浮世離れが羨ましい! |
どうも世俗的な話をしても
ピンとこないらしく
近々のニュースや話題には
とんと疎いので
時々私は、あんたは世棄て人かと
イラつく!
しかし最近は逆に
その浮世ばなれした生き方に
私は時々あこがれて
昨日の夜半に
「あんたの浮世離れが羨ましい」云々のメールをした。
それに対して返ってきたのが
これで
「お疲れさまです。
飼ってる文鳥の世話をし、
秋は色付く山と高い空に思いを馳せ、
春は花咲く桜の下でお弁当をつつく。
そんな老後がいーなー!と、思ってます。
このニート生活とあまり変わりませんが…。
日々穏やかに暮らしたいですね。
必要最低限の現世との関わりの隠居生活で、
しばし鋭気を養うのもありじゃないですか?
心は隠居のトッツイより」
で
私はいつも彼女に対し
若いのにジジクサイと
苦言するのだが
今回は
あゝそれもありだな~と
思った。
その時
これじゃあ~まるで
江戸時代の戯作者的生活ではないかと
頭をかすめ
浮かんだのが
葛飾北斎であったが
あとから考えると
北斎はかなり激しい生き方をしており
そういえば
彼の親友であった
戯作者の柳亭種彦も
天保の改革の幕府に反抗して
獄中でなぶり殺されたことを
思いだした。
幕末に向かう時代のなかで
多分北斎は腹が煮えくり返るような
激しさをあの絵にぶつけているような
気が私にはする。
あの「富獄三十六景」に描かれている大波は
寄せてくる時代の大きな変化を
予兆して画いているようにも思える。
では
誰がトッツイのメールに合うかと
再度考えたら
もしかしたら、それは俳人で
あの<与謝蕪村>ではなかろうかと
思いついた。
「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな」の
与謝蕪村である。
そう思うと急に蕪村が読みたくなり
ベッドにひっくり返って
読んでみた。
ひとり来て ひとりを訪ふや 秋のくれ
親法師 小法師も 稲を担ひゆく
坊さんの親子が稲をかついで歩いているなんて
絵描きでもあった蕪村の句はすぐにイメージが浮かぶ。
蕭条として 石に日の入る 枯野かな
こういう厳しいものもあるけど
こんなふざけた句もある。
化けそうな 傘かす寺の 時雨哉
そして蕪村若かりし、といっても54歳の頃だけど
夕顔や 行燈さげた 君は誰
なんてのもある。
さてと
秋もだんだん暮れてくるから
老いたる私もトッツイのいうことを聞いて
「色付く山と高い空に思いを馳せ」
うとうとと
ひねもす
午睡の夢の中・・・・・!
ことわっておきますが
トッツイは
仕事に関しては見事に
帳尻を合わせて来る
優秀なる世棄て人です・・・笑!