道端の花! |
「ワーグナーは大嫌い」と書いたが、
まあ
それほど激しく嫌っているわけではない。
ただ大言壮語とか、
いかにもドラマチックな大げささを
あまり好まないということです。
ではベートーベンはどうかというと、
ベートーベンはそれなりに
自分の内面に向き合った気がする。
だからベートーベンが時折見せる
内省の深さやデリカシーに
こころが震えることがあります。
ほんとうに申し訳ないのですが
こういうことは私の偏見と独断で、
私がそう感じてしまうということです。
だからワーグナーが好きな方には
大変申し訳ありません。
が
ワーグナーの曲は
私にとっては
表面的なような気がするのです。
で、最近いいな~と思うのがシューベルトです。
実は若い頃に鬱に陥り
毎日胸の中に岩を抱えているような日々がありました。
それでも主婦でお母さんですから
食材の買い物に行かねばなりません。
その時は極力目線を伏せて
道ばかり見ながら出かけ、そして
誰とも出会わないように
さっと買い物をして
かえりました。
そしてその帰り道
家の近くまで来ると
コンクリートの道の脇に、
小さなちいさなほんとうに
ゴマ粒より少し大きいくらいの
雑草の白い花が咲いており、
それをみるとホッとしてました。
毎日出かけては家に帰りつく時、
じっと立ちどまっては
その花を見つめ、
それから家に入るという日々で、
その花のことを
愛おしいなあ~と
思っていました。
でも
ある日曜日、
地域のお掃除とかで
その道端に咲く雑草は見事に完璧に
とりのぞかれて、
ただ灰色のコンクリートの道路だけが
私の気持ちを逆撫でするように在りました。
ただでさえ鬱であったのに
私は胸が悲しみでいっぱいになり、
大げさですが
絶望しました。
で、シューベルトなのですが
おそらくシューベルトが愛したのは
こういうささやかで慎ましい個人の世界ではないかと
私は独断で思うのです。
他人から見ればゴミみたいで
つまらないものでしかないかもしれない。
しかし私にとっては、とても大切なもの。
たとえ価値がないものでも
その人にとって大切なものなら
それを大切にしてあげなければならない。
そういうことをシューベルトは
わかっていたような気がするのです。
音楽の中静かに沈みこむ時
そこはまったく解放された自分の世界しかない。
そういう素朴な世界を
シューベルトは愛していた。
そんな気がするのです。
もしかしたら彼は、
だれにも知られなくてもいい
誰からも評価されなくてもいい
でも作曲することが好きでたまらない!
と。
そのシューベルトの簡素さが
私は好きなのです。
私は自力で鬱を克服し
もうほとんど鬱に悩まされることは少なくなりました。
ただ朝起きた時だけ、若干の鬱に襲われますが
それも私の脳と体のシステムに鬱の名残があるだけだろうと思って、
瞬間的に追い払います。
神を求め、条理をもとめてさまようオランダ人ではなく
そこある
ちいさな、ささやかに咲いている
普通の人々の
その人が過ぎ越してきた人生の中に
その人だけの大切なドラマがあるように
思います。
それは人に言うほどのものではないが
しかしそこには
深い人生の深淵や翳があるように思います。
それをほんとうに
大切にしてあげたいと
思います。
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結構言いたい放題を言ってます…笑!