心に染みるイエスの言葉その5 |
愛の世界のように思われていますが
イエスはかなり厳しいことも
人間に突き付けています。
ただ、不思議なことに
それは現代脳科学を以ってしても
どこか理が通り符牒のあることばでも
あるのです。
今日ご紹介したいのは
マタイ伝第七章からです。
人をさばくな。
自分がさばかれないためである。
あなた方がさばくそのさばきで
自分もさばかれ、
あなた方の量るその量りで
自分にも量り与えられるであろう。
なぜ兄弟の目にあるちりをみながら、
自分の目にある梁をみとめないのか。
自分の目に梁があるのに、
どうして兄弟にむかって、
あなたの目からちりを取らせてください、と
いえようか。
偽善者よ、まず自分の目から
梁をとりのけるがよい。
そうすればはっきり見えるようになり、
兄弟の目からちりを取りのぞけることが
できるだろう。
結論的に言いますが
人間は他者の心など
わからないのです。
逆にいうと
自分の心は
他者には
わかってもらえないのです。
●これが心の大原則です。
心という現象は
その人間の脳内のデーターが
何かに反応して起きる現象ですから
自分の心が
何にどのように反応しているかを知っているのは
その本人だけです。
しかも
その本人でさえ、
自分が
・何に刺激され、
・どのようにそれが
脳の中で
・何かの因子と化学反応しているかさえ
わかりませんし
ほとんどは
●無意識に反応してしまいますからね。
そして私たちの意識は
脳のなかでの連鎖反応と化学変化の
・結果だけを
・知らされるという仕組みになっています。
つまりは
人間の心という現象は
複雑すぎて
意識なんかで
どうこういえるほど安易でも単純でも
ないのですね。
だから
ましてや
自分の意識と感情をだけで
他者をさばくなんてことが
如何に
NGであるかということです。
そして
確かなことは
自分の行為も言葉もすべてが
ブーメランのように
自分に返ってくること。
自分の蒔いた種は
自分で刈り取るしかない
という
これもイエスの言葉ですが
すべてが自分発での起きていることであり
また
自分が思う他者とは
自分の脳のシュミレーションにすぎません。
つまり
それが真実であるかどうかはわからず
むしろ
自分が思いこんだ誤解や
妄想かもしれないのです。
他人の目の中にチリがあるというなら
その前に
自分の目の中の梁(つっぱり)を
取りのぞいてごらんなさいよ。
と
イエスが言います。
残念ながら2000年も前に
イエスが看破しているように
人間の脳の中は
妄想と幻想だらけです。
他者のことをさばく前にまず
自分の内面世界に目を向けて
そこをお掃除してからにしなさい。
そうすれば
他者の中に見える塵が
自分の中にも
おなじように
あるでしょう!
と
いうのですね。
若い頃、
私はこの言葉を読んで
ハッと胸を突かれました。
自分の中は塵だらけで
その塵が
他者を
素直に純粋にみることを
邪魔していました。
まあ
塵こそがシャドウですかね~。
なぜシャドウができるかというと
それは
その人が
たくさん傷ついているからです。
さらにイエスは続けます。
聖なるものを犬にやるな。
また真珠をブタに投げるな。
恐らく彼らはそれを足で踏みつけ
向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう!
つまり、
犬や豚にかかわって
自分の中の清らかなものを
汚してはいけないということです。
まあ、この時代の場合は
イエスを異端として迫害しようする人間のことでしょうが。
つまりは心が汚れてしまった人間を
相手にするな・・ということです。
そして
求めよ、さらば与えられるであろう。
捜せ、そうすれば、見出すであろう
門を叩け、そうすれば
あけてもらえるだろう。
すべて求める者は得
捜す者は見いだし
門をたたくもの者は
あけてもらえるからである。
自分の心を素直に信じて
求めなさい。
そして門をたたきなさい。
そうすれば
与えられ、門はひらかれるよ!
といいます。
それは他者の門でもあり
神の門でもあります。
あなた方のうちで、
自分の子が魚を求めるのに
へびを与えるものがあろうか。
このようにあなた方は
悪いものであっても
自分の子供には
良い贈り物をするとを知っているとすれば
天にいますあなた方の父はなおさら
求めてくる者に良いものを
くださらないことがあろうか。
何事でも人々からしてほしいと望むことは
人々にもそのとおりにせよ。
これが律法であり、預言者である。
※律法とは、神が示す教えや規範のことです。
たとえ悪いことをした人間であろうとも
自分に子供に蛇を贈りものにはしない。
人間の根源には
神の愛の世界があり
たとえ悪者でも
神に愛されているんだよ!
と
イエスは言っているのでしょうか。
だからこそ厳しく、
狭い門からはいれ。
滅びにいたる門は大きく、
その道は広い。そして
そこからはいって行く者は多い。
命にいたる門は狭く、細い
そして
それを見いだす者が少ない。
若い頃ボロボロ涙を流しながら
この言葉を抱きしめた自分がいました。
この言葉を
背中に張り付けて
生きてきたように思います。
すべては
自分の中でおきていることであり
すべては
自分の為したことが
自分にかえってくる。
ほんとうに
その通りの人生でした。
まだ終わってないけどね・・・笑!
最後に
最近他者の心を読み解くような
タレントが横行していますが
他者のこころの中なんて
だれにもわかりませんよ!
自分の心を
他者に
読み取られることなど
ありません。
がしかし
冒頭にも書いたように
自分の心をわかってもらおうというのも
自分の甘えでしかありません。
勿論
霊能力なんてことも
ありえません。
だからこそ
イエスがいうように
安易に裁いたり
決めつけたりしてはいけないのです。
自分だけが
自分の心をしっています。
しかしそれでも
自分さえも
自分の心がわからない時だって
あるんです。
でも
その心を
決して粗末にしたり
否定したり
しないことです。
安心して自分の心を抱きしめてあげて
いいことも
わるいことも
そのまま抱きしめて
自分を生きることだと
思います。