本質は後ろ向き! |
好きなんだろう!と
常々思っていた。
特にヴァイオリン協奏曲は
何度も何度も聞いた。
どうしてかな~と
娘と話しているうちに
彼女から
「じゃあ~お母さんは
健康の風が吹き抜けているような
ハイドンの曲はどうなのさ」と
質問され、
ハイドンも好きではあるが
ブラームスほどではない。
と思うと
しかしハイドンの楽譜に比べ
そういえば
ブラームスの楽譜は
フラットの曲が多いし
臨時記号もたくさんついていて
何度も何度も修正したりいじくったりして
もしかしたら
ブラームスは
どちらかというと
後ろ向きの人間じゃ~なかったのかな~と
思いついた。
となると
私も本当は後ろ向きの人間ではなかろうか
と気がついた。
もう一人私の好きなビリージョエルも
軟弱で後ろ向きだし、
学生時代は
サイモンとガーファンクルの
疎外感満載の「アメリカ」という曲も
大好きだったな~と
思いだした。
あゝ私の本質は
後ろ向きであり
思いだすと
子供の頃はつらいことだらけでも
あった。
でも
その後ろ向きのせいで
物事はことごとく挫折し
たくさんの苦労をした。
そして
あるとき
多分30代の終わりころだと
思うが
後ろ向きの自分の感傷が
実は
自分のエクスタシー(蜜の味)になっていると
気づいて愕然とした。
自分の後ろ向きの感傷に浸っている限り
そこには悲劇的で
可愛そうな自分がいて
他者の入る余地を封印し
自分は自分で完結して
その時だけは満たされるが
しかし
自分を取り囲む周囲のことには
眼差しがいかない。
そこはあまりにもガキンチョの世界で
逆に知らない間に
他者を無視したり
傷つけたりしている。
そういうことに
どんどん気づき始めたのが
40代50代であり
逆に
他者の悲しみや絶望を
十全に理解しはじめると
後ろ向きの自分がいかに
周囲に弊害を及ぼすかと
自戒した。
逆に
後ろ向きも前向きも含めて
いかに成熟するかに
自分を方向づけた。
今ブラームスが好きなのは
彼が後ろ向きだからではない。
むしろ
ブラームスがいかに内省逡巡し
屈折した感情や
硝子細工のように壊れそうな自分を抱えても
なお、曲の最後へと驀進していく
そのスケールのなかで
人生を見渡している自分がいる。
そう思うと
あの若い頃の後ろ向きさえも
私には必要であったし
だからこそ
今
必死にそこに陥らないように
自分を
律して生きている。
タオリさんは
初めから前向きだなんて
思わないでほしい!
後ろ向きの自分の首を
捻じ曲げても
前を向いてきたんだよ!
●ふりかえらない!
ひたすら前を向いて
スタスタ歩いて行くよ!
大好きなブラームスと一緒に!!
長く生きていくという事は
苦労もありますが素晴らしいことでもありますよね。
そう思います。