いつも祈ります。 |
神も宗教の人間が造り出したものと書いているから、
たおりさんは祈らないと思っているひとも
いるかと思いますが、
それが
祈るんですよ!!
しょっちゅう祈ります…笑!
なぜ祈るかというと、
ひとつは
自分はちっぽけな存在であり、
自分でできることなどたかが知れており、
私自身の限界をこえてなにかを希求するとき
祈ります。
自分を超越する、おおいなるものに
私自身をゆだねるのです。
祈りは大いなる自己暗示でもあり、
また
自分の無意識の変容を促す働きでもあり、
そして
おおなるものに
自分の決意や覚悟を告げるものでもあります。
そして祈ったら安心します。
私の意識の中には、
自分の小ささや脆弱に対する認識があります。
弱いというのは感情的なもろさです。
人間は感情の海で翻弄されます。
その感情を一本に束ね、自分を統一するのが
祈りという集中です。
もう一つは私は、
自分のドメインを熟知していることです。
自分にできること、
反対に
自分にはできないことは何かを
知っていますから、
そしてそういう自分の限界を超えて、
なにかを解決しなければならない時、
祈りは大きな容器のなかで
永遠の時間と繋がり
永遠の他者と繋がるのです。
※永遠の時間、永遠の他者とは
私の中で抽象化された時間と人間のことです。
だから
祈りの中でだんだん私が
無私の私へと解放されて行きます。
自分の中で力み、縛られていた縄がほどかれていきます。
やるだけやったら
あとは
超越なるものにお任せです。
祈りのなかで自分の不安も
傲慢もが消えていき、
自分という個が超越されて、
私を取り巻く外的世界が整理、統合されていきます。
そこに着地して安心し
感謝、
です。
「MIZUTAMA」が更新されました。
「さがみ人間未来フィルムフェスティバル」の論評2です。
●海山かのんさんの漫画も
掲載されています。
北海道の人必見!!
今後の掲載予定の目次も
ご覧ください。
「MIZUTAMA」公式サイトでも、ほぼ毎日ライトエッセイをかいています。
よかったら読んでください。