一戔五厘の旗! |
戦争で気が狂った男の人がでてきました。
実は私もやはり戦争で精神が病んでしまった人を
実際しっています。
私たち家族が父親の転勤で
下関から神奈川県藤沢市に引っ越してきて
しばらく家を借りていた農家での
出来事です。
当時の私は中学1年生でしたから
戦後15年もたっていた頃のことですよ。
あるとき借りていた家の付近で
騒動が起きました。
私はそれをみてびっくりしました。
それは
日本軍の兵隊帽をかぶった
裸にふんどしの男の人が
電柱に上り
てっぺんで
なにやらわめいていたのです。
もう付近でも
その電柱を囲んで大騒ぎになっていました。
その人は
戦争で気が狂い
どうやら今も戦争中だと思いこみ
電柱の上に上ってなにやら叫んでいたのでした。
それからその人がどうなったのかは
覚えていませんが
今も
兵隊帽をかぶった男のひとが
電柱のてっぺんで叫んでいた姿は
はっきり覚えています。
私が子供の頃は
街には手や足を失った
たくさんの傷痍軍人がいました。
敗戦から2年後に私はうまれましたが
それでも
戦争というものが
どれほど恐ろしいかは
わかっています。
以前「花子とアン」の朝ドラで
憲兵が出てきましたが
国民にとって
憲兵がどれほど恐ろしい存在であったかを
その脚本家は
知らないようでした。
知らない人はどうぞ
手塚治虫さんの「アドルフに告ぐ」を
読んでみてください。
あまりにも安易に憲兵を描いているこの朝ドラには
違和感と怒りがわきました。
確かに村岡花子さんのおかげで
私は「赤毛のアン」をよみましたが
彼女が属していた
「大政翼賛会」という組織は
戦争を支持し、鼓舞していた団体です。
そして彼女の兄が憲兵であったことは
私にとってはもう
許しがたいことです。
でも花岡さんのことだから
きっと後悔されたと思いますが
ドラマではいっさい触れていませんでした。
そして
以前私が書いた「高村光太郎」も
「大政翼賛会」に属し
戦争を鼓舞する詩を300篇くらい書きました。
彼の詩に感動して
たくさんの青年が戦場へといきました。
中には戦地にゆく前に
わざわざ光太郎を訪ねてきた青年もいました。
しかし戦後光太郎は
それを悔いたのか
それとも
戦争協力した自分が
国民から糾弾されるの恐れたのか
7年間花巻の山奥の掘っ立て小屋で
隠れるように過ごしました。
私は光太郎がきっと後悔してのことだと思います。
戦争を知らない人達が
もう安易に戦争を描いてしまうのは
ほんとうに恐ろしいです。
「とと姉ちゃん」にでてくる花森安治さんも
おそらく内務省に努めていたこと
さらに大政翼賛会に属し
戦争を鼓舞し、
国民の戦意を煽る言葉を作っていたとしたら
おそらく自分のしたことに
大変な責任を感じていたと思います。
そのことが彼の戦後の仕事
「暮らしの手帳」には
色濃く表れていたと思います。
私の母親もこの本を愛読し
定期購読していましたので
彼が書いた
「一戔五厘の旗 」も
私は読みました。
一戔五厘の旗の
一戔五厘 とは
一戔五厘で買える
招集令状のはがきの値段です。
この言葉は
たった一枚の一銭五厘のはがきで
みんなお国のために
死んでいった無念さを
象徴しています。
実は選挙のあと
私はずっと気が滅入っていたのです。
でも
今日来られたお客様と話しながら
その人がきっぱりと
日本人は決して戦争などしないと
言われました。
私もそう思います。
そしてさっそくアマゾンで
「一箋五厘の旗」を注文しました。
日本の若者たちは
決して戦争などしない。
そして自国も
他国も
平和になる為に
きっと
頑張って力を発揮してくれると
おもいます。
きっと
そうだよね。
きっと、
きっとね。
ゆりが咲いてくれました。