作家の目! |
それは映画をみて、
そこに起きる好きとか嫌いとかいう感情が起きるのは
自他の分離ができていないからだよ!
という私の言葉からはじまった。
つまり自他の分離、
他人と自分とがしっかり分離でき、
そこに距離ができている場合は
映画をみてもそうそう感情移入で
自分が乱されない。
感情移入がまったく起きないということは
ないが
好きとか嫌いという
ベタな感情は、
あまり起きてこない。
それよりも映画を第三者の目でみており
映画全体を把握しながら
登場人物も情景もを
眺めているという感じであろうか。
トッツイの質問
それでは映画の中で心が踊ったり
沈んだりするというのがエンターテイメントの
そういうことが楽しいのではないか・・・??
そうだね、だから客は泣いたり笑ったりして
心をカタルシスして
満足するんだね・・・。
しかしトッツイ、
よくよく目を凝らしてみてごらん。
その裏では
どうしたら客が喜んだ泣いたりして
その心をカタルシスさせようか・・・という思惑があり
そうやってこそ
お金を投げてもらうおうという
冷静な目がある。
自他の分離ができていなければ
もうやすやすと
そういう裏の人間の手で
踊らされるんだね。
つまりなんにでも簡単に
感情移入して、
自分のことのようにその感情を
重ねてしまう。
そういう人間は
自分と他人との境目が分からないから
ファンというのになったり
追っかけをしたり
コレクターになったりしてしまう。
しかし
実は、
それらは
自分ではなく
他人の行為を自分と混同しているだけなんだけど
それに気がつかない!(気がつけない!)
自他の分離ができていればいるほど
そういう裏の人間の思惑には乗らない。
そこには自分という人間と照らし合わせながら
冷静な目で見ている(検証している)自分があるからね。
そこには冷徹な現実をみきわめようという
厳しい眼があるからね。
考えるという行為はそもそも
自分というのがしっかり立っていて
だからこそ
自分の外部世界を
自分と照らし合わせて
色々と考察、検証していることなんだね。
逆に自他の分離ができていない人は
考える前に
すぐ感情の方へとはしってしまう。
なんだかそう聞くと
何をみてもつまらなそうにも思えるでしょ?
でもね
そこには感情移入とは別の次元の
感動が湧いてくる。
自分と他者とがはっきり見えてくるからこそ
逆に他者の懸命に生きている姿が見えてくる。
からこそ
他者への共感や深い愛惜が生まれるんだね。
それは人間は誰もが独りぼっちだということを
感情ではなく,理性が受け入れる、或は受けとめるんだね。
そういう自分の孤独も他者の孤独もしっかり
受けとめる冷静な目があり、
それが作家の目なんだね。
どんな人間とも等距離でいる
作家の目なんだね!!
そして
高次な客の目なんだね。
それが確立されてくると
ほんとうにすごい作品に
出会えるよ!!
それは作り手も
それを見る客もが
それぞれ自立した自己世界を持ち
対等に
等距離に
展開している作品で、
そこには感情の興奮とは違う
静かで淡々とした共感と感動の世界が
ある。
ところで
トッツイは
自他の不分離と分離の
どっちにいくのかな???
・・・・・・!
「MIZUTAMA」の記事が更新されました。
今後の掲載予定の目次をご覧ください。
「MIZUTAMA」公式サイトで私がライトエッセイを書いてます。
結構言いたい放題を言ってます…笑!