才能とは?質問に答えます!!その2! |
自分も専門書を読む機会がふえたが、
すぐには理解できなかったり、
現場にいかせにくかったり
知らない知識もあり、
一朝一夕にはいかにないが、
10年単位で物事を考えてみるという必要があるのだと、
理解できたという
お返事のメールをいただきました。
良かったね!!
才能とは自分の潜在的能力に
様々な外的世界の知識や技術がプラスされ
自分が目的することや意図することを
成し遂げていく思考や脳力であると
昨日書きました。
そして私が知っている才能があるひとはどの人もが、
自分の専門分野は勿論のこと
様々に広きに渡る知識と見識をもっている。
例えば
文学者なら文学だけではなく
哲学思想は勿論のこと
科学的知識にも長け
歴史にも造形が深く
音楽や美術などの芸術にも
天文学や宗教学にも通じている。
それらは才能を磨いていく時の
副産物として
必然的にその人達が身につけていく、
教養なんだね。
そうなると奥が深くてね、
学んでも、学んでも、もう
学べば学ぶほどに
さらにその先を
学びたくなるんだよ。
そして少しずつ開眼がしていくんだね。
自分の視野が広くなればなるほど
視野の奥行も深くなり
人間や社会や世界もを
見渡しながらの思考がうまれる。
そしてそこには
地べたの目線という
謙虚な覚醒が生まれるのだね。
つまり
世の中のことも
人間のことも
よ~く分かってくるのだね。
そして
その人間の経験知と体験知と、
自分が注入した知識との熟成が
時間ともに少しずつ成っていくんだね。
私も大学生の頃にえらい難しいというか
難解な本をたくさん読み、
そのほとんどがチンプンカンプンだったけど…笑!
しかし年齢を経るに従ってだんだん
それが理解できていきました。
つまり私の経験知と知識とが
頭の中の回路ととして繋がるには
時間による熟成が必要だったのですね。
だから
ゆっくり、焦らずに
才能を熟させていけばいいと思いますよ。
宮澤賢治が才能があったにも関わらず
敗北してしまったのは
自分の才気を才能に転換させる時間を、
持てなかったことです。
彼は人生ということに敗北した。
つまり
人間とは何か?
社会と何か?を
学びそこなって、
それを甘く見てしまった。
人間とは何か、社会とは何かとは
人間が織り成す社会というフィールドが
いかに複雑であり
いかに複雑に屈折しているか、
そして、そこで繰り広げられるパワーゲームの
厄介さに
彼は気づけなかった・・・。
早熟であったばかりに
彼はそういうことを
ナメてかかっていたんだね。
だから羅須地人協会を始めた頃から
世間から手痛い反撃(試練)をうけてしまった。
賢治の頭の中は
たくさんの知識と教養が詰まっていたが
それも彼の
妄想のフレームのなかで観念として
成立しているのであり
現実のフィールドでは、それらはおとぎ話のレベルでしかなった。
ただ賢治が世間知らずであり
そして金持の息子として
世間の風圧に当たらないですんだことが
逆に賢治の言葉世界の彼の才気を伸ばしていったと
私は考えている。
賢治はその言葉世界で完結し、
そこで生きている間は
たくさんの才気が才能へとが花開きかけたが、
しかし彼が羅須地人協会を始める頃から
賢治の前に現実の人間社会が大きくたちはだかった。
その時の賢治がいかに無力で
無防備であったか。
かれは世の中のことを何にもしらない!
世の中の厳しさや厄介さを
知らなかったなんだね。
だからこそ挫折してしまい
「雨ニモマケズ」という
きれいごとを
書いてしまった。
その頃の賢治はやっと
無力で惨めな自分と格闘し始めたのだが
残念なことに
力尽きてしまった。
その時まだまだ若い36才の惨めな賢治は、
どうしても
法華経にしがみつかずには
いられなかったのだろうと
私は思います。
もし賢治がその惨めな自分を乗り越えて
生き延びていたら
大変な才能を発揮できたと
思う。
繊細な彼の神経が図太くなり
やがて
黒光りする成熟した才能へと、
転換されて行ったかもしれませんね。
そしてまた、
「雨ニモマケズ」の詩を発見し、
さらには賢治を聖農へと
祭り上げてしまった高村光太郎も
実は世間知らずの金持のボンボン詩人で
彼はウカウカと大政翼賛会に属して
戦争賛美の詩を300篇近くも書いてしまった人です。
恥ずかしながら、我が若き日に書いた本です↓
人間や社会の厳しさや困難さを知らないから
いとも簡単に賢治を偉人にして幻想化してしまったんだね~。
ただ、もし賢治がもっと長生きした時
自分が偉人に祭り上げられることを望んだかというと
おそらくそんなことなど、
望まなかったと思います。
賢治の実像はね、
みんなと同じだよ!
未熟で、弱くて、才気ばしっていてさ。
そして他者の才気もちゃっかり借用しているよ!
彼の盛岡高等農林時代の親友たちの
保阪嘉内や小菅健吉の才気を
ちゃっかり借用している。
例えば<春と修羅>の詩の
<修羅>という言葉は保阪嘉内から
そして一字ずつ字がさがっていく
屏風のようなフォルムの形式は
小菅健吉の詩からで、
当時の若き才気にあふれる仲間の影響をうけ
借用しているという訳です。
「雨ニモマケズ」は賢治の挫折の決定打でね、
その裏には・・・・・がある??
そのことはこれから
海山かのんさんの漫画「賢治ってどんな人」で
明らかにされていくと思いますので
お楽しみに!!
では
またね。
「MIZUTAMA」が更新されました。
ドキュメンタリー映画の村上浩康監督のインタヴュー記事です。
メッチャ面白いですよ!
第一章はせんぶ無料でよめます。
続きを読みたい人は
どうぞ買ってくださいな!!
●海山かのんさんの漫画も
掲載されています。
北海道の人必見!!
今後の掲載予定の目次も
ご覧ください。
「MIZUTAMA」公式サイトでも、ほぼ毎日ライトエッセイをかいています。
よかったら読んでください(こちらは少々過激です…笑!)