才能の開花と覚醒について、その7 |
才能、
つまり自分の中に内蔵する
様々なる能力が
花開いていくには
覚醒が必要である。
それは自分の脳全体が
効率よく
稼働していくことであり、
そのためには
自我によって偏っている
自分の感情の歪みや
思い込みや妄想の癖に
気づく必要があります。
そして才能はいつも
自己の覚醒へとベクトルが
向いており、
最終的には
その人間の覚醒のなかでこそ
自己の普遍性=人間の普遍性を掴み
●大いなる納得=大いなる充足を
得ようとしているのだと
私は思います。
つまり
自分の命が納得して生きることです。
ことわっておきますが、
前回書いた私の中に起きた現象は
神秘的なことなどでは
ありません。
深い集中とリラクゼーション(安心)の中で
自我の緊張溶け、
自我の壁が落ち
何らかのトランス状態になったのだと
思います。
しかしその時
私は自分の自我が作っている
他者との壁が取り払われた時の
えも言われぬ安心と心地よさを感ました。
そして
自分が普遍的な存在になり
自分以外の他者=人間に対する
深い愛おしさを感じました。
それは
自分に対する愛おしさでは
ありませんでした。
そんなちっぽけな自分を遥かに超えた
広く、永遠なる
愛おしさだと思います。
(うまく言える言葉が
なかなかみつかりませんが)
まあ、一瞬にして
人間(自分)の自我を透過し
自分の無意識世界が
全ての人間の無意識とコネクトしたのだと
思います。
※こう書くといかにもスピリチャルなようですが
そうではありません。
脳の内的現象の
つまり、
科学です。
このシリーズの
第一回めに書きましたが、
自分の無意識世界の源流には
他者の無意識世界と繋がる水路があり
その先には
多いなる人間の無意識が
不連続に連続する海があるということです。
そこには
生命の原理的ロジックがあり
つまり
生命が輝くことと
反対に
生命が消耗し滅びていくことの
明確なロジックがあるのだと
私は思います。
K先生は
自我の欲望や執着に囚われ
妄想の中いた
私の砦や自己幻想を
打ち砕いてくれました。
さらに
大好きなクラシックの音楽を聴きながら
私の中の感情の根底にある
透明で
優しい感情が
他者とのつながりを
教えてくれました。
ふたつともが
私の才能を開いてくれたと
思います。
才能とは特別何かが長けている
ということではありません。
自分の脳の
●全体が稼働し
●自分が注意を向けたもの
関心を持っているものに対して
●脳が自立的に素材や情報を連鎖収集し
そして分析や編集をしてくれるということです。
それが或る程度形になり
結論化して
●私達の意識に落としてくれる。
そのことが
より純粋に
シンプルに
行われ、
さらに
動機が透明であればあるほど
そこに
普遍性が生まれる。
そういう自分の脳の偏りを修正し
命にストレスがかからず
より元気になればなるほど
才能が開き
私達がより
創造的になると
いうことです。
私の場合は
どんどん思考と認識が
相互に開き
言葉が天から降ってくると
いうことですかね~・・・笑!
今私は
今回このブログを贈りたい
ふたりのクリエーターだけではなく
私の周囲にいる人達全員の才能が
見えます。
そして才能を開いていく
そのプロセスと時間を
彼らが歩いているのも
見えます。
※これは超能力でもなんでもありません。
私の脳のメタ認知力と統計力が
鍛えられた結果です。
しかしその道は
決して生易しいものでは
ありません。
自分の自我の思いこみとの闘いです。
それでも
その人達の中に
客観性と理性に基づいた認識による
ロジックさえ
獲得し確立できていけば
もう
後はいうことありません。
後は沢山の経験や体験を通して
自我の壁を乗り越えていくでしょう。
自分の中に
たくさんの気づき(覚醒)が
起きていくでしょう。
次回はシリーズ途中で
約束した
K先生との出会いの中で
私が考えたことを
書きます。
つ・づ・く!!

ただ今更新中です。
よかったら、読んでください。
これから
面白くて知的な記事が
どんどん更新されますよ。
乞うご期待!
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