コンプレックスのからくりその2 |
頭の中に
コンプレックスのカラクリについての文章が
溢れてきましたので
これを書いて
遠野にゆきます・・・笑!
コンプレックスをもつことほど
不毛で
無駄なことはありません。
こんな思いこみなど
捨ててしまいましょう。
でもすてられないなら
では
こう考えたらどうでしょう。
もう十分コンプレックスに悩まされて
苦しんで来たのですから
もうここいらで
やめにしよう・・・と
◎決心してください。
コンプレックスは
自分を
・ディスカウントしている人の
・単なる思いこみや
・勘違いにすぎません。
◎自分だけが思いこんでおり
他人はまったく無関係です。
◎ひとは他人のコンプレックスなどには
関心がないのです。
コンプレックスの原因は
親のコンプレックスが
・刷り込まれたり
周囲の人間に
・思いこまされり
・ディスカウントされて
・傷ついた記憶が
・自分のなかで
・しこっているにすぎません。
そしてコンプレックスは
自分が執着しているものを
表してもいるのですよ。
つまり
容姿に執着しているひとは
容姿のコンプレックスを
持ちます。
お金に執着している人は
お金のめぐることに
コンプレックスをもち
自分の頭の良し悪しに執着している人は
そういう類のこと
例えば勉強ができるとか
成績がいいとか
学歴がどうのとかの
コンプレックスを
もつのです。
つまるところ
そういう執着を捨てれば
コンプレックスも
消えるということです。
そして
はっきりいうと
人間は優れているいる人も
劣っているひとも
ありません。
ある部分はとても優れているが
ある部分は普通で
でも
ある部分は劣っている(未発達)
という風に
脳の中のある部分が
相対的に
優れているのであり
それぞれ
優れてもおり
普通やさらに
劣ってもいる。
ただただ
その人の命と体が
◎現象化しているだけです。
その人の現象が
何かに反応して
脳の連鎖が起き
瞬間、瞬間に
ついたり消えたりしているだけです。
つまり
いろんな記憶が
いりまじり
点いたり、消えたりして
現象化しているだけです。
あるときは
その人のネガティヴな感情が連鎖反応でおきたり
またすぐそのあとで
高邁な感情が何かに反応して
点いたり、消えたりと
言う風にです。
ゲスの思いや・・・笑!
こうまいな思いも
いい記憶も
はずかしいと思う記憶も
なにかに連鎖して
点いたり
消えたりして
脳の中は
せわしく点滅しながら
ひと時も休まず
命のために仕事をしてくれているのです。
そうしながら
その人固有の現象が
そこでおきているに
過ぎないのです。
それに
コンプレックスも
優越感も
みんな
人間がつくりだした
・価値観の序列であり
・思いこみです。
かげろうのようなものです。
その原型は
原始の人間社会の
支配と非支配の関係にあるでしょう。
さらに
近代においては
換金化や
商品化されやすい価値に基づいて
優劣を決め
文脈化しているに過ぎないのです。
そこには
決して
人間の尊さについて
序列や優劣を
価値づけしているわけでは
ないです。
容姿についても
日本人は西洋コンプレックスが強いため
西洋風な容姿がいいと
思いこんでいますが
西洋コンプレックスがない民族などは
西洋風な容姿などが
いいとも思わないし
見向きもしないかもしれません。
実際に唐の楊貴妃は
でっぷりと太り
お鼻がおぺしゃのおたふく顔だったのでしょ・・・!!
当時はそれが美人とされ
それが皇帝にあいされたのですからね~・・・苦笑!
また頭がいいとかいうのも
これまた偏ったこじつけの
思いこみですよ。
脳の中は
人により
神経を使うところが
まちまちですから
それも
それぞれ個々に偏りの世界の中にあります。
そして能力と言われるものも
その時の経済価値に大きく作用されて
どこに脳の神経を使うかで
その人間の能力が査定され
評価されるのですから
更に偏りの世界です。
能力というものも
その社会の歪みと偏りの価値観で
左右される
思いこみです。
これが金持とか貧乏になると
もっと
幼稚な偏見の偏りに
なります。
ふつうに考えても
おかしいコンプレックスでしょ。
だって
金をもったら優れていて
貧乏なら
劣っているのかね~?
そんなことをいったら
良寛さんなんか
もうド貧乏の乞食でしたからね~。
でも
だからこそ
無一物としての高い知性が
光りました。
お金なんかに関係なく
素敵なひとは
素敵なんです。
この世というのは
人間の欲と欲望が渦巻いている世界ですから
当然その欲と欲望に基づいたヒエラルキーが
生まれます。
私たちは
よほどしっかりと
世の中を見据えていないと
どんどんその欲望のヒエラルキーに巻きこまれ
エネルギーを
奪われてしまいます。
でも、それも
どこの誰だかしらない他人たちが
つくりあげた
幼稚な考えの価値観と物差しの
ヒエラルキーに
すぎません。
そんなのに踊らされたいですか・・?
では優越感に満ちた人が
幸福かというと
その優越感も
劣等感(コンプレックス)が
裏返っただけですから
じつは
そのひとも
コンプレックスだらけなのです。
そしてこれも
脳の無意識と意識が作りだす
カラクリですが
その人間の欲と欲望は
その人間の
◎無意識にあるコンプレックス(欠乏感)が
裏がえったものですから、
よくよく考えると
実は
コンプレックスが強い人間ほど
欲と欲望が強いんですよ。
コンプレックス(欠乏感)が強くない人間ほど
欲も欲望も膨らみません。
欲と欲望=執着ですからね!!
さらに欲と欲望は本能の為すところのものですから
本能=動物的世界
ってことです。
コンプレックスに振りまわされない人は
賢い理性がはたらく
◎自分に満たされているひとです。
そしてね、
自分に満たされているひとは
よくものごとが
が見えているひとです。
実相の現実が、
よ~く見えているひとです。
幻想の現実じゃあ~ありませんよ。
幻想の現実とは
無意識の欲望や願望が
反転してできる
仮想の現実です。
そしてほとんどの人は
この
仮想現実を
ほんとうの現実だと
錯覚して
いきているのです。
だから
実相の現実とは
仮想の願望や欲望で盛られていない
ありのままの現実で
素朴そのものの現実ですから
そこでは
自分も他人も
いいこと半分
ダメなこと半分くらいの
◎たかがしれている存在でしかありません。
だいたいどんな人間も
たかがしれているのです。
自分も他者も
たいしてかわりがない
脆弱な人間であり
どんぐりの背比べみたいなものだと
わかっているのです。
実相現実がよ~く見えているひととは
そういう風に
・諦めがついている人です。
諦めがついているひととは
自分のことも
他者のことも
世の中のことも
人間の実態のことが
良く理解できいるひとであり
自分に必要のない執着を
すてた、あるいは
◎諦めた人なのですね。
そしてそういう人は
無意識の方にこそ
リアリティーがあるということを
知っている人です。
無意識の方こそリアリティーがあると
わかるようになるには
たくさんの本を読み(勉強をして)
知性を磨かないと
なかなかわかりません。
どうぞ知性を磨いてください。
そういう人は
自分の内面と向き合い
自分を客観分析するために
無意識に焦点をあてて見極めていきますから
現実を幻想化しないのです。
ひらたくいうと
●ありのままを
そのまま見れる人ですね。
ありのままを
そのまま見るとは
・自分の豊かなとこも
・自分の貧相なとことも
そのまま
それでよいと
受け入れられることです。
人間はその人間それぞれが
自分の脳の
・神経を使うところが
違うのです。
つまり
人間の脳の構造はもう
人により
千差万別なのです。
だから
◎比べようがないのですよ!
自分はここには
自然と注意がいき
そこは知らないうちに
どんどん磨かれていくけど
どうも
こっちには
気が向かないな~!
というように、
自分の脳の特色をよ~く
理解して
それでいいと
考えているひとです。
さらに優れているひとは
そここそを生かして
職業にしたり
自分の実績として蓄積したりします。
自分の神経が働かないことについては
どうしようもないのですから
それでいいよと
諦めが
ついているひとです。
でもね
諦めがついてこそ
脳の回転効率がよくなります。
だって
無駄なところに神経をつかって
ストレスになったり
疲れたりしないのですから
脳の性能があがるにきまっているでしょ・・・笑!
どうですか
これが脳のカラクリでもあり
コンプレックスの正体です。
コンプレックスに囚われている人は
自分のせっかくの脳の働きを
無駄にしたりブレーキを掛けています。
そして
ほんとうは
効率よくエネルギーをつかわなければならないのに
自分から
◎架空の他人を意識して
・生産性のないところに
・気をつかい
・リスクをかけ
・ストレスを引き受け
・エネルギーを浪費し
自分をつ・ぶ・し・て
いるのです。
逆に
諦めがつくということは
自分にはむいていないことや
関心がないことを
明らかにして
執着を手ばなしてしまうことです。
どうですか、
コンプレックスは
どん捨てるがよろしい。
では
遠野からかえってきたら
どうしても
頭に浮かんでしまうコンプレックスを
どう始末するか、
頭の中から
追いだすか
を
書きましょうね。

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