卒業! |
カウンセリングした方々の何人かが
いわゆる卒業というか
自分の出口へ達している。
なんとも嬉しい限りです。
自分の出口とは
長い間闇の中を
手さぐりで自分を探し
自分を探すとは
自分におきてくる思いと感情の
・動機とその経路を
自分が
・客観的に理解でき
さらに
そこから
自分が抱えている問題を
◎自分で
・考えて
・解決でき
そして
・解決のための行動を起こすことが
◎できると
いうことです。
それには長い年月が必要です。
ほとんどの人が
7,8年から10数年かかります。
ひとが変わるということ
また
自分を変えるということは
それほど大変なことなのです。
人間は行動してから
考えます。
いうなれば
・しでかしてしまってから
しか
考えられないのです。
それは脳というのが
そういうメカニズムだからです。
人間は先に行動があり
そのあと(0,35秒~0,5秒後に)
脳がそれを説明するのです。
だから自分の行動を
◎分析できてくると
・自分のことも
・自分のどこに問題性があるかも
わかるのです。
ただ自分を分析できるためには
自分を突き放して
客観的に見ることが
必要です。
客観的に見るということは
・自分の思い込み以外の眼である
・他者の目
・社会の眼で
自分を見るということですから
自分の意識が
◎自分と他者とに分離していなければ
なりません(自、他の分離です。)
これがね~
大変なんですよ。
言葉でいうと簡単ですが
自分を突き放してみることは
大変厳しいことであり
なかなか難しいのです。
自分が思いこんでいることの
・間違いや
・幻想に
気づくことは
それまでの自分を
否定しなければなりません。
時には全否定となります。
その時障害になるのが
・自分のプライドであり
・他者との間で起きる敗北感であり
それは
・自分の無能さや無力さを
あからさまに眼にしなければ
なりませんからね。
ことわっておきますが
◎自分の敗北感も自分の無能さも
すべて
・自分が思いこんでいる、あるいは
・思いこまされているなかで発生している
・仮想の自分のことです。
それは
・仮想的既成の序列でなんとなく想定している
・自分の位置であり
それに基づいている
・根拠のないプライドです。
またその能力も
◎本当の実態としての有能さでは
ありません。
もし本当にその序列が実態的なものであれば
◎自分が苦しむことはありえないからです。
また
ほんとうに
自分が有能であり無能ではないなら
◎自分はとっくにその能力を発揮して
輝いているはずだからです。
自分が苦しむのは
そういう風に
思い込み、思いこまされた
仮想の自分を
ほんとうの自分と思いこみ
その仮想の自分と
自分の実態の自分との落差のなかで
苦しむのです。
そしてその時大きなカギとなるのが
自分の中の感情です。
仮想の中で仮想に基づいて発している
自分の感情が
実態の自分を受け入れられずに
あがくのです。
つまり
実態の自分の姿=自分が無意識にとってしまう
自分の行為と行動が
他者や社会の中で起きる自分の実態との中で
落差があるとき
人間は、不安になり、怖れになり
それが裏返って
妬みとなり
怒りとなり
恨みとなり
他者攻撃となり
それがまた裏がえって
自己憐憫と
被害者意識へと
結実していきます。
結実というと綺麗にきこえますが
そういう風に
自分を
すり替えていくということです。
だから
自分を否定してる人間ほど
プライドを高くして
自分を支えずにはいられないし
自分の本当の能力がないからこそ
自分を有能だと思いこむのです。
そして
自分にいつもダメ出しをしている人間は
本当は自分を厳しく鍛え、
磨かねばならない現実から
逃げているからです。
逃げていることの代償として
自分にダメ出しをしているのです。
自己嫌悪も同じように
自分をすり替えていることに対しての
代償行為です。
では
ほんとうに
その人間のプライドとはなにか。
そしてその人間はほんとうに無能で
無力なのかと
いうと
そうではありません。
自分の中身内容にそっていきている自分は
序列に関係なく
自分の尊厳を生きているはずです。
赤塚不二夫の漫画バガボンのパパの
「これでいいのだ!」という
自己肯定です。
そして
自分の等身大の能力を発揮して生きている人間は
いつも充実と充足を得ているはずです。
カウンセリングの卒業とは
そういう
等身大の自分を生き
等身大の自分を発揮し
自分を生かすために何をし
また
何を引き算し
何を足し算して学習すればいいかを
きちんと
自分でみきわめられるようになる
ということです。
特に必要なのが
自分を冒している
ネガティヴな感情を
いかに
お掃除するかですね。
この
様々に自分を冒している感情に
気づくことも
お掃除することも
一朝一夕にはいかないのです。
それは大変な自分との格闘ですから
気づいてはひとつ
また気づいてはひとつ
という風に
自分の中をお掃除していくのに
何年もかかるのです。
カウンセラーは
その人と向き合い
その人の重い重い感情を
共に見つめながら
出口までの大変な道のりに寄り添う。
この寄り添うとは
いわゆる
優しく云々ということではありません。
※優しい言葉で気づいても
それは結果的には脳の中で消えていきます。
なぜなら危機感がない言葉は
記憶しないでいいと脳が判断するからです。
ほんとうにその人に寄り添うなら
時に
誰もその人に言わないであろう
本当のことを
たとえその人が傷ついても
・厳しく
・激しく言うことも
必要です。
だからカウンセラーは
時にその言葉を短絡させて誤解をうけることも
たくさんあります。
でも
ほんとうに
その人が幸福になるためには
その人が仮想の自分ではない
等身大の自分を生きることですからね。
そのためには
その人もカウンセラーも
◎厳しい試練を潜り抜けることが
必定なのです。
等身大の自分とは
・無理がなく
・素直な自然の自分であり
・この世てきな価値=既成の序列ではなく
・いつも自分が自分に納得しながら生きる自分です。
自分らしい価値を形成し
自分らしい
・文化と
・美しさの中を生きる
自分です。
あゝ人間は大変だね!
でも
もうすぐ卒業の皆さん
よく頑張ったね!
良かったね!

地域起こしも同じです。
すでに自分達が持っている資源=等身大の地域を
いかに
自分達(住民たち)が
自由に駆使して生かすかということです。

