世俗的な価値観の垢や汚れや
・理想幻想が
過剰に包装されしまうから
欲望が膨張したり
拡張したり
屈折したりして
しまうのです。
だから
自分が傷ついたり
墜落することは
実は
自分を等身大の
自然な自分に戻していくための
不可避な道であり
ほんとは
重要な
いいことなんですよ。
20代、30代の若者たちよ
たくさん傷つくことですよ。
事と次第によっては
40代も
50代も
まだまだ
そういう範疇にあるかもしれませんね。
まあ、人間も動物ですから
そういう自分の順モデルと逆モデルを
駆使しながら
身分の身づくろいや
自分の巣作りをするであろうし
そういうことに
◎物と物質欲とが
密接に関係していると
思います。
次回は
脳の内部モデルを
自分が生きやすい
自然な自分へと変えていくには
どうするか・・・を
書いてみようと
思います。
それと以下の記事は
以前自己イメージについて書いたものです。
よかったら
読んでみてください。
「究極の自己イメージその1」

ほ~ら、
紫陽花が
輝いてる!!
とても厳しいことをいいます。
・物質文化に踊らされた人間
及び
踊った人間は
同様に
・情報文化にも
踊らされ
踊ると思います。
そこには
自分が練り上げた
自己イメージがないからです。
脳は反応のマシンとして
それまでに獲得しデーターを基に連鎖し
・脳が創りあげる
自己世界を
私たちの無意識と意識に
下ろしてきます。
しかし
その脳が下ろしてくる
自己世界を
修正し
自分で自分の脳を
再<洗脳>していくのも
自分の意志と意識です。
自分が獲得した脳データーの世界を
どのように書き換えていくか。
その時
その中心に
自己イメージ、言い換えれば
自分の未来ビジョンを
デンと据える必要があります。
脳の中は連鎖現象ですから
ともすると
何かに連鎖して
古い自己イメージがぶり返してきて
無意識のうちに
古い自己イメージが作動し
無意識に
古い自己ビジョンの中を
生きてしまいます。
それでも
ハッと気づいたら
自分は
こう言う風に生きる
という
自己イメージさえあれば
過去をしりぞけ
自分の新しい未来ビジョンへと
再セットできます。
※その自己イメージによって
脳と体にセンサーが
・何に反応するかも変化していきますから
当然、
瞬間、瞬間に獲得されるデーターも変化し
脳のニューラルネットワークも
変容していきますからね。
そういう
<自分という現象>と戦いながら
自分にとって
どのような人生を生きるかを
模索してください。
それでは今日から
・自己イメージとは何かや
・自己と欲望や欲求の関係
・自己と物との関係
そして
・究極的な自己イメージなどについて
書いていきましょうかね~。
ただ脳の世界や心理の世界を駆使して
細部まで説明しだすと
ものすごく大変で、難しいので
ほんとうに
ざっくりと
そして私自身が理解している範囲内で
わかりやすく書いていきますので
それをご承知おきください。
慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授の
<前野隆司>先生によると
脳は
・運動を行うために、
自分の体や道具の<内部モデル>をつくるという。
内部モデルには
・順モデル
と
・逆モデルがあり
・順モデルは
経験、原因から結果を導き出そうとするイメージモデルで
・このように筋肉に力を加え、
このように体を動かそうとすれば、
実際にどうなる。
ということを
脳内でシュミレーションする働きです。
一方の
・逆モデルは
結果から原因を推定し
そこから
あらかじめ
こう言う風にしたらうまく行くという
成功をシュミレーショして導きだして
イメージしたモデルです。
脳の中には
行動についての三つの方法を持っており
一つ目は
・反射的な行動があり
二つ目は
・反射的な行動がうまく行った時と
なにかエラーを起こして失敗した時の
誤差を振り返って行動したイメージが
●順モデルで
三つめは
行動した結果から振りかえって、
そこからイメージを膨らませ
うまくいくためには
・予めこうなるだろうと予測して行動をコントロールする為のモデルが
●逆モデル
ということです。
人間は常にこの三つの行動のなかで
失敗しては順モデルをイメージし
そこから
逆に成功するためには
どうしたらいいかという
逆モデルをシュミレーションしながら
いきているということです。
そして<前野隆司>先生によると
思考とは
過去の様々な経験によって脳の中にストックした
「こうしたらこうなる」という
行動の順モデルを使ってシュミレーションし
さらに
「こうするためには、こうしたらいい」という
逆モデル(理想モデル)をシュミレーションしながら
よりよい行動を見つけだすことだと
しています。
そして心とは
脳の五つのはたらきである
「知」「情」「意」「記憶と学習」「意識」が
壮大なニューラルネツトワーク
(脳のニューロンが作りだすネットワーク)の中で
・連鎖
・接続
・計算
ということが相互に作用しながらおきてくる現象であると
いうことです。
どうぞ興味のある方は
●前野隆司著「脳はなぜ心をつくったのか」筑摩書房を
読んでみてください。
そういうことを踏まえたうえで
私は
自己意識の中にも
自己イメージの
・順モデルと逆モデルがあるように思います。
おぎゃ~とあうまれた瞬間からの
本能的、
反射的行為の結果
子供時代は
どのように
他者や社会との関係を結んだらいいのかを
・学習して
・順モデルの自己イメージを結んでいきます。
さらに
順モデルの自分が
他者との関係を
うまくやっていくためには
・こういう自分がいいのではないかと
シュミレーションして
・仮想的に作り上げた自分のイメージが
・<自己幻想>の
・逆モデルではないかと
私は思います。
おぎゃ~と生まれたときから
親をはじめ
・他者との関係性の中で
・自分の行動を選択し
・決定していくなかで
その人間の反応や
行動が体系されながら
慣性化されていくこと。
つまり
自分は他者との関係で
どういう人間であろうとするかの
順モデルソフトが
・無意識の中でできていくのではないでしょうか。
しかし
問題は
その順モデルに
親や周囲の人間からの期待がプラスされてしまい
理想化されて逆モデルになり
それがあたかも可能な自分であるかのような
錯覚に陥るのが
・自己幻想ではないかと
思います。
また反対に
順モデルの自分を
親や周囲の人間から
ディスカウントされたり
否定されたりして
そういう親や周囲の人間と
・うまくやっていくために
・自分をマイナスイメージにしてしまうという
・マイナスの逆モデル(マイナスの自己幻想)も
アルと
思います。
問題は
そういう逆モデルとしての
理想の自分と
実際の自分との落差が起きたときです。
その時
人間は傷ついたり
落ちこんだり
挫折したりするのではないかと
思います。
つまり自己幻想の墜落です。
そして
マイナスの自己幻想の場合は
恐れや
脅威や
怒り、恨みが起きる。
それはすべて
その人間の内部で起きている失望や落胆にすぎず
外部の人間、つまり他者からは
全く見えない
その人の現象です。
つまり
他者には
その人間の等身大というか
ありのままの姿がみえているだけなのですが
自分は
理想化した自分
つまり自己幻想の錯覚の中にいるので
ありのままの自分がみえているのだとは
理解ができず
心が動揺してしまうのです。
悲しみが起きてくる。
おそらく
こういう<関係のメカニズム>のなかで
いわば
<関係の錯覚>で
人間は
苦しむのだと
思います。
さて
自己イメージをどう結ぶかについては
その人間の生育環境のなかで
・誰がどのように
・モデルになり
また
・どのようにその子どもが
・学習したかが
自己イメージのソフトの内容になります。
ということは
自己イメージの
その内容が
とても重要なカギになるということですね。
その自己イメージが
自分の等身大に近い自然性の中にあれば
さして問題は起きないと
思いますが
そのモデルが
人間社会の既存の
・欲望や
・序列や
・優劣や
・世俗的な価値観の垢や汚れで
汚染されている場合は
ちょっと厄介です。
まあ、たいがいは汚染されています・・・苦笑!!
例えば
とても派手好きな親に育てられ
その虚栄心が
刷り込まれてしまったとしたら
その子供は
虚栄心の強い派手好きの人間が
自己イメージとなり
そういうソフトに従って
行動したり
ものを選んだりするでしょうし
親が喜ぶように
自分をもっと膨張させたり
拡張させて
虚栄的な価値観の中を
生きようとしてしまうかも
しれませんね。
(日本人がビトンに走るのも
そういう汚染の中にいるからではないでしょうか・・・苦笑!!)
そうなると
・派手でないものや
・地味なことに対する
・マイナスイメージを
持つかもしれません。
またその物差しのなかで
自分より派手な人間に対するコンプレックスを持ったり
それが翻って
地味な人間に対する優越感や
侮蔑なども
生まれるかもしれませんね。
そういうものに汚染されて自己イメージを
持ってしまった子供が
大きくなって
社会へと出たとき
そこには
とても厳しい他者の査定が待っていますから
もうたくさんのつまづきや
傷つきに直面すると思います。
直面するとは
他者の目線からの
自分のありのままを
突き付けられるということです。
いくら自分を着飾ったり
装飾しても
その人間の内容は
すべて
ありのままに
出てしまいますから
当然他者の眼と
自分の願望的なものとは
落差が
おきてしまいます。
自分のありのままを
突き付けられた時
あそうかゝと
受け入れらると
な~んも問題はないのですが
たいがいの人は
傷ついたり
落ち込んだり
という
自己イメージの墜落が
起きます。
ほんとうは
こういう墜落なんかは
生きる上では
当然のことなのですが
でも
人々は
そこに感情を注入して
ダメージのストレスの中に
はいってしまいます。
世の中は
等身大の自然性の自己イメージを持つ人間なんか
ほとんどいませんし
また
若い時はどうしても
親や周囲の人間からの期待を負わされたり
本人もその気になっていたりしますから
自己幻想をもつのが当たり前ですし
逆に
デイスカウントされた人は
そういう人間からの
心理的否定を受けたりしていますから
自己否定幻想をもつのも
当たり前です。
また
未熟な親の依存により
自分のチャイルドを抑圧している
アダルトチルドレンなどは
まだ
こどもなのに
まるで
大人のように
自己を拡張、膨張させてしまいます。
ホンモノの大人でもないその人が
社会の厳しい現場で
アッという間に
風船がしぼむのも
自分が墜落していくのも
当たり前です。
特に20代や30代は
自分の主観的世界と
それに基づいた自己イメージのほうが
意識の上位で優先されますから
たいがいが
現実と衝突してしまいます。
現実とは
自分と他者(客観的存在)との関係とで起きる
フィールド現象です。
その赤裸々なフィールドである現実で
何度も何度も
衝突して、
はじめて
自分と自己幻想の落差が
見えてくるのです。
つまり
自己幻想に膨らんだ自己イメージは
社会という他者及び客観的世界から下される
厳しい査定の現実と
自分の等身大との落差に
気づけず
もがくのですね。
でもね
それでいいです。
それも若さです。
そういうことは
ごく自然の
当たり前のことです。
脳の内部モデルとしての
順モデル
そして
逆モデル
は
言えば簡単にいえますが
しかし
それは
とても厄介で
複雑な
生育データーを基に
ニュウーラルネットワークを
形成してしまうのです。
だから
人間は
いつも
傷ついて
失望し
もがきます。
でも
それは
私たちが人間だからです。
つまり
複雑に働く脳を持ってしまったからです。
人間の欲望も
単に反射的な動物的な欲望ではなく
そこに
いろいろな要素、
つまり
人間の俗世界が創る
・序列や
・優劣や
・世俗的な価値観の垢や汚れや
・理想幻想が
過剰に包装されしまうから
欲望が膨張したり
拡張したり
屈折したりして
しまうのです。
だから
自分が傷ついたり
墜落することは
実は
自分を等身大の
自然な自分に戻していくための
不可避な道であり
ほんとは
重要な
いいことなんですよ。
20代、30代の若者たちよ
たくさん傷つくことですよ。
事と次第によっては
40代も
50代も
まだまだ
そういう範疇にあるかもしれませんね。
まあ、人間も動物ですから
そういう自分の順モデルと逆モデルを
駆使しながら
身分の身づくろいや
自分の巣作りをするであろうし
そういうことに
◎物と物質欲とが
密接に関係していると
思います。
次回は
脳の内部モデルを
自分が生きやすい
自然な自分へと変えていくには
どうするか・・・を
書いてみようと
思います。
それと以下の記事は
以前自己イメージについて書いたものです。
よかったら
読んでみてください。
「究極の自己イメージその1」

紫陽花が
輝いてる!!
by denshinbashira
| 2016-05-19 05:46
| 創造性の根源にあるもの・ウエブ戦国時代
|
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