2017年 04月 01日
●時代は大きく変貌しようとしている。その6 |
脳のことを知れば知るほど
この世は
脳世界が投影されたものであることが
見えてきます。
つまり世界で起きる様々な事象は
個々人の脳世界が集積して生まれる
現象であることが分かります。
世界で起きる様ざまなことは
ひとりひとりの脳の情動が
集合し集積して
大きく影を落としているということです。
人間は下等動物から人になる過程で
脳の進化を獲得してきました。
それは
大脳新皮質の前頭葉獲得により
意識の発生と言葉の発明という進化をとげ
さらに下等動物の遺産である情動を
コントロールしながら生きてきて、今も
生きています。
大脳新皮質は
古い脳を取り囲むようにしてあり
それはまるで
人間の情動が暴走するのを
なだめすかしているようでも
あります。
脳の中で
遺伝データー及び体験知経験知及び
学習による知的体験と知識は
無意識の倉庫(バンク)へと
記憶され
意識は無意識が作用して起きる
人間の行為行動を
自分に説明しては、
体を安心させたり、自立神経の安定を図ります。
より不明なものや、不安材料に対しての
その処置と処理について
無意識の中から言葉を拾い上げては
説明し解決をしてきました。
そうしながら
自分の外的世界を
社会を
その他の世界と
自分とのバランスをはかりながら
生き継いできたのです。
人間は有史以来ずっと
自分の無意識の倉庫からデーターを
とりだしは連想させながら
あるときは仮説をたて
それをシュミレーションしながら
考え続けてきたのだと思います。
自分の内に起きる不明なもの、不安なもの
自分の外で起きる不明なものや理解不能なもの(神秘現象)を
なんとか自力で解明、
解決しようとして
人間は考え続けてきたのだと
思います。
まさに
パスカルの「人間は考える葦である」の
如くにです。
そして今やっと
脳のメカニズムやその原理が解明されるまで
こぎつけた。
そして世界はどんどん脳の世界に
疑似化し
ついには
情報社会へと
進化したのだと思います。
私は時々
「脳はいったい何をしたいのだろうか?」と
思います。
「脳は私たちを
どこに連れて行こうとしているのだろう?」とも
思います。
確実なことは
脳はそれ自体に
人格があるわけではありません。
脳はひたすら
自分の主人であるその<生命体>が
その生命を維持できるように機能するのです。
誕生から死までを
維持できるようにです。
そしてそのために
単なる動物から人間になった人間が
動物的本能としてある
<感情的な生命維持>ではなく
人間たる
<理性による生命維持>を
大脳新皮質の前頭葉機能で
獲得しようとしている。
と
私は思うのです。
※<感情的な生命維持>とは
自己保存と自己保身を
感情的な対立や対決や攻撃性を
優先しておこなおうとする
生命維持です。
ただ
残念なことに
まだまだ、本能的で感情的な脳である
旧皮質の脳のほうが
強いのです。
※感情的な脳が作動しだすと
どんどん脳の客観性(知性)は
後退していきます。
最終的には闘いと破滅です。
しかし
では
人間は破滅を目指しているか
というと
そうではないと思います。
ただ
まだまだ
感情的な脳がのさばる以上は
人間も人間社会も
争いや戦争が絶えないということです。
先日亀さんからドキュメント映画
「理性の時代ーダルデンヌ兄弟」をみにいこうと
誘われました。
しかし残念なことにそれは英字字幕だということで
私は英語が読めませんから
おことわりしました。
しかし
さすがダルデンヌ兄弟です。まさに
これからは
●「理性の時代」のはじまりですから。
ダルデンヌ兄弟の前作
「サンドラの週末」という映画こそは
人間の脳の個絶性を
どのように克服するかを描いたものでした。
人間の脳の個絶性とは
個々人の脳はそれぞれが
断絶しており
私はいつもそれを
人間の脳は
ひとりひとりが
自分というカプセルに入ったようなものだと
説明しています。
この映画は
サンドラという仕事を
解雇をされそうになった女性が
解雇を免れる条件として
同僚16人のうち過半数が
自らのボーナスを放棄することに賛成してくれたら
復職できると告げられます。
サンドラは同僚の家を一軒一軒回って説明し
ボーナスを放棄してくれるように頼みます。
しかし
その一軒一軒を廻りながら
それぞれの家の家族の問題や事情が
そして
それぞれの同僚が
何を考えて生きているかも
次第に
サンドラに見えてきます。
最後には
サンドラは復職できないのですが
しかし同僚のことを理解し
納得して復職をあきらめます。
つまり人間のことは(他人のことは)
外からみていても
なにも
見えないのです。
それぞれがどのような事情や
問題を抱えているかは
見えないのです。
それぞれの
心のうちも
見えません。
それぞれが自分のカプセルを
抱えていきているのですから。
だから
きちんと向き合い
話しあい
コミュニケーションを重ねて初めて
相手の心や立場や事情を
理解できるのです。
人間の交流には
そういう
面倒なプロセスが
必要なのです。
相手と向きあい
自分のことを
しっかり告げ(話し)
相手のことも
しっかり聞く。
という
もう
ほんとうに密で詳しい
コミュニケーションをとり
さらに
相手の立場になって考え
受け入れる
という
<理性的な関係>を
創りだすことが
重要だということです。
相手のことを
感情的に見るのではなく
理性の智をもって
理解する。
そして
関係を
●理性的に解決し、創造していくのですね。
これは簡単なようですが
とても難しいです。
あゝそいうことは
もう当たり前だよと
いう人もいるかもしれませんが
頭や理屈ではわかっていても
そうそう簡単なことではありません。
なぜなら
よほど
自分の感情をコントロールしていないと
人間の脳は
●瞬間的、
●自動的に、
●感情にシフトしてしまうからです。
つまり
脳は
感情の脳(基底核、辺縁系)に
早く電流が達し
前頭葉へ到達するには
時間がかかるのです。
そして
意識的には
よほど
自他の分離ができていないと
(自他の分離を意識的に自覚していないと)
知らず知らずの裡に
●他人を自分の地続きにしてしまいます。
つまりは
自分の脳を
・どのように使いこなすか!
それは
・自分の理性の脳を
如何につかいこなし
・感情の脳を
如何にコントロールできるか
を
いよいよ
●意識的に
●自覚的に
操作しなければ
ならない時代に
入ったのです。
特に感情の脳が作動する
・不安・怖れ
の感情を
如何に克服するかです。
原発という恐ろしいものを
背負いながらも
いまだに
感情の脳の下で
文明を促進させるか。
人間の欲望を
かきたてる
感情と欲望の脳のままで
いるか。
地球環境の破壊と破滅を
くい止めるには
理性の脳でこそ
お互いが向き会い
人間の
これまでの
在り方を
洗い直し検証しなければ
ならない。
特に経済を優先してきた
これまでの
人間社会のあり方を
です。
しかし
それがどんなに難しいことであるかは
いまだに
紛争や戦争
そして
人間どうしも
争いやこぜりあいが
絶えないことです。
さらに世界をリードしているように見える
政治家たちも
またほとんどの
日本の政治家たちも
自分の脳が
●感情の脳(辺縁系)にかたよっていることすら
わかっていません。
これからの時代は
理性の脳を駆使して
世界を相対化し
人間に
何が必要で
何が必要ではないかを
考察する時代が
きているのです。
地球環境や
社会環境や
それぞれの国や人の
アイデンティティーを含め
ほんとうに
人間の世界に山積する問題を
解決する知恵を
しぼりださなければ
なりません。
そういう時代はもう
はじまっているのです。
感情の脳が支配するせかいから
理性の脳の世界へ!
転換をはじめないと・・・。
それも
気の遠くなるようなことかもしれませんが
まず
第一歩は
ひとり一人が
●自分の脳の自立性に
●目覚め
自分の脳を
理性の脳へと
シフトチェンジしていくことでしょう。
とはいっても
感情の脳はてごわいですよ!!
強い意志をもち
自分の
意識で
しっかりと
感情を
コントロールすることだと
思います。
長い文を読んでくださり
ありがとうございました。
でも
まだ続きます。
次回は
●頭のいい人間になろう!!
を
書こうと思っています。
チューリップが咲きました。
風に揺れています!!
この世は
脳世界が投影されたものであることが
見えてきます。
つまり世界で起きる様々な事象は
個々人の脳世界が集積して生まれる
現象であることが分かります。
世界で起きる様ざまなことは
ひとりひとりの脳の情動が
集合し集積して
大きく影を落としているということです。
人間は下等動物から人になる過程で
脳の進化を獲得してきました。
それは
大脳新皮質の前頭葉獲得により
意識の発生と言葉の発明という進化をとげ
さらに下等動物の遺産である情動を
コントロールしながら生きてきて、今も
生きています。
大脳新皮質は
古い脳を取り囲むようにしてあり
それはまるで
人間の情動が暴走するのを
なだめすかしているようでも
あります。
脳の中で
遺伝データー及び体験知経験知及び
学習による知的体験と知識は
無意識の倉庫(バンク)へと
記憶され
意識は無意識が作用して起きる
人間の行為行動を
自分に説明しては、
体を安心させたり、自立神経の安定を図ります。
より不明なものや、不安材料に対しての
その処置と処理について
無意識の中から言葉を拾い上げては
説明し解決をしてきました。
そうしながら
自分の外的世界を
社会を
その他の世界と
自分とのバランスをはかりながら
生き継いできたのです。
人間は有史以来ずっと
自分の無意識の倉庫からデーターを
とりだしは連想させながら
あるときは仮説をたて
それをシュミレーションしながら
考え続けてきたのだと思います。
自分の内に起きる不明なもの、不安なもの
自分の外で起きる不明なものや理解不能なもの(神秘現象)を
なんとか自力で解明、
解決しようとして
人間は考え続けてきたのだと
思います。
まさに
パスカルの「人間は考える葦である」の
如くにです。
そして今やっと
脳のメカニズムやその原理が解明されるまで
こぎつけた。
そして世界はどんどん脳の世界に
疑似化し
ついには
情報社会へと
進化したのだと思います。
私は時々
「脳はいったい何をしたいのだろうか?」と
思います。
「脳は私たちを
どこに連れて行こうとしているのだろう?」とも
思います。
確実なことは
脳はそれ自体に
人格があるわけではありません。
脳はひたすら
自分の主人であるその<生命体>が
その生命を維持できるように機能するのです。
誕生から死までを
維持できるようにです。
そしてそのために
単なる動物から人間になった人間が
動物的本能としてある
<感情的な生命維持>ではなく
人間たる
<理性による生命維持>を
大脳新皮質の前頭葉機能で
獲得しようとしている。
と
私は思うのです。
※<感情的な生命維持>とは
自己保存と自己保身を
感情的な対立や対決や攻撃性を
優先しておこなおうとする
生命維持です。
ただ
残念なことに
まだまだ、本能的で感情的な脳である
旧皮質の脳のほうが
強いのです。
※感情的な脳が作動しだすと
どんどん脳の客観性(知性)は
後退していきます。
最終的には闘いと破滅です。
しかし
では
人間は破滅を目指しているか
というと
そうではないと思います。
ただ
まだまだ
感情的な脳がのさばる以上は
人間も人間社会も
争いや戦争が絶えないということです。
先日亀さんからドキュメント映画
「理性の時代ーダルデンヌ兄弟」をみにいこうと
誘われました。
しかし残念なことにそれは英字字幕だということで
私は英語が読めませんから
おことわりしました。
しかし
さすがダルデンヌ兄弟です。まさに
これからは
●「理性の時代」のはじまりですから。
ダルデンヌ兄弟の前作
「サンドラの週末」という映画こそは
人間の脳の個絶性を
どのように克服するかを描いたものでした。
人間の脳の個絶性とは
個々人の脳はそれぞれが
断絶しており
私はいつもそれを
人間の脳は
ひとりひとりが
自分というカプセルに入ったようなものだと
説明しています。
この映画は
サンドラという仕事を
解雇をされそうになった女性が
解雇を免れる条件として
同僚16人のうち過半数が
自らのボーナスを放棄することに賛成してくれたら
復職できると告げられます。
サンドラは同僚の家を一軒一軒回って説明し
ボーナスを放棄してくれるように頼みます。
しかし
その一軒一軒を廻りながら
それぞれの家の家族の問題や事情が
そして
それぞれの同僚が
何を考えて生きているかも
次第に
サンドラに見えてきます。
最後には
サンドラは復職できないのですが
しかし同僚のことを理解し
納得して復職をあきらめます。
つまり人間のことは(他人のことは)
外からみていても
なにも
見えないのです。
それぞれがどのような事情や
問題を抱えているかは
見えないのです。
それぞれの
心のうちも
見えません。
それぞれが自分のカプセルを
抱えていきているのですから。
だから
きちんと向き合い
話しあい
コミュニケーションを重ねて初めて
相手の心や立場や事情を
理解できるのです。
人間の交流には
そういう
面倒なプロセスが
必要なのです。
相手と向きあい
自分のことを
しっかり告げ(話し)
相手のことも
しっかり聞く。
という
もう
ほんとうに密で詳しい
コミュニケーションをとり
さらに
相手の立場になって考え
受け入れる
という
<理性的な関係>を
創りだすことが
重要だということです。
相手のことを
感情的に見るのではなく
理性の智をもって
理解する。
そして
関係を
●理性的に解決し、創造していくのですね。
これは簡単なようですが
とても難しいです。
あゝそいうことは
もう当たり前だよと
いう人もいるかもしれませんが
頭や理屈ではわかっていても
そうそう簡単なことではありません。
なぜなら
よほど
自分の感情をコントロールしていないと
人間の脳は
●瞬間的、
●自動的に、
●感情にシフトしてしまうからです。
つまり
脳は
感情の脳(基底核、辺縁系)に
早く電流が達し
前頭葉へ到達するには
時間がかかるのです。
そして
意識的には
よほど
自他の分離ができていないと
(自他の分離を意識的に自覚していないと)
知らず知らずの裡に
●他人を自分の地続きにしてしまいます。
つまりは
自分の脳を
・どのように使いこなすか!
それは
・自分の理性の脳を
如何につかいこなし
・感情の脳を
如何にコントロールできるか
を
いよいよ
●意識的に
●自覚的に
操作しなければ
ならない時代に
入ったのです。
特に感情の脳が作動する
・不安・怖れ
の感情を
如何に克服するかです。
原発という恐ろしいものを
背負いながらも
いまだに
感情の脳の下で
文明を促進させるか。
人間の欲望を
かきたてる
感情と欲望の脳のままで
いるか。
地球環境の破壊と破滅を
くい止めるには
理性の脳でこそ
お互いが向き会い
人間の
これまでの
在り方を
洗い直し検証しなければ
ならない。
特に経済を優先してきた
これまでの
人間社会のあり方を
です。
しかし
それがどんなに難しいことであるかは
いまだに
紛争や戦争
そして
人間どうしも
争いやこぜりあいが
絶えないことです。
さらに世界をリードしているように見える
政治家たちも
またほとんどの
日本の政治家たちも
自分の脳が
●感情の脳(辺縁系)にかたよっていることすら
わかっていません。
これからの時代は
理性の脳を駆使して
世界を相対化し
人間に
何が必要で
何が必要ではないかを
考察する時代が
きているのです。
地球環境や
社会環境や
それぞれの国や人の
アイデンティティーを含め
ほんとうに
人間の世界に山積する問題を
解決する知恵を
しぼりださなければ
なりません。
そういう時代はもう
はじまっているのです。
感情の脳が支配するせかいから
理性の脳の世界へ!
転換をはじめないと・・・。
それも
気の遠くなるようなことかもしれませんが
まず
第一歩は
ひとり一人が
●自分の脳の自立性に
●目覚め
自分の脳を
理性の脳へと
シフトチェンジしていくことでしょう。
とはいっても
感情の脳はてごわいですよ!!
強い意志をもち
自分の
意識で
しっかりと
感情を
コントロールすることだと
思います。
長い文を読んでくださり
ありがとうございました。
でも
まだ続きます。
次回は
●頭のいい人間になろう!!
を
書こうと思っています。
風に揺れています!!
by denshinbashira
| 2017-04-01 09:56
| 脳は空より広いか
|
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