若者たちへⅡ その6、自分の思いこみから脱出する! |
現象であるかぎり
それは
外部世界との
・<関係>の中において
現象化していくということです。
常に
・自分が現象化していて
・脳は休むことなく
・稼働しているのですね。
つまり
脳の中には静止画面はないのです。
自分の脳の
・機能(システム)が
・外的世界と
・関係しながら
ソフト(意識)を創りだし
そしてその
・脳が創りだす意識は
外的世界との
・関係によって
・規定されているとも
言えるのですね。
そして
意識の素材のほとんどは
その人間が存在している
・家族、地域、社会、国家、民族などという
・フレームの中で
その人間が
・思いこんだこと、
・思いこまされたことなのです。
だからそれは
様々な
・存在条件によって異なる
・文化と文明のなかで
・多様な様相をしていますし
・共通していることもあれば
・全く異なることもたくさんあります。
先般このオリンピックをみていると
柔道で
日本人から見ると、逃げてばかりで
なんと卑怯であるかと思える選手が
金メダルを取りましたが、
日本人はそれを卑怯と思っていても
その選手にとっては
卑怯でも何でもない・・・と
言うことですね。
こう言う風に
意識の文化や価値観は
すべて
それぞれの環境において
それぞれの
・人間及びその所属社会が
創りだしたものです。
外的世界を
どのような文脈で語るか
或は
どのような規範でフレーム化するかは
すべて
それぞれの
・家族、地域、社会、国家、民族で
・様々に異なり(思い込まれ)
さらにそれは
個々人でも
様々に異なるのです。
自分が
これが正しいと思いこんでいる
・倫理観や
・道徳や
さらに
・常識なるものも
それぞれの脳が
・その生存条件で
思いこんだものです。
そして
されらは
それぞれの
家族、地域、社会、国家、民族で
◎円滑に
・関係が成立するための
共同性で
思いこまれたものもあり
しかし
その共同性が
他の
家族、地域、社会、国家、民族でも
通用するかというと
・通用するものもありますが
・そうでないものが
たくさんあります。
つまり意識とは
それを<立花隆>さんの言葉で言えば
・目が覚めている間
・脳のなかを去来するすべては
脳と体が
外的世界へ反応し
適応しようとして
外的世界との関係において
成立しているものなのです。
だから
・自分の意識も
・他人の意識も
外的世界との関係のなかで
・何を
・どのように
・認識しているか
が
個々、様々に
違うのです。
※だから金メダルを取る
ということも
民族や国家で
認識がことなるのは
当然のことです。
日本および日本人の認識や価値観が
そのまま外国に通じるかというと
そうではないのですね。
しかし
残念なことに
多くの人間は
そういう風には
世界を認識していません。
多くの人は
・無条件に
・ほゞ自動的に
自分の世界(脳の中で起きるすべて)が
そのまま
他人や社会に通じると
思いこんでいるのが
現状です。
それは
・脳の機能及び
・脳が創りだす世界を
これまでは
解明できていなかったからです。
ほんとうは
私たちの
脳の作りだす世界は
たくさんの
すれ違いの中で
かろうじて
共同の接点をもちながら
共存していたのです。
いまだに脳の世界をしらない人は
自分の意識をそのまま拡張させて
外的世界に当てはめてしまいがちです。
そのことは
個々の人においても同じで
その生存環境のなかで
個々人の中で起きる対立は
ほとんどこの思いこみの違いから
起きています。
・親子の対立も
・夫婦の対立も
・友人感の対立も
個々人間の対立は
・自分の思い込みが
・他人にあてはまらない時に
・つまり自分の脳の想定外のことが起きてきたとき
・対立が起きてくるのですよ!
自分の思いこみと
相手の思い込みとが
対立すると
・息苦しくなったり
・傷ついたり
・消耗したりします。
感情が暴れてしまうのですね。
しかし
そういうときこそ
自分が
・思いこんでいることは
・ほんとうにそうなのか
・そうでないかを
・洗い直す必要があるのですね。
自分と他者とが矛盾を起こすとき
実は
・人間とは何かを示す
・サインが出ているのです。
そして、もし
対立がおきたら
自分の中に浮かんでくる
~しなければならない。
という文脈や
~であるべきだ。
という文脈は
要注意です。
また
他人との関係で
~だろう
とか
~にちがいない
とか
という推測などが
ほんとうに
そうであるか・・・???
も
洗い直す必要があります。
洗い直すことにより
自分の一方的な思いこみが
浮きあがってきます。
そしてもうひとつ
人間の脳の特性として
・常に
◎シュミレーションする
ということがあります。
これがまた厄介なのです。
シュミレーションのほとんどが
・自分の思いこみに基づいて
シュミレーションしてしまうのです。
これがほんとに厄介ですね~・・・・。
人間は
・自分が今までの獲得したデーターと
それを基にした
・世界観で
・他人を
・シュミレーションします。
その時
自分が今までの獲得したデーターと
世界観が
・どうであるか
については
ほとんどの人が
・疑問すら持たず
それを
・そのままスライドして
・シュミレーションしてしまうのです。
以下はその大きな問題点です。
人間は残念なことに
他の動物と違い
・20歳くらいまで
・親と密着して生きてしまいますから
その
・親の世界観や文化や意識を
・そのまま自分にスライドさせてしまいがちです。
しかし
それらはあくまでも
・親とその周辺の人間のもつ
・ローカルなものにすぎません。
それが
・ローカルなものであるという
・認識や自覚がないと
・親元をはなれ
・自立しようとするときの
いろんなことの
・トラブルの原因になります。
・自分が
・親の思い込みを
・バトンされているとは
なかなか思わないのです。
私の経験では
若い人の中では
親及びその周辺のローカルさに
気づかず
それをそのまま
新しい関係に持ちこんでは
失敗したり
傷ついたりしているケースが
たくさんあります。
※自分のローカルさに気づき
もっと大きく多様な世界に気づいてゆくのが
人生ともいえます。
自分がシュミレーションしていることこそ
実は
・自分の思い込みや
・自分の小さなフレームから
相手を
◎自分流に解釈しているに過ぎない・・・・”!
という気づき(認識)が
非常に重要なのです。
特に他人の眼を
・過剰に意識しているひとや
・世間一般のフレームに
・自分も他人もはめ込んでいる人が
たくさんいます。
・まだまだ後進性のつよい地域では
そのフレームで
自分も他人もを
・無意識のうちに見張るという共同や
・縛るという支配欲の中にあります。
自立するためにも
自分が自分らしく生きるためにも
・自分を縛っている
・意識の欺瞞性についても
・気づいていく必要がありますね。
そしてもうひとつ脳は
・自分に関心がないことは
・スルーしていきます。
これも
無意識にそうしているはずです。
そして人間は
・他人には
・ほとんど
・関心がなく
常に
・自分に関心があるものです。
だから
他人の眼など
ほとんど気にしなくてもいいのですよ。
他人の眼とは
自分が
確立されていない人が
絶えず
他人の眼で
自分を成立させ
自分を縛り
その反動で
他人をも見張り
しばっているに
過ぎないのです。
※他人を見張るということは
翻って
他人が自分をどう扱うかを
見張っているのです。
でも、ことわっておきますが
・他人の眼を気にしないことと
・他人を理解することとは
◎本質的にちがうことですからね。
他人を理解するとは
相手の立場にたって
その心理を理解し
受け入れるということです。
人間とは
難しく
厄介なものですね
でも
・自分が育った環境の
・慣習やしきたりも
それぞれの
・風土での感性も
違うことを
・しっかり認識し
・そういうことに
囚われないで
どういう風に
・善き関係をむすんだらいいかと
考えたらいいと思います。
人間が
・その違いを超えて
・善き関係を結ぶには
・時間がかかります。
何年も付き合ってはじめて
相手の全貌がみえてくるものです。
つまり
自分が思いこんだことと
他者が思いこんでいることとの
すれ違いを
解決していくには
◎たくさんにの対立を越えながら
時間がかかるのですよ。
そして
自分が
・直面する
・さまざまなトラブルこそ
自分の
・思いこみを
・修正し
・新しい認識をもつための
チャンスなのです。
今は脳の研究が著しく進んできています。
脳は
ひとつ(ひとり)、ひとつ(ひとり)が
その存在条件において
まったく
・別個の世界を創りあげていきますし
私たちは
自分の脳と体とが作り上げた
自分という
◎脳のカプセルの中から
・外的世界を覗き
・シュミレーションして
・今の自分のあり方を
・決定していきます。
だから
自分と他人とが
・齟齬をきたすとき
そこにはきっと何か
・人間を知るための
・新しい認識のヒントが
あるはずです。
人ともめることは
感情的には、いろいろ厄介ですが
でも
感情を乗り越えて
理性でしっかり
それを見つめて御覧なさい。
きっとなにか、
もしかしたら
新しい自分がみつかるかも
しれませんね。
そうなると
いいね!!

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