若者たちへⅡ その2.無意識の中の距離感! |
距離感のなさです。
距離感とは
・他人との距離
・物事との距離などです。
他人との距離感がないと
他人と一体化したり
べったり密着してしまったり
反対に
引きこもってしまったり
交流を諦めたり
拒否してしまいます。
一見このふたつは正反対のように見えますが
ふたつとも同じように
他者との距離感が
掴めていないことが原因です。
さらに
物事との距離感については
物事を為して行くには
かなりの年月がかかります。
また
ものごとの本質を理解するのにも
何年もかかります。
その距離感がないために
すぐ成功したり
短時間で
成し遂げられるような錯覚をもったり
反対に
成し遂げられない
成功しないと
すぐあきらめたり
投げだしたりが
早いのです。
こういう距離感は
無意識の中の物差しが
きちんとできていないと
ダメなのですね。
子供の頃から
いろいろ体験するうちに
自然にできていくこともありますが
親がその生き方で見せていないとダメですよ。
親が物事はコツコツと時間と年月を積み量ねないと
成し遂げられないよ!
と
まさに
その背中で教えていかないとね。
親の背中こそ
子供のお手本ですから。
しかし親の方がすぐに
結論を要求したり
成功を要求したり
酷い親は
子供にはじめから
天才であることや
秀才であることや
できの好い子どもであることなどを
要求していると
子供は物事を成し遂げるには
時間がかかるのだという
距離を
無意識領域にデーター化できないのです。
いつもテストの点で
安易に安直に出来、不出来を
はかられ
さらに答えがでている試験勉強ばかり
させられていた子供の体験データーには
物事を何年もかけて成し遂げるということが
データーとして記述されませんね。
勉強ということも
すぐに試験で結果をだすようなことではないのです。
さまざまな勉強のひとつひとつが
時間をかけて
コツコツと積み重ねられていくうちに
やがて大きな一つに世界へと成就していくのであり
子供の頃の勉強こそを
大人としての総合的な世界観や教養として
開花させるものなのです。
しかし大人自身がその辺を短絡してしまっているかも
しれませんね。
また
他人との距離感も
家族という極小の単位の中の
密着した関係から
あかの他人との関係まで
ふくめて
その距離感を獲得したらいいかについても
学習が必要です。
極小の家族の中においても
それぞれの家族の関係が
・理性的な距離感をもっていないと
その人は
大人になっても
他人との一体感を求めたり
他人へ密着してしまったり
します。
その距離とは
自分が両手を大きく広げ
全身が自由在に動け廻れるような
距離が必要なのです。
つまりは
自由で自立ができる距離といいましょうか、
そういう距離感こそが
親と子供のなかで必要なのですね。
そういう自由と自立の距離感を
無意識のものさしとして
もっていると
他人との距離もいつも
さらさらとして
あっさりとしたものになります。
すべてのことは
ゼロからしか
たちあがりません。
ゼロ、すなわち
自分が耕したい土地を見つけ出して
大地を耕し、
種を撒き
苗をそだて
水を注ぎ
陽当たりや
雨風のなかで
時間と年月をかけて
エネルギーを注ぎ込むからこそ
実るのであり
安易に安直な短時間では
なにも成し遂げられません。
人間関係も
長い時間のなかで
陽ざしや
風雨にあてられてこそ
やっと
お互いの全貌が見えてくるのです。
特に家族は
その子どもにとっては
もっとも基本の人間関係であり
そこが
さらさらと自由でないと
子供は
息苦しい距離感しか
つかめません。
いずれにしても
自分の無意識の中にない距離は
つかめないのです。
さあ
自分の中の距離感は
どうであるか・・・・?
まずはしっかりと
じぶんをサーチしてください。
その距離が
自分も
他者をも
自由と自立を保障している距離であるかどうか。
物事ゼロから立ちあげ
育てる時間の距離をもっているかどうか・・・・?
その距離感を
しっかりと自覚=意識化できると
いいね!